済州島の歴史をほとんど知らない。 私が済州島へ行ってくると言ったら ネットの仲間が「あそこは昔ゲリラ戦で苦労したところです。」と教えてくれた 何時の闘いで? あの朝鮮戦争だろうか?
そんな事を心に少ししまって出かけた済州島。 耽羅王国発祥の地に出かけた。済州島には 高・梁・夫という三つの姓があって 耽羅王国に深く関係しているのだと
三姓穴という場所がある。 地面に三つの穴が開いている。 済州島の三神人はこの穴からひょこっとでてきたのだと信じられている。
ここにある日碧浪国(どこや?)の姫が三人 五穀の種子と家畜を持って船でやってきた。 三人で良かったぁ
どっちが良いとかいう仲間割れも無かったらしく(ごめんなさい茶化して)配偶者に迎えて 農耕生活が始まる。
これって単に結婚したと言うだけではなく 文化 暮らしの融合と考えるとすごいことなんだよね。
三姓穴は 神話にムキになることも無いけれど 息の詰まりそうな小さな穴で その神秘性は周りの木々が穴の方向にお辞儀するように引き込まれているので 私も力を感じるよ。
婚姻址 ここには行っていないけれど 婚礼のために身を清めた池があり 神房窟は婚礼の初夜を過ごしたところだそうだ。 写真で見るとやはり小さくて 三つの洞穴がくっつくように並んでいるので ここで初夜を?・・・と いらんことを考えてしまった。
それぞれの伴侶を得た三神人は 今度は住む場所を決めないといけない。 弓を射て突き刺さった石からそれぞれ治める場所を決めたそうだ。
こうして豊かな国となった耽羅王国を大事に思って今でも年に二回 春 秋と乾始大祭を行っているそうです。
オモニの知り合いにもここの出身者がいて大祭に参加しなくてはいけないんだけれど 日本にいて参加できないと言うのでオモニはいっぱいの写真を撮ってメールで送っていた。 喜んでいるかな? きっと喜んでいるね? 自分たちの原点だもの。
そんなふうに出来た国も小さな島故に 独立を貫くことは難しかったらしく やがて百済 新羅 高麗などに服属されやがて李王朝に統合されたとのこと
チェジュの人々は穏和で戦争が嫌いだったのかもしれない。
済州島から戻ってしばらくしてから 亭主から新聞の特集を渡された。それは1948年の4・3事件のことが載っていた。 とても痛ましい事件だった。韓国現代史のタブーとしてながいあいだ蓋をされてきたことらしく 私は全く知らないことだった。(生まれる前と言うこともあるけれどそれ以上にこの国の歴史に目をつむっていたのかもしれない)
そんな国だったけれど ちょっと見た目は 綺麗なリゾート地で 美くしい海 美しい島だった。
私はどこに行くのも事前に知識は入れて
行きません。
実際に現場で感じたほうがよいと思っています。
今回のブータンでもガイドブックを持って
きていて、ガイドの説明に口を挟んでいる
嫌なおばさんがいました。
口にチャックをしてやりたいくらいでした。
ところで漢拏山には登ったのですか?
この島は昔から韓国の若者が新婚旅行
にくるところだといわれていました。
ビザが必要な時代でもこの島だけは
ビザなしで日本からも行くことができた
ようです。
私の仲間は登っていますが、私はまだ
です。
いつか登りたいとは思っているのですが・・・
済州島の長い歴史の中では、4.3.事件は、小さな出来事ことでしょうね。
でも、今、生きている人々には、大きな傷跡を残しました。
これには、南北朝鮮の、問題が背景にありましたが、朝鮮占領に関わった、日本を始め、欧米列強の利己主義を、無視するわけには行きません。
共産主義のソ連の南下を恐れた、米国が、傀儡政権を建てて、韓国を独立させるのですが、朝鮮半島の真の独立を願う、民衆は全国にいたのです。
それに呼応する勢力が、済州島にもいたのですね。
全部がそうでは無かったのですが、米国には、それが許せなかったのでしょう。
あのような、悲惨な結果になりました。
長い間、タブーとして、ベールに包まれた
ままでしたが、金大中大統領の時に、真の歴史を解明しなければならないとして、
事実が明らかになり、名誉が回復されました。
しかしハングルも読めないし 行ったとこ勝負です。でも親切なガイドさんと友達のおかげでいろんな事を知ることが出来ました。それはとても微妙でデリケートな部分もありましたが それをきちんと知ることが 次に繋がる事だと思っていますので 出来るだけの努力をしたいし 伝えていきたいと思っています。
済州島の歴史にとって4.3は小さな事ですか? 割合近い歴史だし 何万人もの人々の命がうばわれた事を思うとつらい気持ちになります。
私が何時もオモニに合うときに感じていた引け目のようなもの あまり政治的な話題は避けたいと思ってしまうこと。。。みんなそんなところから来ているのかもしれないと思いました。
はっきりした根拠は無いのですが耽羅王国は 心豊かな美しい国だったと思いたい。 ハンラサンの懐は作物を育てるに大変な土地だったろうし もともと流刑地とされたぐらいの場所 それでも心豊かな国だったのだと。。。