橋から向こうへの道は。。。あらら まるで車でも走れそうな様子。はて? ケーブルカーの駅があったわけでも無いし。。。
と思っていたら あはは やっぱりすぐに山道になったよ。
相変わらず律儀にも町石と仏様のセットが並び 壊れてしまった町石は 新しく作り直して・・・
お陰で自分の位置が何となくみえて安心だけれどね。
12町過ぎて突然の展望
もっと晴れていたら 青く光っていたかも。。。
ちがうかぁ ちょっと肌が違うね?この木には可愛らしい山の守番が・・・
篤志家によって再現されたとのことで 感謝の意を込めた碑まで建っていた。
何じゃ? これは
これは旅館の跡地なんだって
こんな山の上に旅館があった。当時は全国にも知られる有名な旅館だったそうで 本館と別館に別れていて 100畳敷きの大広間もあり 和洋食のメニューは鳥羽の新鮮な魚介類で整えられていたとか。。。
伊勢神宮のそばに東風屋って言う少し高級な料理屋があるけれど ここが元だったのかしら?
昭和19年 ケーブルカーが廃止になって 旅館に来る人もいなくなり 喫茶だけでしばらくやっていたらしいけれど39年に火事で焼けて 本当に廃業
宇治岳道と朝熊岳道の分岐では ケーブルカーが無いと人が訪れることは無理があるな。残念。
ケーブルカーの駅からとうふ屋を経由して金剛證寺までを走っていたらしい。
伊勢神社の内宮から朝熊山までごとごと登っていたボンネットバスもあるよ。
いずれももう残っていない。 乗ってみたかったな。今はみんな車で上れちゃうから 商売にはならないの分るけれど・・・
ちょっと昔を懐かしんでみたり さみしさに浸って見たり 宇治岳道のさきを見つめて あの先にはどんな道が開けているんだろうと 思う。
町石が導いてくれるところなど、高野山の
町石道と同じです。
高野山の宿坊に泊まって南海高野線の
九度山駅まで180町(約22キロ)を
約7時間かけて歩きました。
1町は同じく109mでした。
帰りに寄った大阪造幣局の桜がきれいでした。
もう5~6年前の話です。
山の上に、こんな有名な旅館まであったのですね。
昔は、伊勢神宮のそばの山の上で、一泊して、ご馳走を食べるなんて、とびきりの贅沢だったのでしょう。
大勢の人達が押し掛けていたのですね。
膝は大丈夫だったでしょうか
伊勢というと海のイメージがありますが やはり歴史のある山もあるんですね。
木の肌をみて種類が分るなんてすごい
です。 花を見ないと中々分りませんね。
旅館は火事にならなくても廃業だったんでしょうか 残念ですね とても贅沢なひと時が過ごせそうなのに・・
ケーブルカーの需要も大きかったんでしょう 登山と旅行は別物なんですね。
前に高野山に行ったとき奈良県側から行ったので あんまりに辺鄙で 不安になったことを思い出しました。長石道 あんな様子で長かったら 怖くなって途中でやめたくなるように思います。 だらしがないですね
帰りは表側に降りたのですが やっぱり長かった。
何しろ片参りはだめよ・・・っていわれますからねぇ しかし伊勢神宮のように簡単にはお参りできない。
山岳気分と 信仰と 両方を簡単に満たすことができるのだから人気があったのは当然かもしれません。 それにとうふやのある朝熊峠は とても展望がよくて愛知県まで見えてしまうんだから・・・
伊勢は確かに海ですよ でも山です。 つまり 内陸部は山なので 大体の都市は海沿いにある感じ。 どこにいても海と山はセットです。でも海のある景色って伸びやかでいいです。
こんなところでのんびりすごせるのはとても贅沢なことと思うのですが 人々の気持ちは移ろいやすいですからね。 それに低山といえど 車がないころはロープウェーがなかったら上ってくるひとは 少ないと思います。
栄枯盛衰ですかね?