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ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

官兵衛が夢を見た場所 中津城

2015-01-21 22:45:46 | 旅行記
宿に戻るまでに少し時間があります。
中津へ来たのですから 中津城に寄ってみましょう。
去年 大河ドラマで軍師官兵衛をやっていたので 地元は熱いはずです。
官兵衛は ルーツが京極家の流れを汲み 滋賀県の木ノ本にあると言う事を知っています。

姫路から 九州へ場面を変えてしまいましたが 私も熱い思いで見ていました。(岡田君だったからでは無いですよ)




中津城を扇城と言うそうです。 どうして?
地図を見て解りました。
高瀬川(中津川)と海を天然の堀として作られている様子は確かに扇のように見えます。
このお城は官兵衛が築いた石垣に特徴があるようで 石垣巡りのおすすめコースも用意されていました。
輪取りがあったり 算木積み 穴太積み 野面積 そして古代の山城から持ってきた石を使った石垣やら 色々です。
一周するには時間が足りません。



私にしたら面白い石垣です。 野面でも算木でも無い積み方です。 なんというのでしょうか? 
石には刻印があるものも見られます。


中津城と言っても 当時の城が残っているわけではありません。
残っているのは石垣だけでしょうか?
城は 奥平家歴史資料館になっています。

奥平家?
おや 懐かしい名前です。
黒田家は ここに13年いたのですが やがて福岡に移ります。
その後のことは 案外歴史の中では忘れられてしまいますが 後に(1717年)に奥平家が入城した様です。

奥平家  三河山間部から出た豪族です。 でも奥平家あちこちで名前聞くんです。
私の子どもの頃済んでいた加納に加納城がありました。 そこの城主は奥平信昌  信長に気に入られて信の字をもらったとか
家康には娘の亀姫をもらい出世コースを歩き始めたらしいのですが あまり歴史の表舞台では聞かない名前でした。
私に 思い入れがあるから見つけると嬉しいだけかも
 


あ でも長篠合戦の資料に鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の紹介があってびっくりしました。
奥三河の新城ではみんなの英雄ですが 知っている人そうはいませんよね
いつも もう少しいい絵は無かったのかと苦笑しながら見るのですが 遠くこの地で紹介されているのは嬉しい事でした。


中津川 ずっと先は海に繋がっています。

中津の城下町は官兵衛の統治していた頃に作られたそうです。
町割りや町名にその名残が残っているとか

しかし 大通りはともかく狭い道が多くて 一方通行や鉤道に苦労しました。
「官兵衛さん もう少し広い道作っておいてくれたらねぇ。。。」


関ヶ原の戦いの折 官兵衛が見せた行動は 天下をじぶんの手にするためという説がありますが 私には??です。 この地に立って余計にそんな気がしました。

夕方になって来たので 宿に戻ります。
寒さが 身体を凍らせそうです。

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2 コメント

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中津の町 (おーちゃん)
2015-01-27 20:55:45
新幹線を小倉で特急に乗り換えて大分に入る時に
渡る川がまず、この中津川なのね!

城に見えますが、資料館として建てられたものですか。
りっぱですね。
凍えるほど寒かったの!雨に濡れた敷石を見ると
こっちも震えてきました。
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中津川 (どら)
2015-01-27 21:53:59
そうなんですか?
中津は大分の入り口?
電車に乗ったことが無いので解りませんが 中津川は山国川から別れてある短い川のようですね?

官兵衛の名残を残す物は石垣だけのようです。 13年しかいませんでしたしね
それでも町を整備し 町が元気になる政治を行ったと言う事で地元の誇りなんでしょうね?
ずっと 雪がちらついていたし 何よりも風が強かった。 みんな重装備でしたよ。
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