馬籠の展望台は実に気持ち良い。 目の前にでっかい恵那山がそびえる。 恵那山は私が分け合ってまだ行けてない山だ。 あこがれと こだわりがない交ぜになってなかなか決心が付かない。
左の方に目をやると 富士見台の笹原が見える。また秋行かないとねぇ 美しい山並みだ。
うちの方ではすっかり見なくなってしまったはざ掛けのの様子。 これが綺麗に並んでいるのを見るのが好き。 この辺りは まっすぐだけれど 丸いはざ掛けも見たことある。 農家の暮らしも見える。
斜面に張り付くように立っている家の回りには畑があり洗濯物が元気にはためいている。
ここから馬籠の宿場町が下る。かなり急な坂道を降りていく感じである。
どうした事よ 人が湧いて出てきているよ。手にるるぶや東海ウォーカー持った若者がひっきりなしに
そうか 今日は日曜日だったんだ。それにしても何だろう? このすごい人々は
あ写真は人のいない間を狙いました。
時間もお昼時 それぞれにお店に入る事にしたけれど 選べる状況ではなく 開いている店を探すのみ。 私はざるそばを
食事後少し散策をしながら落合の宿に向かうわけなのだけれど 人数が多いのと時間的な理由もあって藤村記念館などはすべて素通り 唯一向かったのは藤村の墓があると言う永昌寺のみ。 折角東京からいらしたのに 何だかもったいないな。
馬籠の一番賑やかな宿場町を抜けると 眼下に農村風景が飛び込んでくる。 中央高速を走っているとき あるいは富士見台へ行くとき目にする 私の好きな風景の一つだ。
農村景観日本一という称号をいただいたと言われる場所もこの近くにある。
馬籠城址 室町時代は武田の領地だったらしいがここに砦があった。その後織田信長に そして豊臣秀吉傘下の木曽義昌が納めたらしい。木曽路の重要な要だったのだろうな
お寺の庭だったのだろうか? それともお城の堀に繋がる池? 蓮の花が咲いていた。
新茶屋の一里塚跡 反対側に古墳のようにこんもりした建造物があったので跡から一里塚作ったのかと思ったけれど そうでも無いらしい。 何だろう?
これより美濃路に入る。
美濃路 ここでそう言われてもまだぴんと来ないけれど 確かに東濃に入ったのだ。
美濃は私が子ども時代を過ごした場所だ。 どんな風に繋がっていくか楽しみ。
こんな上の方まで田圃があるなんて、水が引けるのですね。
大きな山の懐が広いので、水も豊富なのでしょう。
馬篭は、2,3度寄りました。
信濃(長野県)のころですが、今は、中津川に編入されたのですね。
国境の標も、移し替えたのでしょうか。
また、たくさんの差し入れ、ありがとうございました。
やはり自然を愛する者同士です。
みんなもすぐに打ち解けてくれたようです。
馬籠宿も昔来ているのですが、すっかり
イメージが違っていました。
人が多くてビックリしました。
恵那山には特別な思い出があるようですね。
どっしりと構えたよい山でした。
生活の利便性からの選択だと聞いていますが。。。これより北は木曽路の碑は 最近できたものでは無いと思いますが 国境の碑は最近のものかもしれませんね
最近 美しい農村風景に縁があって そのたびに歓声を上げて見入っています。稲もたわわに実っているようです。 自分の田んぼでは無いけれど嬉しいです。
多分名古屋近辺からやってくるにお手軽に雰囲気を楽しめる場所なのでは無いでしょうか?
山に行くようになってから 人のいるところを避けるようになったのでここの人の多さは衝撃でした。
山小屋さんのお仲間は一人一人しっかりしたものをちゃんと持っていらして きちんとしていらっしゃるから 私も嬉しい出会いが出来ました。本当に感謝しています。ありがとうございました。
湯布院から大分方面の国道沿いは農村風景が暫らくつづきます。
今日も通ったけど昨日今日とすごい雨で写真は諦めました。
同じ由布市の狭間町 庄内町は稲刈りはまだのようです。
大分の人が 地元の自然をとても大事にしているのだと 思いました。
稲刈りはこの間なさったのでは・・・ 中津川や 前に行った姨捨は稲が真っ黄色になるまで自然の中 私の住んでいる安城では まだ青いうちに刈ってしまう。だからあんまり美しい畑や田んぼを見られないのです。
作家藤村の人間性をボクは好きになれません。従姉妹に子供を孕ませて外国へ逃げたり、教え子と関係を持って学校を辞めたりなど・・・
何かの本で (こんなこと書くと木曽の人々を冒涜する事になりそうで嫌だけれど)この辺りには 性に対する風習のようなものがあって割とルーズなのだと せまいのなかで こういう事はみんな平気だったのでしょうか?
大黒屋 私たちが食べた店は何処だったのだろう? ざるそばは美味しかったけれど 亭主が頼んだ温かいそばは変に甘くて 三河の味とはずいぶん違っていました。