時間が来ました。 13時半です。
ま ちょっと見た目には 古風な旅館かお屋敷に見えるんですが・・・ここが小松宮彰仁親王の別邸。
小松宮彰仁さんっていったいだれ? 上野公園にある西郷さんの銅像は有名だけれど あそこに馬上の軍人さんの銅像がある。 あの騎乗の軍人さんが親王様だとか
あ~ぁ 見た事あるわ。
伏見宮家の第八王子 幕末維新の変革が無ければ人味の門跡して全然違う人生を送られたはずの親王
お坊さんとして暮らして来ていきなり 徳川追討の錦の御旗を掲げられる。そんなどんでん返しの人生が待っていたんだね。幕末の争いについては色んな立場があってあまり意見言えないけれど 博愛社(日本赤十字社)の創設に尽力を尽くされた方だと付け足しておきます。
さて建物の中は撮影禁止です。 一冊の冊子を買ったので 中の美術品を紹介することもできなくは無いですが・・・・・やめときます。
武人の家と言うよりは 実に風流で上品な建物でした。 あまり大きくはないけれど 随所にすてきな工夫がされています。
中庭を一周して楽寿の間を回れるようになっている屋敷は四つの板戸が廊下にしつらえてあって 順番に回ると春夏秋冬の絵が見られるようになっています。
池に面した廊下はガラス戸がはまっています。 ゆらゆら揺れるように見えるガラス戸です。 子どもの頃質が悪いのだと思っていました。 多分そうでしょう。
でも今これを再現することができないのだそうで 割れると 今の透明な丈夫なガラス戸に変わってしまいます。
楽寿の間のふすま絵も 天井絵もすばらしいです。天井絵には この楽寿館で見られる植物が描かれているそうで その絵は優しい色合いで本当にすてきです。 待合の部屋の花は小さく 親王との対面の間は 落ち着かないように(相談事は長引くと困るのだそうな)でかく迫るように書かれている。 これはおかしい。 ふすま絵の千鳥もざわざわと音を立てているようにさえ見える。
床の間の王朝風俗図 とても綺麗です。
親王様には跡継ぎがなく亡くなった後は 李王朝垠殿下の別邸となる。 言ってみれば人質として日本にやってこられた奥様は 梨本方子様 政略結婚です。
李王朝の別邸となったときにホールが増築されたとか。 これは外からも見えたので少し中を撮せました。
中は少し段差がある作りで バーカウンターまでしつらえた和洋折衷の部屋です。
そんなわけで 庭には韓国の香りのするものもあります。 韓国の灯籠がいくつかありました。 あまり違いわかりませんが。
これに比べ 日本の灯籠はどうでしょうか?
鞍馬石の灯籠だそうで この石の灯籠では最大級 その価値と来たら 昭和27年頃でこのあたりの栃1300坪 100万円の相当したとか。。。。
ぼろぼろになってはがれそうです。
濡鷺型灯籠と書かれている。濡の意味がわからなくて灯籠を見ると 濡の字が書かれている。 ますます 意味がわからない。でも優美な形だ。
こんなすてきな 楽寿館も 売りに出された。 李親王が 世界旅行の費用を捻出するためにあろう事かこの屋敷を売ろうとしたらしい。
え~~っ 元々誰のもの何の?って思ってしまうけれど
三島市は当時お金が無く このままだと名園が切り売りされてしまう。それを惜しんで緒明圭造氏が一括購入したおかげで今の楽寿園があるらしい。 ほっ
駅の真ん前にある三島市の宝物。 歴史と共に歩んだと言うべきか 翻弄されたと言うべきか
ここに住んだ人たちと一緒だね。 水は減ってしまって 一番良いときの様子は時々しか見られないらしいけれど これからも大事にされたい庭でした。
私は、すごい肩こりで、山歩きみたいに少しつづ体動かすのはいいんだけど、テニスとかして走るとむかむかしたり、それでも動いていると落ち着くんですが、乗物で中途半端にほぐれるのが一番悪かったわ。
これ、どらさんには言わない方がいいかもですが、肩こりが治ったわけではないけど、仕事辞めたらいっぺんに体調壊すことがなくなったわ。
素人判断はやめた方がいいけど、何事もあまり固くかんがえず、いい加減に過ごす方がいいと思います。
山はだれでも一歩一歩歩いていたら山頂に着きます。人より時間がかかるだけ、
体調不良は仕事のせい?そうかもしれませんよ。私のように変な形で暮らしている人はそういないと思います。 家族の時間に併せて朝は早いし 自分の仕事で夜は遅いし で 寝不足解消のために昼寝は欠かせず。。。。だからお出かけはその変に規則正しい生活を乱すことになります。 早く仕事やめなきゃ。。。と 思いながらも会社に事情もわかるので何となく続けている これが一番あかん
いいかげんな人間だから たらたらしているとは思うのですが そんな自分に罪の意識があったりして。。。難しいです。
山は一歩一歩歩いていたら。。。。。うれしいですねぇ 私は自分にそう言い聞かせているので 一人の時はそれでも幸せですが 同行者があるととても申し訳なく思うし 同じ価値観を共有できているという自信が無いとそうも行きません。
あ それでもめげずに歩いていますけれどね。
週末のお客さんも帰り しばらくはまた山歩きできそうです。 明日は ツアーですが立山室堂に行って来ます。 白山とはえらい違いやね
現地までバスです。 遠足気分です。
ありがとう 季候も良くなってきたし 頑張るよ。 ところでさえ様 いつボルトが外れるの?
幕末から、明治維新の荒波を、上手く乗り切ったのですね。
李王朝の歴史も絡んでいたのですね。
それにしても、貴重な物が、保護されて良かったです。
お部屋は とても上品で嫌みのない雅さもあってなかなかでした。
梨宮の子孫は学生時代に懇意にしていただいていたので なんだか身近に感じました(勝手に自分の家にするなっ!)そういえば京都の御殿には泊まったことも・・・あまり意味を知らず 惜しいことをしました。