アメリカンドリームというものがあった。
アメリカン・ドリーム(American Dream)とは、
アメリカ合衆国における成功の概念であり、
均等に与えられる機会を活かし、
勤勉と努力によって勝ち取ることの出来るものとされた。
つまり、
誰もが機会を得て、天与の能力を可能な限り発揮し、
より充実した豊かな生活を追求していけるという、
アメリカという土地特有の「成功の夢」だったのだ。
独立宣言でうたわれた、
幸福を追求する権利、自由な競争、機会の均等、などの原理を拠りどころとし、
個人の欲望とアメリカ人としてのアイデンティティーを橋渡しする価値観、レトリックである。
歴史を遡れば
18世紀のアメリカ黎明期においては、
ヨーロッパに比べ、出自や身分が決定的な役割を果たすことが少なかった。
黄金郷の探索や豊富な地下資源のもたらす巨万の富など、
志を抱き、情熱を燃やした多数の人間がヨーロッパから新大陸へと渡ってきた。
そんな中、「アメリカン・ドリーム」という言葉は、
そんな彼らの荒唐無稽で不遜な夢を奨励し、鼓舞し続けた。
独立宣言書を起草したトーマス・ジェファーソンは、
自ら構想した独立宣言において、
ジョン・ロックが『統治二論』で不可侵の権利として挙げた「生命、自由、財産をめぐる権利」という言葉を、
「生命、自由、幸福の追求の権利」に書き換えた。
これは、国家レベルにおいて夢を見るという行為に価値が付与され、
アメリカの起源として重要な意義を持つこととなった。
やがて迎える西部開拓時代に先立ち、
アメリカ第6代大統領ジョン・クィンシー・アダムズは、
1802年、プリマス上陸二百年祭の演説において、バークレイ主教の詩の一説を引用し、
「帝国の進路は西を目指しゆく」と叫んだ。
大西洋岸に到着した彼らの夢は、帝国拡張の必然的経路として際限なく広がる「未開」の西の大地へ向けられた。
ホレス・グリーリーの「若人よ、西部を目指せ」の言葉どおり、
1862年に成立した自営農地法は、虐げられてきた者たちの、土地所有の夢を実現させるに至った。
その後、麻薬・銃・犯罪が人心の荒廃をもたらし、
家族制度が空洞化すると共に、「アメリカの夢」は徐々にその形を変え、求心力を失っていく。
1992年のロサンゼルス暴動が明らかにしたように、
人種・民族・世代間の軋轢(あつれき)が高まるにつれ、
「夢」の分化、モザイク化も着実に進行した。
企業の合理化戦略の推進などによる中産層の二分化は、
物質的豊かさを求めるばかりが「夢」ではない、という認識を広めもした。
にもかかわらず、
以降も持ち家を実現するための住宅ローン支援政策等を重視しているなど、
このアメリカ固有の精神、ビジョンは、依然として変わらぬ潜在力を保持している。
(WIKIPEDIA参照)
日本でも、バブルの頃ジャパン・ドリームの兆しがあった。
だが日本にはそうしたベンチャーの風土は育ちにくい。
それどころか、
ますます日本は住み辛い国になっている。
人口は減り、高齢化は進むばかり。
社会保証も先細りで安全保障も脅かされている。
アメリカンドリームも今は昔になっている昨今、
どこに向かって夢を抱けばいいのか。
夢と希望をなくした人間や国家は滅びる運命にある。
夢の矛先は、今や東南アジアに見出すことができる。
サウスイースト・エイシアン・ドリームだ。
東南アジアで一旗揚げたいという人々が増えている。
ただ、一旗の揚げ方は明らかに変化している。
アメリカンドリームは資本主義の論理にのっとったものだった。
具体的に言えば、
株主価値の最大化や市場経済の効率性を最優先とした「米国型資本主義」だ。
だが、今やアメリカにおいてさえ、
08年9月に起きたリーマン・ショックが大きな転機となり、
行き過ぎた市場主義や、
富の一極集中や自らの報酬を極大化することに邁進した
「グリーディー・キャピタリスト(欲深い資本家)」を批判する方向に傾いている。
結果、
「クリエーティング・シェアード・バリュー(CSV)」と呼ぶ概念が芽生え、
社会と企業の共栄共存を目指すことが、これからの企業に求められるようになった。
こうした新たな角度からビジネスをとらえ直し、
社会問題の解決を営利企業が担う「社会的企業(ソーシャル・エンタープライズ)」や、
低所得者層向けのビジネスを追求する「ベース・オブ・ピラミッド(BOP)」
などといった新機軸を探る動きが出てきた。
今、東南アジアに夢を求めるとき、
旧態依然としたキャピタリズムの論理を持ち込むのではなく、
「ソーシャル・エンタープライズ」の思想こそが
真に国や人間を発展させるものだと信じる。
そこを間違ってはいけない。
かつて発展途上国は搾取と奴隷の源であった。
だが今、日本のような成熟国家にあって
そのエネルギ-たるや見習うものが多い。
リスペクトと幇助の精神こそお互いの発展を約束するものである。
先のホレス・グリーリーの言葉を借りるならば、
「日本人よ、東南アジアを目指せ」となる。
アメリカン・ドリーム(American Dream)とは、
アメリカ合衆国における成功の概念であり、
均等に与えられる機会を活かし、
勤勉と努力によって勝ち取ることの出来るものとされた。
つまり、
誰もが機会を得て、天与の能力を可能な限り発揮し、
より充実した豊かな生活を追求していけるという、
アメリカという土地特有の「成功の夢」だったのだ。
独立宣言でうたわれた、
幸福を追求する権利、自由な競争、機会の均等、などの原理を拠りどころとし、
個人の欲望とアメリカ人としてのアイデンティティーを橋渡しする価値観、レトリックである。
歴史を遡れば
18世紀のアメリカ黎明期においては、
ヨーロッパに比べ、出自や身分が決定的な役割を果たすことが少なかった。
黄金郷の探索や豊富な地下資源のもたらす巨万の富など、
志を抱き、情熱を燃やした多数の人間がヨーロッパから新大陸へと渡ってきた。
そんな中、「アメリカン・ドリーム」という言葉は、
そんな彼らの荒唐無稽で不遜な夢を奨励し、鼓舞し続けた。
独立宣言書を起草したトーマス・ジェファーソンは、
自ら構想した独立宣言において、
ジョン・ロックが『統治二論』で不可侵の権利として挙げた「生命、自由、財産をめぐる権利」という言葉を、
「生命、自由、幸福の追求の権利」に書き換えた。
これは、国家レベルにおいて夢を見るという行為に価値が付与され、
アメリカの起源として重要な意義を持つこととなった。
やがて迎える西部開拓時代に先立ち、
アメリカ第6代大統領ジョン・クィンシー・アダムズは、
1802年、プリマス上陸二百年祭の演説において、バークレイ主教の詩の一説を引用し、
「帝国の進路は西を目指しゆく」と叫んだ。
大西洋岸に到着した彼らの夢は、帝国拡張の必然的経路として際限なく広がる「未開」の西の大地へ向けられた。
ホレス・グリーリーの「若人よ、西部を目指せ」の言葉どおり、
1862年に成立した自営農地法は、虐げられてきた者たちの、土地所有の夢を実現させるに至った。
その後、麻薬・銃・犯罪が人心の荒廃をもたらし、
家族制度が空洞化すると共に、「アメリカの夢」は徐々にその形を変え、求心力を失っていく。
1992年のロサンゼルス暴動が明らかにしたように、
人種・民族・世代間の軋轢(あつれき)が高まるにつれ、
「夢」の分化、モザイク化も着実に進行した。
企業の合理化戦略の推進などによる中産層の二分化は、
物質的豊かさを求めるばかりが「夢」ではない、という認識を広めもした。
にもかかわらず、
以降も持ち家を実現するための住宅ローン支援政策等を重視しているなど、
このアメリカ固有の精神、ビジョンは、依然として変わらぬ潜在力を保持している。
(WIKIPEDIA参照)
日本でも、バブルの頃ジャパン・ドリームの兆しがあった。
だが日本にはそうしたベンチャーの風土は育ちにくい。
それどころか、
ますます日本は住み辛い国になっている。
人口は減り、高齢化は進むばかり。
社会保証も先細りで安全保障も脅かされている。
アメリカンドリームも今は昔になっている昨今、
どこに向かって夢を抱けばいいのか。
夢と希望をなくした人間や国家は滅びる運命にある。
夢の矛先は、今や東南アジアに見出すことができる。
サウスイースト・エイシアン・ドリームだ。
東南アジアで一旗揚げたいという人々が増えている。
ただ、一旗の揚げ方は明らかに変化している。
アメリカンドリームは資本主義の論理にのっとったものだった。
具体的に言えば、
株主価値の最大化や市場経済の効率性を最優先とした「米国型資本主義」だ。
だが、今やアメリカにおいてさえ、
08年9月に起きたリーマン・ショックが大きな転機となり、
行き過ぎた市場主義や、
富の一極集中や自らの報酬を極大化することに邁進した
「グリーディー・キャピタリスト(欲深い資本家)」を批判する方向に傾いている。
結果、
「クリエーティング・シェアード・バリュー(CSV)」と呼ぶ概念が芽生え、
社会と企業の共栄共存を目指すことが、これからの企業に求められるようになった。
こうした新たな角度からビジネスをとらえ直し、
社会問題の解決を営利企業が担う「社会的企業(ソーシャル・エンタープライズ)」や、
低所得者層向けのビジネスを追求する「ベース・オブ・ピラミッド(BOP)」
などといった新機軸を探る動きが出てきた。
今、東南アジアに夢を求めるとき、
旧態依然としたキャピタリズムの論理を持ち込むのではなく、
「ソーシャル・エンタープライズ」の思想こそが
真に国や人間を発展させるものだと信じる。
そこを間違ってはいけない。
かつて発展途上国は搾取と奴隷の源であった。
だが今、日本のような成熟国家にあって
そのエネルギ-たるや見習うものが多い。
リスペクトと幇助の精神こそお互いの発展を約束するものである。
先のホレス・グリーリーの言葉を借りるならば、
「日本人よ、東南アジアを目指せ」となる。