谷端川と三業街

2015年02月19日 | 徒然
三業とは、料亭・待合・置屋の三業種を言い、
つまりは三業街とは花街の事を言う。

大塚駅の南側へ出た谷端川は、その三業街を暗渠となって進む。


(三業街の入り口)

通称プラタナス通り、共同印刷通りの北側を
蛇行しながら富坂下まで並行する。
この辺りまで来ると支谷もなく、途中小石川植物園付近の湧水を合わせる程度で南下する。


(小石川植物園)

次の大きな合流は、最下流付近の西片からの支流を合わせた東大下水との合流である。


(東大下水に沿って、菊坂が伸びる)

小石川植物園付近の南側には、湯立坂という坂があって
由来として、「昔、坂下に大河があり氷川の社に渡れないため、この坂で湯立を奉った」とされている。


(湯立坂の入口は地下鉄茗荷谷駅の目の前)

果たして谷端川がそれほどの大きな川だったのだろうか。
この辺りでは川の名が小石川(礫川、小石河、千川とも)と呼ばれていた。

神田川は現在でも満潮時には文京区関口付近まで
東京湾の海水が遡上する事を考えると、中世までは
小石川付近に海水が上がってきたことだけは充分に考えられる。

現在は、大塚駅から富坂下までの「小石川」区間を
都営バスの上60系統が並走している。


(上60系統)

富坂付近で東大下水と合流した流れは、後楽園遊園地の下を流れ
水道橋付近で神田川に合流する。
江戸時代には流路が整理されていたようで太古の流路は不明である。


(水道橋から神田川下流を望む)
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