千川上水王子分水と古道

2015年02月06日 | 徒然
千川上水は、小金井で玉川上水から分水された江戸時代の上水道。
西巣鴨で小石川六義園と王子方面へさらに分水された。




この分配堰は「堀割」という明治通りと旧中仙道の交差点名、
都営バスのバス停にその名を遺している。


千川上水は昭和初期に暗渠化され、ヒューム管は下水幹線として使われている。



(北区滝野川の暗渠道)

王子方面への分水は、古道のひとつである鎌倉道に沿って北上する。
鎌倉道は下総往還とも呼ばれている古道で、北区滝野川と豊島区西巣鴨周辺では
明治通りがほぼ鎌倉道のルートに沿っている。
時折斜めに分かれたり交差する道が、古道の跡である。


(明治通りはカーブするが古道は直進する西巣鴨交差点付近)


(古道と分水の跡の道。手前は明治通り。)

一部は高速道路のカーブに活かされている。

(左が明治通り、右が古道跡)

谷端川(現在は暗渠)を渡る橋は鎌倉橋といい、昭和50年代までは鎌倉橋バス停があった。

(右の細い路地が古道)

ちなみに「原宿」は、この鎌倉道の宿場である。

王子分水はこの鎌倉道に沿って幕末に開削され
砲兵廠や印刷工場、醸造試験場へ給水され、最終的には石神井川へ排水された。




鎌倉道は、豊嶋郡衙でもあった豊嶋氏築城の平塚城、現在の平塚神社へ続いている。

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