東京都北区、国立印刷局や滝野川消防署が立ち並ぶ一角に
平塚神社という神社がある。
この神社は、古代に豊嶋郡衙があった場所とされ
平安時代末期には豊嶋太郎近義という人物が
城館を造ったとされている。
この城へは源八幡太郎義家が後三年の役後に逗留し
その際に近義の饗応への返礼に、自身の鎧と
守り本尊である十一面観音を授け、義家の没後に城の鎮護の為に
地中に鎧を埋めて平らな塚を造ったとされ
これをもって「平塚」の名の由来とするそうだ。
現在も社殿の裏には鎧塚という塚が遺されている。
鎌倉時代から室町時代には豊嶋氏の居城となり
その後太田道灌によって滅ぼされるが、その際の合戦を由来とする
「蝉坂」(攻坂の転訛とする)がJR上中里駅まで伸びている。
中里貝塚のある尾久駅北西側からは平塚神社の建つ崖が
新幹線の高架の後ろに聳え立つ。
建物や、まして新幹線などなかった古代・中世には
難攻不落の城砦に見えたにちがいない。
平塚神社という神社がある。
この神社は、古代に豊嶋郡衙があった場所とされ
平安時代末期には豊嶋太郎近義という人物が
城館を造ったとされている。
この城へは源八幡太郎義家が後三年の役後に逗留し
その際に近義の饗応への返礼に、自身の鎧と
守り本尊である十一面観音を授け、義家の没後に城の鎮護の為に
地中に鎧を埋めて平らな塚を造ったとされ
これをもって「平塚」の名の由来とするそうだ。
現在も社殿の裏には鎧塚という塚が遺されている。
鎌倉時代から室町時代には豊嶋氏の居城となり
その後太田道灌によって滅ぼされるが、その際の合戦を由来とする
「蝉坂」(攻坂の転訛とする)がJR上中里駅まで伸びている。
中里貝塚のある尾久駅北西側からは平塚神社の建つ崖が
新幹線の高架の後ろに聳え立つ。
建物や、まして新幹線などなかった古代・中世には
難攻不落の城砦に見えたにちがいない。