神田川水系の谷端川は、西武池袋線椎名町駅付近から、
東武東上線下板橋駅と大山駅の中間地点まで山手通り沿いを北上する。
東武東上線の線路とぶつかるあたりで東行するが
この辺りをかつては「金井窪」と言った。
「窪」は、地形に由来する地名で、高松や中丸町からの支流が
この付近で合流していた。
(金井窪付近)
流れはここから東行する。
現在、東武東上線の留置線となっている旧貨物線の横の流れは
関東大震災以降に流路整理を行い、蛇行した流れを直線化したもの。
下板橋駅の駅舎前で東上線の線路をくぐり、板橋区板橋と
豊島区池袋本町の境を流れてゆく。
(乗務員用通路は、今でも「橋」のようになっている)
この付近の南側は「雲雀ヶ谷」といって、
池袋六ツ又付近を源流とする谷戸になっている。
(山手線線路の右側の道路が、V時になっている雲雀ヶ谷の谷頭部)
今でも六ツ又から流路跡と思しき細い路地が出ていて
山手線の切り通しで分断されているものの、JR線の車庫と埼京線、東上線を越えて、北池袋駅の西を北上し
90度のカーブで曲がる東上線を再度越えて、一の橋で合流する道が成立している。
(下板橋駅南端で浅い谷を越える東上線)
(一の橋)
ただし、古地図には流路として描かれず、水田となっていることから
古くから農業用水として利用され、河川としては認められていなかったようである。
一説に曰く、この雲雀ヶ谷の地形を以って「池袋」の由来とする。
確かに、雲雀ヶ谷の西側の地名は「池袋本町」であり
明治以前は「池袋 本村」であるので、可能性のない話ではない。
(雲雀ヶ谷へ下りる坂道)
(雲雀ヶ谷の名は、踏切などに残る)
暗渠となった現在は、板橋駅近くまで遊歩道が続く。
(谷端川遊歩道)
JR板橋駅のホームの下をくぐると、流れは北区へ入ってゆく。
(板橋駅。流路は地下道の右側にあった)
東武東上線下板橋駅と大山駅の中間地点まで山手通り沿いを北上する。
東武東上線の線路とぶつかるあたりで東行するが
この辺りをかつては「金井窪」と言った。
「窪」は、地形に由来する地名で、高松や中丸町からの支流が
この付近で合流していた。
(金井窪付近)
流れはここから東行する。
現在、東武東上線の留置線となっている旧貨物線の横の流れは
関東大震災以降に流路整理を行い、蛇行した流れを直線化したもの。
下板橋駅の駅舎前で東上線の線路をくぐり、板橋区板橋と
豊島区池袋本町の境を流れてゆく。
(乗務員用通路は、今でも「橋」のようになっている)
この付近の南側は「雲雀ヶ谷」といって、
池袋六ツ又付近を源流とする谷戸になっている。
(山手線線路の右側の道路が、V時になっている雲雀ヶ谷の谷頭部)
今でも六ツ又から流路跡と思しき細い路地が出ていて
山手線の切り通しで分断されているものの、JR線の車庫と埼京線、東上線を越えて、北池袋駅の西を北上し
90度のカーブで曲がる東上線を再度越えて、一の橋で合流する道が成立している。
(下板橋駅南端で浅い谷を越える東上線)
(一の橋)
ただし、古地図には流路として描かれず、水田となっていることから
古くから農業用水として利用され、河川としては認められていなかったようである。
一説に曰く、この雲雀ヶ谷の地形を以って「池袋」の由来とする。
確かに、雲雀ヶ谷の西側の地名は「池袋本町」であり
明治以前は「池袋 本村」であるので、可能性のない話ではない。
(雲雀ヶ谷へ下りる坂道)
(雲雀ヶ谷の名は、踏切などに残る)
暗渠となった現在は、板橋駅近くまで遊歩道が続く。
(谷端川遊歩道)
JR板橋駅のホームの下をくぐると、流れは北区へ入ってゆく。
(板橋駅。流路は地下道の右側にあった)