延べ2日間に渡るこのフェスティヴァルには、ブッカー・T&ザ・MG’s、ザ・デイヴ・ブルーデック・トリオ・ウィズ・ジェリー・マリガン、デラニー&ボニー・アンド・フレンズ、グランド・ファンク・レイルロード、テン・ホイール・ドライヴ、トミー・ジェイムス・アンド・ザ・ションデルズ、シカゴ・トランジット・オーソリティ、そしてレッド・ツェッペリンなどが出演した他、ジョー・コッカー、バターフィールド・ブルース・バンド、キャンド・ヒート、スィートウォーター、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、ジョニー・ウィンター、そして約1ヶ月後に行われることになるウッドストックにも出演したジャニス・ジョプリンなど多数のミュージシャンが参加している。
その翌年、同フェスティヴァルはジョージア州バイロンのミドル・ジョージア・レースウェイに場所を移し、期間を3日間に伸ばして開催された。主催者側はウッドストックに倣って当初はチケットを14ドルで販売したが、同じくウッドストック同様にやがて無料へと変更し、膨大な数の人々が開場時に押し寄せることで危険が増すだろうとプロモーター達を大いに危惧させることになった。
会場の外で「フリー!フリー!フリー!音楽はみんなのもの!」と合唱しながら待つ群衆が、オルタモントと同様に会場警備のために雇われたバイカーズやヘルス・エンジェルズを脅し威圧していた。20万人から60万人と推定される人の群れだ。
開催期間が伸びたことで、出演するバンドの数も増加した。ジョン・セバスチャン、ラヴィ・シャンカール、ジョニー・ウィンター、マウンテン、リッチー・ヘヴンズなど、ウッドストックにも出演を果たしたビッグ・ネームが登場したが、中でも最大級だったのがジミ・ヘンドリックスだ。フェスティヴァルを統括したアレックス・クーリーが彼について語っている。
「4日の0時ちょうど、ジミ・ヘンドリックスが“アメリカ国歌”を演奏する時に向けて全て準備を整えておいたんだ。ステージ上の花火に点火するのに時間の余裕が必要で、彼に演奏が終わる10分前になったら合図をくれるよう言っておいたんだ。でもジミはソロを弾くのに没頭してしまってそのことを忘れてしまってね。彼は花火のことも覚えていなかったと思う。最初の花火が上がった時、彼は10フィートぐらい跳び上がっていたからね!」