JR板橋駅の下を潜った谷端川は、一旦大きく南へ折れた後
蛇行しながらも緩い弧を描いて大塚へ向かってさらに東行する。
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(画面左で川は大きく曲がる)
大きく曲がる所為か、昔から氾濫が多かったようで
板橋駅東口付近、北谷端は度々浸水したようである。
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(今年、開業130周年を迎える板橋駅)
下水幹線となった現在は、板橋駅東側で一部の余水を北へ分岐させ
千川上水と中山道の尾根の地下を北上し石神井川へ放流している。
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(旧中山道から千川上水越しに谷端川方面を望む)
川は早い時期に暗渠となり、現在は普通の道路になっている。
明治通りを越える手前には、トキハソースの工場があって
ソースの香りが食欲をそそるように漂っている。
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(下流側からトキハソースを望む)
明治通りとの交差点、現在警視庁滝野川庁舎の建つ場所は
以前は都営住宅が建っていて、そのまた昔は牧場で乳牛が飼われていた。
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(牧場があった辺り。今は警視庁庁舎が建つ)
この場所には鎌倉橋という橋が架かっていて
川を渡る道は中世の古道、鎌倉往還である。
かつては都営バスのバス停「鎌倉橋」があった。
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(鎌倉橋)
さらに東行すると、六ツ又の東側からの谷と合流する。
六ツ又は雲雀ヶ谷の谷頭であるが、現在の帝京平成大付近からも
谷端川の支流となる谷が広がっていて、巣鴨新田と呼ばれるこの付近で
池を湛えながら合流していた。
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(巣鴨新田の名は都電に残る)
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(池袋側からみた六ツ又)
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(川跡の案内板)
川は南東へ進み癌研通りこと都道436号小石川西巣鴨線を斜めに渡る。
この通りは戦後の開通であるが、実は東上線が東上鐵道と言った大正元年当時の当初の工事免許区間であった、
大塚辻町から下板橋を経由して上州へ至る路線の
大塚・下板橋間にほぼ合致する(当区間の免許は大正9年に失効)。
上池袋の交差点を西進すると北池袋駅前に出るが
その手前の緩いカーブを無視して直線を描くと
東上線下板橋駅の急カーブに自然な形で接続する。
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(不自然な急カーブは、当初の計画の名残)
さて、川は大塚へ向かって流れを早め、現在飲食店などが犇めく通りを音を立てて流れ
大塚駅の北側で小さな滝となって落ちていたようである。
この小さな滝には不動尊が祀られ信仰されていた。
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(都電と滝不動)
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(滝不動の由来)
川は山手線を潜り抜け、いよいよ山手線の内側へと進んでゆく。
蛇行しながらも緩い弧を描いて大塚へ向かってさらに東行する。
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(画面左で川は大きく曲がる)
大きく曲がる所為か、昔から氾濫が多かったようで
板橋駅東口付近、北谷端は度々浸水したようである。
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(今年、開業130周年を迎える板橋駅)
下水幹線となった現在は、板橋駅東側で一部の余水を北へ分岐させ
千川上水と中山道の尾根の地下を北上し石神井川へ放流している。
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(旧中山道から千川上水越しに谷端川方面を望む)
川は早い時期に暗渠となり、現在は普通の道路になっている。
明治通りを越える手前には、トキハソースの工場があって
ソースの香りが食欲をそそるように漂っている。
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(下流側からトキハソースを望む)
明治通りとの交差点、現在警視庁滝野川庁舎の建つ場所は
以前は都営住宅が建っていて、そのまた昔は牧場で乳牛が飼われていた。
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(牧場があった辺り。今は警視庁庁舎が建つ)
この場所には鎌倉橋という橋が架かっていて
川を渡る道は中世の古道、鎌倉往還である。
かつては都営バスのバス停「鎌倉橋」があった。
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(鎌倉橋)
さらに東行すると、六ツ又の東側からの谷と合流する。
六ツ又は雲雀ヶ谷の谷頭であるが、現在の帝京平成大付近からも
谷端川の支流となる谷が広がっていて、巣鴨新田と呼ばれるこの付近で
池を湛えながら合流していた。
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(巣鴨新田の名は都電に残る)
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(池袋側からみた六ツ又)
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(川跡の案内板)
川は南東へ進み癌研通りこと都道436号小石川西巣鴨線を斜めに渡る。
この通りは戦後の開通であるが、実は東上線が東上鐵道と言った大正元年当時の当初の工事免許区間であった、
大塚辻町から下板橋を経由して上州へ至る路線の
大塚・下板橋間にほぼ合致する(当区間の免許は大正9年に失効)。
上池袋の交差点を西進すると北池袋駅前に出るが
その手前の緩いカーブを無視して直線を描くと
東上線下板橋駅の急カーブに自然な形で接続する。
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(不自然な急カーブは、当初の計画の名残)
さて、川は大塚へ向かって流れを早め、現在飲食店などが犇めく通りを音を立てて流れ
大塚駅の北側で小さな滝となって落ちていたようである。
この小さな滝には不動尊が祀られ信仰されていた。
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(都電と滝不動)
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(滝不動の由来)
川は山手線を潜り抜け、いよいよ山手線の内側へと進んでゆく。