亭主が 小さな新聞の切り抜きを見つけてきた。 彼はこういうの得意である。
「赤い電車に乗って鳥羽の火祭りを応援しよう」というものだった。 条件は名鉄電車に乗って三河鳥羽に降りてそこで火祭りの謂われなどを聞いて 神社に行こう
吉良吉田から蒲郡までの路線が廃止の憂き目にあいそうなので みんなでのって盛り上げよう・・・と 一日乗っただけで 盛り上がるかどうかは知らないけれど よ~しその話のった~
午前中麒麟の翼を見て 午後に備える。 早めの夕食を終えて 電車の人になる。
私 赤い電車応援団なの?・・・・
鳥羽の火祭り応援団のつもりだったのに・・・・
ま 良いか
そのお詫びかどうか知らないけれど 蒲郡蜜柑一袋 がまぽん パンフレットを貰って並ぶ。
さむいぞ~
駅にあった 案内
すごいなこれ
大きな火に 人が群がっている。
鳥羽の火祭りは二本の10大火祭りに数えられていて平成16年に国の重要無形文化財に指定されたとのこと。 1200年も前から伝えられているからすごいね。
海の街のお祭りだから海の神様に捧げるものかと思ったけれど・・・・
吉良にある福地 乾地の勝敗によってその年の天候 豊凶を占う神事だと言うから 海のお祭りというわけでもなさそうだった。
鳥羽神明社につくと 境内右手に大きなたいまつが
これはすずみと呼ばれるもので言ってみればどでかい松明。
前日の境内で二つのすずみをつくってくっつける。
一つ一つの涼みにはご神木と一年の付きを表した12縄を納める。
これを当日火を付けて 燃えさかる松明の中に入っているご神木と12縄を取りだし 神前に供えられて祭りは終わる。
占いは火の燃え方とどちらがご神木を取りだしたかで行う。
本日 私達が涼みの前に陣取る前に 行われたことがある。
福地と乾地から選ばれた神男は三日前から社殿に籠り 朝晩と水をかぶり身を浄める。 さぶっ
当日 15時 神男と 奉仕者(後で説明します)が神明社から海へみそぎに出発。
15時半に寒風の中海に入り 身を清める。 その後19:30から境内で神事です。
私達は すずみの前で身動きできません。 人で一杯で動くのは危険です。
ねこと呼ばれる奉仕者が入ってきます。 海辺の小さな町で こんなに男の人がいたか?と思えるほどつぎからつぎへと
奉仕者は火がついたすずみに飛びかかりご神木や12縄を取り出すのです。
火がついても燃えにくいようにでしょうか? 使い古した日本手ぬぐいを縫い合わせた衣装を着ています。
この人たちが猫と呼ばれるのは 火に飛び込むとき髪を焼かないように目だけを出した白い頭巾をかぶるのです。
頭巾の端が耳のようにつんとなって まるで猫のように見えるのでこう呼ばれるようです。
火打ち石の係の人がやってきます。 火打ち石の小さな歩のをを次第に大きくしてすずみに点火します。
大事な神様のお使いです。
おやおや 大村愛知県知事も見学のようです。
19:30分 神殿では神事が始まっています。 こちらでは水をかけて その時を待ちます。
水をかけると燃えにくいと思うのですが どうしてか分かりません。 お清めの意味でしょうか?
火打ち石の後に神男 その後に猫が続きます。
ゆすり棒と呼ばれる箒のようなものを掲げているのが神男です。 人混みで見えませんが
先についている藁で火打ち石の火を付けます。
奉仕者は桜の枝を持っています。
火打ち石の火が大きくなった瞬間です。
茅に火がつき 炎が立ち上ります。
きれ~ぃ あったかい~
いえいえ そんなこと言っている場合じゃなく。。。。
あの中に奉仕者の人が飛び込んでいくのですから
あ 猫が右の方から登っています。そして早く燃やすように揺すっているのです。
熱くないのでしょうか?
熱くないはずがないよね
水をひしゃくでかける係もありますが 追いつきません。
火のついたすずみを揺する手は手甲をしているもののすでに近い。
背中に火のついた木が乗って払っても落ちません。
どきどきしてきます。
もうすずみはすずみではなく 火の塊です。
危ないとひやひやしていたはずなのに しらぬまに手に汗握る大興奮です。
熱さに耐えかねてすずみから飛び出す奉仕者
この姿が猫に似ていると言う事からも猫と言われるようです。
こうしてすずみは崩れ 中から無事にご神木と12縄を最初に取りだしたのは 今年は福地
豊作の年になりそうですよ。
去年は辛い事が多すぎました。 今年良い年であって欲しいですよね
ご神木が運び出されます。
見えませんが・・・・ まだ炎が上がっています。
大仕事を終えた奉仕者たちが戻ってきます。
すすで真っ黒 やけどをしなかったのかしら? と心配になります。
驚いたのは奉仕者の年齢
若者はともかく 中学生と思える子から お年寄りまで・・・・
町全体でこの祭りを盛り上げていることを感じます。
燃え残った竹は 持ち帰りが出来ます。
竹の箸を箸をつくると 無病息災で暮らせるとのことでした。
私も50センチほど切って貰いました。
何時箸を作れるかどうか分かりませんが
帰り道 振り返ってみると 神明社の森を 空を まだ赤々と焦がしています。
三河の海辺のこの町は 吉良上野介ゆかりの土地です。
平安時代からみんなの心に刻まれているお祭り
「吉良家のお家取りつぶしがなかったら 祭りは どんなものになっていただろう?」と案内人に言われた言葉が何時までも心に残りました。