関市は日本のど真ん中にあります。
そんな風に子供の頃教えられました。
日本のへそと名乗りを上げる地域があちこちにあるけれど 地理的に見て何処もそう外れるはずも無く このあたりがど真ん中と考えるのは自然です。
どんな町?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/d8/2e7e65e9cbddb55a17e2f0e22554ed76.jpg)
マンホールの蓋に関市の売りが描かれています。
鮎を咥えた鵜と刀鍛冶が描かれています。
関市は鵜飼いと刀鍛冶の町なのです。
小瀬の鵜飼いは今見ることができませんし 私のふるさと岐阜の鵜飼いが一番とうぬぼれていますので ここでは深く触れません。
刀鍛冶の町をたどって散歩してみましょう・・・・のはずだったのですが
タイトルと著しく違う内容の登場です。
駅前で いつも通り地図を見ます。
あれれ お寺ばっかり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/5a/c21723c17f2dc3b09d7bd80a1014e095.jpg)
立蔵寺 千手院 関善光寺 弁慶庵 廣福寺 香積寺 法然寺 大雲寺と
全長800メートルぐらいでしょうか? その中にひしめき合っています。
どうしてでしょうか?
人口がどのくらいか解りませんが とても多いです。 古くから刀鍛冶の町として栄えていたことが関係あるのでしょうか?
で その中の一つ関善光寺に寄ってみました。
でました。 善光寺
元善光寺 なんちゃら善光寺 あちこちに善光寺あるんですよね?
長野の善光寺に対するあこがれでしょうか?
もともと甲斐の武田信玄公が没し甲府城が落ちるときに逃げ延びてきた広瀬新太郎利忠が 関市に移り住んだことから始まっているとの事なので長野の善光寺とは深い関係があるのに違いありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/1e/bb9d6e0c59589de6e8c021c39332721d.jpg)
立派な石垣です。
まるで城郭のようですがそういう歴史は無いようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/10/b3f5fa8618d846cefbe3f215bcb91e03.jpg)
石段を登って境内に入ります。
敷地はさほど大きくない物の とても立派な建物です。
水屋 大日堂 安桜会館 本堂 大仏殿 行者堂 弘法堂とぐるりと並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/39/718eee53204a1933cec3288c417dd2ab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/0f/f175a73bd567dcfb9ae8a8490cbd5aaa.jpg)
本堂は真宗善光寺堂の四分の一で作られているそうです。
寛政14年からのご縁だそうで 善光寺にある戒壇巡りもあります。
ここのは日本で唯一の卍型戒壇巡りだそうですが くらいところ 狭いところ恐怖症で発作が出てしまう私としては 確かめる術がありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/3f/19378b74e4afe9e6a17c219aa11ec95e.jpg)
石垣の上に作られているので町の様子がよく見えます。
静かでこぢんまりした町ですね
桜が優しい感じに色を添えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/14/7f8c7f9ffff0d35002e2cb0d6218ada2.jpg)
大仏殿です。
廣瀬新太郎利忠さんが祖父母の供養のために作った大仏殿。
中に入っている大仏様は500年も前の物で 脇の勢至菩薩 観音菩薩とともに中尊寺から千葉の泉倉寺を経てここまでやっていたとのこと 有り難い仏様なのですね?
もっとびっくりする事は 胎内仏は行基作なのだそうですよ。
ここまで解っただけでも 近隣の人々の信仰を集めている訳が納得です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/a6/1b8f71f0dfa97e0ff7925c04bb8539d5.jpg)
本堂の横の十王堂にこんな怖い仏様がいっぱい。
えんま様とか 賽の河原の仏様とか 要するに 私のような出来の悪い人はあの世で真っ先に会わなくちゃいけない人なんだよね。
○○の沙汰も・・・のお金も持っていないし
なんだか極彩色で 嫌だね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d0/548383d435bd8520bbe728569f5bbffa.jpg)
弘法堂です。
弘法様がお祀りされています。
ご当地お遍路巡りの中で中濃八十八箇所の10番目 新四国八十八箇所二十一番札所だそうです。
そして親切なことに 弘法堂の裏には四国八十八箇所のご分身巡りが出来るようになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/61/c5a7058a10a4727a0b5af5c82377361b.jpg)
また階段を上ります。
鐘楼を見に行くわけですが よく考えたらこの山 安桜山152メートルの中腹に建っています。 散策路が付けられています。
行こうよ
いつもならまず高いところに行きたがる相棒に 却下されました。
私よりヘタレです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/c4/75656e089e991225dfb1185f3f1ec75d.jpg)
太平護国天尊、大明嘉靖庚子歳製(1540)の刻印があります。
明の十二世 世相の時代の鋳造だそうです。
重さ2.6トン 県下最大の鐘をついてみました。
いい音がします。
鐘の上に穴があいています。
これはとても珍しいのだそうですが 穴があいているかどうか確かめたこと無いですからねぇ・・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/68/bf9bdd04512787b56a1393e1474b51db.jpg)
次から次へと鐘をつきに人々がやってきます。
世界平和、国家安泰、仏法興隆を祈って鋳造されたそうですから 何時までもその願いが聞き届けられると嬉しいです。
町をまわらなきゃ・・・と言う相棒の意見ももっともなので ここから町巡りをします。
そんな風に子供の頃教えられました。
日本のへそと名乗りを上げる地域があちこちにあるけれど 地理的に見て何処もそう外れるはずも無く このあたりがど真ん中と考えるのは自然です。
どんな町?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/d8/2e7e65e9cbddb55a17e2f0e22554ed76.jpg)
マンホールの蓋に関市の売りが描かれています。
鮎を咥えた鵜と刀鍛冶が描かれています。
関市は鵜飼いと刀鍛冶の町なのです。
小瀬の鵜飼いは今見ることができませんし 私のふるさと岐阜の鵜飼いが一番とうぬぼれていますので ここでは深く触れません。
刀鍛冶の町をたどって散歩してみましょう・・・・のはずだったのですが
タイトルと著しく違う内容の登場です。
駅前で いつも通り地図を見ます。
あれれ お寺ばっかり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/5a/c21723c17f2dc3b09d7bd80a1014e095.jpg)
立蔵寺 千手院 関善光寺 弁慶庵 廣福寺 香積寺 法然寺 大雲寺と
全長800メートルぐらいでしょうか? その中にひしめき合っています。
どうしてでしょうか?
人口がどのくらいか解りませんが とても多いです。 古くから刀鍛冶の町として栄えていたことが関係あるのでしょうか?
で その中の一つ関善光寺に寄ってみました。
でました。 善光寺
元善光寺 なんちゃら善光寺 あちこちに善光寺あるんですよね?
長野の善光寺に対するあこがれでしょうか?
もともと甲斐の武田信玄公が没し甲府城が落ちるときに逃げ延びてきた広瀬新太郎利忠が 関市に移り住んだことから始まっているとの事なので長野の善光寺とは深い関係があるのに違いありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/1e/bb9d6e0c59589de6e8c021c39332721d.jpg)
立派な石垣です。
まるで城郭のようですがそういう歴史は無いようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/10/b3f5fa8618d846cefbe3f215bcb91e03.jpg)
石段を登って境内に入ります。
敷地はさほど大きくない物の とても立派な建物です。
水屋 大日堂 安桜会館 本堂 大仏殿 行者堂 弘法堂とぐるりと並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/39/718eee53204a1933cec3288c417dd2ab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/0f/f175a73bd567dcfb9ae8a8490cbd5aaa.jpg)
本堂は真宗善光寺堂の四分の一で作られているそうです。
寛政14年からのご縁だそうで 善光寺にある戒壇巡りもあります。
ここのは日本で唯一の卍型戒壇巡りだそうですが くらいところ 狭いところ恐怖症で発作が出てしまう私としては 確かめる術がありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/3f/19378b74e4afe9e6a17c219aa11ec95e.jpg)
石垣の上に作られているので町の様子がよく見えます。
静かでこぢんまりした町ですね
桜が優しい感じに色を添えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/14/7f8c7f9ffff0d35002e2cb0d6218ada2.jpg)
大仏殿です。
廣瀬新太郎利忠さんが祖父母の供養のために作った大仏殿。
中に入っている大仏様は500年も前の物で 脇の勢至菩薩 観音菩薩とともに中尊寺から千葉の泉倉寺を経てここまでやっていたとのこと 有り難い仏様なのですね?
もっとびっくりする事は 胎内仏は行基作なのだそうですよ。
ここまで解っただけでも 近隣の人々の信仰を集めている訳が納得です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/a6/1b8f71f0dfa97e0ff7925c04bb8539d5.jpg)
本堂の横の十王堂にこんな怖い仏様がいっぱい。
えんま様とか 賽の河原の仏様とか 要するに 私のような出来の悪い人はあの世で真っ先に会わなくちゃいけない人なんだよね。
○○の沙汰も・・・のお金も持っていないし
なんだか極彩色で 嫌だね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d0/548383d435bd8520bbe728569f5bbffa.jpg)
弘法堂です。
弘法様がお祀りされています。
ご当地お遍路巡りの中で中濃八十八箇所の10番目 新四国八十八箇所二十一番札所だそうです。
そして親切なことに 弘法堂の裏には四国八十八箇所のご分身巡りが出来るようになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/61/c5a7058a10a4727a0b5af5c82377361b.jpg)
また階段を上ります。
鐘楼を見に行くわけですが よく考えたらこの山 安桜山152メートルの中腹に建っています。 散策路が付けられています。
行こうよ
いつもならまず高いところに行きたがる相棒に 却下されました。
私よりヘタレです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/c4/75656e089e991225dfb1185f3f1ec75d.jpg)
太平護国天尊、大明嘉靖庚子歳製(1540)の刻印があります。
明の十二世 世相の時代の鋳造だそうです。
重さ2.6トン 県下最大の鐘をついてみました。
いい音がします。
鐘の上に穴があいています。
これはとても珍しいのだそうですが 穴があいているかどうか確かめたこと無いですからねぇ・・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/68/bf9bdd04512787b56a1393e1474b51db.jpg)
次から次へと鐘をつきに人々がやってきます。
世界平和、国家安泰、仏法興隆を祈って鋳造されたそうですから 何時までもその願いが聞き届けられると嬉しいです。
町をまわらなきゃ・・・と言う相棒の意見ももっともなので ここから町巡りをします。
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