世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

海外で一旗揚げる

2014年04月21日 | 国際
アメリカンドリームというものがあった。


アメリカン・ドリーム(American Dream)とは、

アメリカ合衆国における成功の概念であり、

均等に与えられる機会を活かし、

勤勉と努力によって勝ち取ることの出来るものとされた。



つまり、

誰もが機会を得て、天与の能力を可能な限り発揮し、

より充実した豊かな生活を追求していけるという、

アメリカという土地特有の「成功の夢」だったのだ。


独立宣言でうたわれた、

幸福を追求する権利、自由な競争、機会の均等、などの原理を拠りどころとし、

個人の欲望とアメリカ人としてのアイデンティティーを橋渡しする価値観、レトリックである。




歴史を遡れば

18世紀のアメリカ黎明期においては、

ヨーロッパに比べ、出自や身分が決定的な役割を果たすことが少なかった。


黄金郷の探索や豊富な地下資源のもたらす巨万の富など、

志を抱き、情熱を燃やした多数の人間がヨーロッパから新大陸へと渡ってきた。


そんな中、「アメリカン・ドリーム」という言葉は、

そんな彼らの荒唐無稽で不遜な夢を奨励し、鼓舞し続けた。



独立宣言書を起草したトーマス・ジェファーソンは、

自ら構想した独立宣言において、

ジョン・ロックが『統治二論』で不可侵の権利として挙げた「生命、自由、財産をめぐる権利」という言葉を、

「生命、自由、幸福の追求の権利」に書き換えた。


これは、国家レベルにおいて夢を見るという行為に価値が付与され、

アメリカの起源として重要な意義を持つこととなった。


やがて迎える西部開拓時代に先立ち、

アメリカ第6代大統領ジョン・クィンシー・アダムズは、

1802年、プリマス上陸二百年祭の演説において、バークレイ主教の詩の一説を引用し、

「帝国の進路は西を目指しゆく」と叫んだ。


大西洋岸に到着した彼らの夢は、帝国拡張の必然的経路として際限なく広がる「未開」の西の大地へ向けられた。


ホレス・グリーリーの「若人よ、西部を目指せ」の言葉どおり、

1862年に成立した自営農地法は、虐げられてきた者たちの、土地所有の夢を実現させるに至った。



その後、麻薬・銃・犯罪が人心の荒廃をもたらし、

家族制度が空洞化すると共に、「アメリカの夢」は徐々にその形を変え、求心力を失っていく。


1992年のロサンゼルス暴動が明らかにしたように、

人種・民族・世代間の軋轢(あつれき)が高まるにつれ、

「夢」の分化、モザイク化も着実に進行した。


企業の合理化戦略の推進などによる中産層の二分化は、

物質的豊かさを求めるばかりが「夢」ではない、という認識を広めもした。


にもかかわらず、

以降も持ち家を実現するための住宅ローン支援政策等を重視しているなど、

このアメリカ固有の精神、ビジョンは、依然として変わらぬ潜在力を保持している。

                  (WIKIPEDIA参照)




日本でも、バブルの頃ジャパン・ドリームの兆しがあった。

だが日本にはそうしたベンチャーの風土は育ちにくい。


それどころか、

ますます日本は住み辛い国になっている。


人口は減り、高齢化は進むばかり。

社会保証も先細りで安全保障も脅かされている。


アメリカンドリームも今は昔になっている昨今、

どこに向かって夢を抱けばいいのか。



夢と希望をなくした人間や国家は滅びる運命にある。


夢の矛先は、今や東南アジアに見出すことができる。

サウスイースト・エイシアン・ドリームだ。


東南アジアで一旗揚げたいという人々が増えている。



ただ、一旗の揚げ方は明らかに変化している。

アメリカンドリームは資本主義の論理にのっとったものだった。


具体的に言えば、

株主価値の最大化や市場経済の効率性を最優先とした「米国型資本主義」だ。


だが、今やアメリカにおいてさえ、

08年9月に起きたリーマン・ショックが大きな転機となり、

行き過ぎた市場主義や、

富の一極集中や自らの報酬を極大化することに邁進した

「グリーディー・キャピタリスト(欲深い資本家)」を批判する方向に傾いている。



結果、

「クリエーティング・シェアード・バリュー(CSV)」と呼ぶ概念が芽生え、

社会と企業の共栄共存を目指すことが、これからの企業に求められるようになった。


こうした新たな角度からビジネスをとらえ直し、

社会問題の解決を営利企業が担う「社会的企業(ソーシャル・エンタープライズ)」や、

低所得者層向けのビジネスを追求する「ベース・オブ・ピラミッド(BOP)」

などといった新機軸を探る動きが出てきた。




今、東南アジアに夢を求めるとき、

旧態依然としたキャピタリズムの論理を持ち込むのではなく、

「ソーシャル・エンタープライズ」の思想こそが


真に国や人間を発展させるものだと信じる。




そこを間違ってはいけない。


かつて発展途上国は搾取と奴隷の源であった。


だが今、日本のような成熟国家にあって

そのエネルギ-たるや見習うものが多い。


リスペクトと幇助の精神こそお互いの発展を約束するものである。



先のホレス・グリーリーの言葉を借りるならば、

「日本人よ、東南アジアを目指せ」となる。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする