Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

鼓童にふれる旅Ⅱ

2012-05-10 22:29:35 | 旅行記

鼓童はいま生活の3分の1を国内 3分の1を海外 3分の1を佐渡で過ごしています。

目指すはワンアース(ひとつの地球)です。 多様な文化や生き方が響き合う事を目指しているのだそうです。

実践は公演活動はもちろんでしょうが 普段の生活の中でそれを目指して活動しているようです。

宿根木の山の中に鼓童村を作って研修所を設けています。 そこで広く社会で活躍出来る創造性を持った人材を育成しているのだそうです。 研修生は何百人も受験しても8人ほどしか合格しません。 それだけでも充分厳しいのですが 暮らす 学ぶ 作るを基本として掲げている鼓童の研修生は 大変だろうと思います。 

公演中でもあるので佐渡太鼓体験交流館だけを覗くことにしました。

Kouryuukan
朝早いので 貸し切り状態です。

ここで10時から予約はいりますが太鼓の練習があります。

今日は先もあるので ここで小一時間自由に遊ばせてもらいました。

このたたこう館は活動の一つである 地域活性化を目的としています。

案内をしてくださったお兄さんは 10じからのレッスンを準備しながらもとても丁寧で楽しく教えてくれました。

Butahanacyanぶたはなちゃん

これ太鼓です。

ケヤキの木をくりぬいて作りました。 ふるさとは新潟の柿崎善導寺だそうです。

樹齢600年のこの木は直径160センチもある大木でしたが中が腐り始めて 枝が落下するようになってしまいました。

住民に危険だと言うことで切り倒すことになり それを「木と遊ぶ研究所」と「鼓童村のケヤキ太鼓作りプロジェクト」が協力し合って作った太鼓です。

とても綺麗です。 600年も頑張ったケヤキの木  素敵な太鼓に生まれ変わって喜んでいるでしょうね?ケヤキはとても重くて硬い木なので音を良くはね返す性質があって 太鼓には適しているのだそうです。

それにしても ユーモラスな名前がついています。 ま 誰でも納得しますけれどね。

Mimi
太鼓の皮は牛さんです。

よく見るとおなかの模様が何となく見えます。 太鼓の脇にある丸いのは耳だそうです。 牛さんの皮とは思えない堅さですが・・・・ ここに棒を突っ込んで締め上げるのに使うのだそうです。

私の住む愛知県には太鼓を作る職人さんがいる町があります。

何処で作っているのかと聞いたら浅野太鼓だそうです。石川県ですね?

Taiko
nobuさん とっても楽しそうです。

ずんずんと身体に響きます。ko-ichiさんが惹かれた太鼓に彼女もとりつかれています。

Nagaimokunnこれは長いもくん

自然の木を遣って作ってあるので両側の円の形が全く違います。

場所によって音も全く違います。 

Suwaridaiko_2
これは座ってたたく太鼓です。

正座ではありません。 足を投げ出して太鼓の台のくぼみに足を引っかけます。

そのまま反り返ってたたくわけです。

腹筋が鍛えられます。 いま私に一番必要な運動ですが・・・・

あかん 考えただけでおなかの筋肉がつりそうです。

これをやっていた研究生 圧巻でした。

Beranda
たたこう館のベランダに出ると 大佐渡山脈が見えます。

雪をかぶった金北山は 島のようです。

手前の半島の向こうに真野湾があります。 佐渡とは思えない景色です。

こんな美しい しかし欲しいものが簡単には手に入らないところで活動をしています。(もっとも欲しいものは 俗っぽいものでは無いでしょうから関係ないでしょうね)

農作業をし 魚をさばき 生活から生まれた芸能だから 祭りにもどんどん参加します。

まだ 本当に分かったとは言えませんが これから機会を見つけて鼓童とどんどんふれあって行きたいと思いました。

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鼓童にふれる旅Ⅰ

2012-05-10 18:40:14 | 旅行記

今度の佐渡の旅で 一番の目的は鼓童の演奏を聴くことだった。

nobuさんにとってko-ichiさんとの思い出がとても深い。 それは一緒に行った事があるという程度のものでは無かった。 鼓童の創設者の一人である藤本容子さんはko-ichiさんの従姉妹であり その後主人は鬼太鼓座の頃からのメンバーだった。

何年か前に宿根木を訪れて鼓童村で太鼓たたきの体験もしたko-ichiさんは鼓童に特別な思いを抱いていたらしい。

さて 鼓童の佐渡公演は一週間ほど行われて28日は二日目 宿根木の公民館で行われるので両津から車で走らなければならない。 ジェットフォイルで渡ったので3時間ほどのゆとりがあり心配はしていなかったけれど

あらら? 宿根木には簡単に来られたけれど お宿の花の木が・・・・nobuさん すっかり忘れたのだそうで

あっちへ行って聞き こちで聞き

おや あそこですよ 幸せ地蔵さんの横  あ!洞窟も前に来たとき寄れなかった場所だよ

Hananokiチェックインだけして飛び出す。

宿根木の公会堂までは歩いて10分ぐらいらしい。

ふんふん 見えるではないか

懐かしい。

Nobori
立派な幟が立っている。 佐渡国鼓童 その前身佐渡国鬼太鼓座はここから生まれた。

いま板東玉三郎さんのプロデュースによる打男も結成されて 日々多様な芸能のあり方を研究してとどまることを知らない。

実は5月の27日に 私の住む隣町にも公演にやってくる。

でもここで生まれた鼓童の演奏は隣町での演奏とは違うだろう。

そう思うとどきどきしてくる。 両方を比べようもないけれど 

Stage宿根木の公会堂。 かつて北前船が出入りしていた頃の芝居小屋?

近くに小学校の廃校を利用した資料館もあったので学校の公民館だと思ったのだけれど

花道もある。 回り舞台もあったらしい・・・とのこと

らしい・・・というのははじめ保存状態がひどく ガラスももう落ちてしまっていて みんなで掃除したり ガラスをはめたりしてここまで作ったのだとか

演奏は 期待を裏切らないどころか 大興奮の演奏だった。 身体にずんと響くリズム 容子さんの美しくつやのある歌声 児島千絵子さんの踊り どれも心の琴線に触れるすばらしいものだった。

息を潜めてばちを振り上げる刹那の高揚感と言ったら・・・・・一緒に太鼓の神様が乗り移ったような気がしてくる。

それをうまく伝えられないのがもどかしい。

Kenkyuuinn

Kenkyuuinn2_3ステージでも大活躍した鼓童の研究生達が お見送りの演奏をしてくれる。

この日 夜になって藤本さんご夫妻が花の木まで訪ねてくださって 晩ご飯を一緒に取ることになる。 私まで・・・とちょっと気になったけれど そんなこと忘れてしまうぐらい話に花が咲いて 夜の更けるまで話し込んだ。

何時までも太鼓に拘り生涯現役という吉利さん 太鼓のことになると子供のようにきらきら目を輝かせる。 還暦も超えて お酒も たばこも止め・・・・ いま彼を突き動かしているのは太鼓

容子さんは 吉利さんを支えて二人で楽しんでいる感じが伝わってくる。 鼓童村を作って若い人材を育てている。 東京の都会で育った彼女を ここまで駆り立てるものは何だろう?と考えた瞬間もあったけれど きっと感性が惹かれた。只それだけなんだろうな

あまりに素敵な一夜だったので ごちそういっぱいあったけれど 何を食べたのか記録するまもなく。。。。 

明日は 鼓童村で太鼓をたたきに行きます。 お二人も来てくださるとのことでしたが 公演前にそれはいけません。 丁重にお断りして 二人で行くことに

その後お二人のおすすめの場所を回ることにしました。

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はぁ~ さど~へ~ 佐渡へ~とぉく~さ~きはぁなびぃくぅ~よ♪

2012-05-10 16:25:38 | 旅行記

2月の終わり nobuさんからメールが入った。

「佐渡へ行きませんか?」

Ryoutu

実はnobuさん 最近ご主人を亡くされていて 一度もお会いしたこと無いのだけれど 何年も前からブログを通じてお二人の仲良く寄り添って過ごしていらっしゃる姿を素敵だなぁ・・・と見ていたので その訃報は私に取ってもかなりの辛い結果だった。

二年ほど前に お二人でこちらの方に遊びにいらっしゃると言うことで 会いに行こうと思ったけれどその頃仕事をしていたので都合つかず。

そのうちnobuさんのブログが更新滞りはじめ  どうしたんだろう?と思っていたらko-ichiさんが病気で入院されていたようだと言うことを知りました。

入退院を繰り返していらっしゃるようで 詳しい事を書かないnobuさんの様子からも大分悪いのでは。。。。そうでないと良いけどなぁ。。。。と確かめて安心したいばかりに毎日更新のないブログを訪ねていた。

そして1月26日 ko-ihiさんが亡くなったと言う決定的な 一番避けたかった更新がされていた。 おかしなもので知らず知らずのうちに時間を 楽しみを共有していたようで 亡くなったと言うことを知ってから涙が止まらなかった。

私に出来ることは何も無く それでも父を亡くしてから私が感じたことを思い出し nobuさんに

「少し気持ちが落ち着いたら 旅に出かけましょうか? いつでもお供しますよ。」と書き込んでおいた。

Yamanasi

そのことが nobuさんの心に伝わったのか お誘いのメールが来た。

「鼓童の演奏を聴きに行きましょ」

そうそう 私がどんでんから金北山へ歩こうと佐渡へ出かけたのも このご夫婦の佐渡の記事を見たことが引き金になったのだった。

そうだ nobuさんご夫婦と共有できる話題がある。 一緒に思いでを辿る旅にしよう。 これからの新しい思い出を作る旅にしよう。

Sawazaki

こうして4月28日 佐渡へ向ったのです。

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歩いて巡礼る 知多四国 4番札所延命寺

2012-05-02 11:56:13 | 旅行記

次は二キロほどの行程

気楽に考えていたけれど 実は前の時は大失敗。 行っても行ってもたどり着けなくて お昼に入ったお店で聞いたことがある。 サービスをする女ここはとても若くて お遍路さんの事さえ知らなくて 地図を見せながら教えてもらった。

実はさほど違っていなかったのだけれど 大回りをしてしまったらしい。 道が平行にあるから良いと思っていたら どんどん離れていって 一緒になるまでひどく時間がかかってしまった。

Enmeijisanmon
155号線をひたすら歩き消防署前 あるいはその先の信号で左に折れる。

うんうん 懐かしい風景です。

延命寺山門 

とても立派です。阿吽の金剛力士像があり 二階層には手すりが付き 屋根にはりっぱな鬼瓦が乗っています。

Hondou4天台宗 宝龍山 延命寺

ご本尊は延命地蔵菩薩です。

丁度お昼が近くなったからでしょうか? 本堂右手に テーブルや椅子がしつらえてあって お茶やらお漬け物の接待がありました。

私は 先を急ぎます。

Daisidou4刺繍普賢菩薩(県指定文化財)

大般若経6百巻 両界曼荼羅 十王図 仏眼仏母曼荼羅 般若16善神 花鳥図 布袋 中世古文書8点 阿弥陀如来座像(市指定文化財)

文化財の宝庫のようです。

Daisidou42
あっちこちに腰を下ろしてお昼を食べている人々を尻目に 今のうち・・・と次の札所へ向う。

うん  今日は足の調子もなかなか良いよ。

Ukonお寺の右手から次へ行こうとすると 何と鬱金桜

ぼってりしていて綺麗。

さて 普通は4の次は5というわけで 次に行くのは地蔵寺のはずだけれど 名鉄のコースも その他のガイドブックも全てここを飛ばして6番札所に行くように勧めている。

確かに少し遠い。 84番札所のあたりに組み込むのが効率は良さそうだけれど

この札所の番号にはどんな意味が込められているの? たとえば反対向きに回るとさかうちと言って無くなった人に会えるのだとか・・・とすると 順番を変えるのはどうも気持ち悪いのですけれど・・・・・

Enmeiji

と言いながらも 軟弱な私 あえて逆らうほどの元気はありません。 今回は素直にメニュー通りに進みます。

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