今日も お天気はまずまず
一歩きは 前から気になっていた岡崎にしよう。 岡崎城あたりの27曲がりが良いな。
久しぶりに乗った名鉄電車。しかも各駅停車。 なんだか行く前から気持ちがのんびりしてしまった。
岡崎公園 つまり岡崎城を中心とする城址公園である。 旧街道を歩いて見ると必ずあるのが街道の入り口出口にある鍵の手 外から攻めにくいように道をわざと鍵の手にしている工夫。
天正18年 当時の岡崎城主田中吉政は入場とともに岡崎の街作りを。。。その時矢作川に初めて橋を架け(それまでどうしていたんやろ? ふべんやな)東海道を城まで引き入れた。となると外敵の侵入が心配。と言うわけで 城まで行くのに 大回りしてくねくねクネクネ回らないと行けない様にした。(防御は間道を使うので良いらしい)
で 27回も回らないと到達できないと言う27曲がりが出来た。その後徳川の安泰が続き27曲がりの意味もなくなったようだけれど。
今日はその27曲がりを歩いて見ます。
27曲がりの資料も欲しかったので駅をうろうろしましたが 無人駅 何処にも置いてなかった。仕方ない 歩き出すか・・・・と西に行ってみると 味噌蔵のある八丁通り
岡崎城から八丁行ったところにあると言うことで名前がついた八丁通り 八丁味噌の工場があります。 赤だしとして有名な味噌だけれど 今では二軒しか無いんだって。どちらも工場見学をしていて たまたま入ったまるや八丁味噌で見学を
ここは何年か前に 宮崎あおいちゃん主演で朝の連ドラ「純情きらり」の舞台だった。
あのとき岡崎市もずいぶん町おこしに力を入れたらしい。 あちこちに当時の出演者の手形も残っています。
味噌樽のモニュメントです。
知らなかった事があった。 私達が八丁味噌と言っている物はいわゆる赤だしではなかった。八丁味噌は生の物で発酵が進んで味が変わってしまうので甘い白味噌と麹味噌を合わせて加熱冷却して商品にするのだと。
今八丁味噌は世界でも注目を浴びていて輸出品は 八丁味噌の方なんだって
どうやって品質管理するんだろう?
麹をまぶした豆を桶に詰めたらこんな重しをして味噌が熟成するのを待ちます。
独特の積み方で 技術がいるようです。
積み石(約60キロ 石積みの城壁を作ります。職人は 一瞬で何処に積むかを決めるのだそうです)
中石(約11キロ 石積みを中から支える物です)
まんじゅう石(約9キロ てんっぺんにおいて石積みのバランスを取っているのだそうで これがあるので かなりの大きな地震でもびくともしないのだそうで)
ドラマでは 宮崎あおいちゃんが子供の頃 味噌蔵で遊んでいて味噌桶に落ちました。
日吉丸は豊臣秀吉の幼名です。 名古屋の中村に生まれた秀吉がこんなところまで来ていたというのも不思議だけれどすぐそばの矢作橋にも 蜂須賀小六と秀吉の逸話が残っているから こんなところまで行動範囲を広げていたんだね すごい 放浪児?
あ そうそう で 日吉丸がこの味噌蔵に忍び込んでご飯を盗み食いしていたところ蔵守に見つかって味噌蔵を逃げ惑う
もはやこれまで・・・と思ったかどうか知らないけれど この井戸に 味噌樽の重しを投げて 井戸に身投げしたように思わせて逃げたんだと・・・
全くずるがしこいガキじゃ。
見学をマンツーマンでしてもらった上に 途中で味噌田楽の振る舞い。 美味しかったよ。
申し訳ないので・・・ってわけじゃないけれど 帰りにおみやげを少々購入。
こんなに洗っても麹菌は生きているのかな?
こちらの方が有名でしょうか? 宮内庁御用達ですから。
まるやさんが手作りにたいして カクキュウさんは工場生産って気がしましたけれど
この通りはきゅう東海道です。
この手前の角を北上し 国一に出ます。
カクキュウの裏側になりますが 良い感じの蔵が続いています。突き当たりは国一です。
そっと手を乗せてみた。
ちっちゃくて可愛い。
「擦って良し 擦らずなお良し 生で良し 煮れば極良し 焼いてまた良し」と言われる八丁味噌は矢作川の伏流水 気候風土 船の利用 等の良い条件が相まって岡崎の地場産業となった。。。と言うことか
ふるさとへ まめを知らせの 旅づとは 岡崎(八丁)味噌の なれて送る荷 吉田松陰
今日も亦 雨かとひとりごちながら 三河味噌あぶりて食うも 斎藤茂吉
カクキュウの大きな敷地を回って国一に出ると 少し高くなっていている。
歩道橋から岡崎城が見える。
まずお城に行ってみよう。
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