山手線とトンネルの話

2015年02月14日 | 徒然
山手線の外回り電車に乗って、駒込から田端へ向かうと
電車は勾配を登って行き、右側の貨物線と高低差ができると
山手線唯一の踏切、中里第二踏切を通過し、左へカーブする貨物線を乗り越すと
切り通しを右にカーブする。


(駒込駅から田端駅方面を望む)

この切り通しは、赤羽から王子、上野へと続く台地で
田端から日暮里にかけては道灌山と呼ばれている。


(山手線と山手貨物線)

貨物線は現在、湘南新宿ラインとして旅客列車も走る線路になってして
山手線を潜ったあと、すぐに中里トンネル
という、
この台地の下を通るトンネルに入り、上中里付近で東北本線(京浜東北線)と並んで北を目指す。


(左下が山手貨物線中里トンネルの坑口)


実は、山手線が開業した頃の線路は、このトンネルの手前まで
山手線そのものの線路で、現在の山手線の車窓の右側の丘、
つまり道灌山の下を右にカーブしながら切り通しを進み
途中、短いトンネルで通過していた。


(旧線取付部付近)


当時の遺構は、山手線外回りの右車窓でも確認できる。
レンガ造りのトンネルの坑口である。

このトンネルは、大正14年に山手線が貨物線との複々線にった際に、
現在の山手線の線路へ切り替えられ不要になった。


(明治末期~大正時代の地図)


(山手貨物線分離後も、切り通しは残されていた)

その後、戦災瓦礫で埋め立てられ、法面は土砂崩れ防止のために
コンクリートで固められたが、トンネル坑口の上部は
今でも顔を覗かせている。


(道灌山トンネルの坑口と山手線)


山手線がこの切り通しを抜けると、縄文海進期の沖積平野が眼下に広がる。
新幹線の高架が若干邪魔に感じられるものの
今でも山手線随一と言っていいほどの絶景である。
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