弥高寺も後に京極氏が城として使ったようですが 隣の尾根には上平寺城があります。
支尾根の一つを利用して作られていることは弥高寺も一緒ですが上平寺城は京極氏の館跡の上の方に有り 町を含めて中世都市の形が残っているようです。
ドライブウェーの手前 二つ目の尾根まで行くのかな? 谷を二つ越しますが かなり難儀なトラバース道です。
紅葉が美しいのが嬉しい。
20分ほど気を抜けない道が続くというのでちょっと緊張しています。
前に来たときはさほど感じなかったのですが 危険な道は今回は下りになりますから
この中に入って水だけを飲み仏になるのを待つ。
なんだか良い気持ちがしないのですが ここで何人の方が成仏されたのでしょうか?
中にもう一つ扉があるそうですが 私のように意志の弱い人間は途中でや~めたって言いそうで それが出来ないように閉じ込めておくって事でしょうか?
ブルブル
深く下の方まで切れ落ちているのでもしもの時は相当の覚悟が必要なようです。
木々が植わっているのでさほど厳しい道に見えませんが 道は狭いところは立つのがやっとで しかも足下悪いです。
下りになっているのでうっかりすべると谷底へまっしぐら・・・・
この日の私 どうしてか足に力が入らず とっとっと・・・・となって止まれないことが何度かあって 肝を冷やしましたが 20分ほどのトラバースは何とか終わりました。
左右の堀切はとても深いです。 今では土やら落ち葉やらで大分埋まっているでしょうが 作られた頃は50メートルとかの高さまで削られていたのでは無いかと
弥高寺にも堀切はありましたがここまで深くは無くやっぱりアレはお寺だったのだ・・・・と
特にここは美濃との境 織田信長を意識して国境整備の城としての役割を持っていたようで 浅井長政の手が加わっているようだと言うことでした。
いくつもの堀切は深く 下の方は手の指のように放射状に何本も通っています。
こんなに堅固と思われる城もやがて役目を終える・・・・これが歴史って言う物なのでしょうか?
こんな深い堀切を どうやって作るんだろう? すべって落ちていかないの?
その答えはまだ見つかりません。 誰か教えて
さっきの弥高寺跡が見えます。
真ん中の台地のようなところがそうです。
近江のマチュピチュって言うのも なるほどね
斜面をよいしょよいしょと登りますが ここは本丸への道では無かったようです。
上平寺城跡を整備したときに付けた道のようです。
虎口は 反対側東の方にあったようでした。
今日はここでも狼煙が焚かれたらしいですが 私達が行ったときにはもう片づいていて跡形もありませんでした
二年前に来たときには草がいっぱいでしたが綺麗に刈られて気持ちの良い広場になっています。
実は一月前に同じコースを歩く計画があってその時にの人達が道の整備をしたり草刈りをしてくださったようなのです。 雨で流れましたけれど
上平寺城本丸に続く道は 一本道です。 ぱっと見た目よそのお城にあるような複雑な構造は撮っていません。 まんなかのに登城道が有りその左右にいくつかの曲輪が続きます。
それでも 城を守る工夫はいっぱいあります。
いくつかの掘り割りはもちろんですが 真ん中を通るしか無いに対して上のどの建物からも攻撃は可能で やっぱり戦を意識した城だと感じます。
こんな風に正面と側面を厚くて高い土塁で囲み枡形を作ったと言う工夫は朝倉氏の援助を受けて改修したようで 堅固な城になりました。
弥高寺からトラバースして上の方から上平寺にやって来ましたが このあたりで城の縄張りを離れるようです。 京極氏の館跡に降りていきます。