誰しも好きなことをしながら暮らしていきたいと思っているだろう。
だが、現実はなかなかそうはならない。
もちろん、好きなことを仕事にして、ソコソコ生きていくことはできるだろう。
拝金至上主義の考えの人は、
お金は稼げても、やっている仕事が本当に好きかといえば必ずしもそうではないだろう。
お金が稼げるから、やっている。
お金が稼げるからこの仕事が好きだ、といえるかもしれない。
それはそれでいい。
ただ、ストレスで身体を壊さなければだが。
あるいは、贅沢に溺れ浪費で生活そのものを破たんさせなければの話だが。
与えられた仕事を好きになればいいという逆説的考え方もある。
嫌々やっていることが、好きになることだってある。
なぜなら、好きなことというのは変化するものだから。
最初は好きでもなかった、あるいは嫌いだった異性と嫌々付き合っているうちに
本当に好きになってしまうことがあるように。
「旅をしながらいかに優雅に生きるか」
この命題を追いながら森の中で悶々と日々を過ごしている。
優雅といっても決して贅沢することを意味しない。
旅する費用があればいいだけだが、
移動費、宿泊費、そして飢え死にしないだけの食事ができ
少しのビールもしくはワインがの飲めればいいだけのことだ。
もちろん、それだけでも十分贅沢なのかもしれないが。
世界一周した経験から言えば、
物価の高い欧米と安い発展途上国(主に赤道近辺の国々)とでは
その費用に2~3倍の開きがある。
もうすぐ2度目の世界一周の旅に出かける予定だが
さて、どのコースをとろうかと世界地図を眺めては頭を悩ませている。
実はそれが一番楽しい時間なのだが。
だが、その前にその費用、収入源をいかに確保するかが喫緊の問題である。
(実に本末転倒な話だ。
本来は、資金を確保してから計画を立てるのだろうが、
ボクの場合いつも逆なのだ。
結果が先に来て、手段を考える)
書くことで、旅ができないだろうか。
小説で一発当てて、その印税で旅ができないだろうか。
あるいは、
このブログで発信することで旅先での収入が得られないだろうか。
窓の外の森を眺めては、
日々頭を悩ます。
あるいは、時には木に語りかける。
決してこの場所が嫌いなわけではない。
むしろここはとてもお気に入りの場所。
何といってもここはパワースポットなのだから。
嫌なのは、一か所にずっと留まることだ。
淀む水は濁る。
だから常に流れていたい。
その中で、何か新しいものに出会うのではないかという期待がある。
それは偶然ではなく、必然的にだ。
つまり、新しいものとはすでにそこにあったのに気づかなかっただけなものが多い。
理想の女性と出会うことなどそうだ。
彼女は、理想の女性として突如生まれ出現したのではない。
ずっと前からこの地球上に存在していたものなのだ。
彼女に出会うためには、彼女のいるところに出向かなくてはならない。
じっと待っていても、彼女のほうから来てくれることはまずない。
空中浮揚(?)する筆者 (「阿蘇瞑想の森」にて)
かくしてボクは、
いかに旅をしながら優雅に暮らしていけるかを
今日も森の中で悶々と考え続けているのである。
だが、現実はなかなかそうはならない。
もちろん、好きなことを仕事にして、ソコソコ生きていくことはできるだろう。
拝金至上主義の考えの人は、
お金は稼げても、やっている仕事が本当に好きかといえば必ずしもそうではないだろう。
お金が稼げるから、やっている。
お金が稼げるからこの仕事が好きだ、といえるかもしれない。
それはそれでいい。
ただ、ストレスで身体を壊さなければだが。
あるいは、贅沢に溺れ浪費で生活そのものを破たんさせなければの話だが。
与えられた仕事を好きになればいいという逆説的考え方もある。
嫌々やっていることが、好きになることだってある。
なぜなら、好きなことというのは変化するものだから。
最初は好きでもなかった、あるいは嫌いだった異性と嫌々付き合っているうちに
本当に好きになってしまうことがあるように。
「旅をしながらいかに優雅に生きるか」
この命題を追いながら森の中で悶々と日々を過ごしている。
優雅といっても決して贅沢することを意味しない。
旅する費用があればいいだけだが、
移動費、宿泊費、そして飢え死にしないだけの食事ができ
少しのビールもしくはワインがの飲めればいいだけのことだ。
もちろん、それだけでも十分贅沢なのかもしれないが。
世界一周した経験から言えば、
物価の高い欧米と安い発展途上国(主に赤道近辺の国々)とでは
その費用に2~3倍の開きがある。
もうすぐ2度目の世界一周の旅に出かける予定だが
さて、どのコースをとろうかと世界地図を眺めては頭を悩ませている。
実はそれが一番楽しい時間なのだが。
だが、その前にその費用、収入源をいかに確保するかが喫緊の問題である。
(実に本末転倒な話だ。
本来は、資金を確保してから計画を立てるのだろうが、
ボクの場合いつも逆なのだ。
結果が先に来て、手段を考える)
書くことで、旅ができないだろうか。
小説で一発当てて、その印税で旅ができないだろうか。
あるいは、
このブログで発信することで旅先での収入が得られないだろうか。
窓の外の森を眺めては、
日々頭を悩ます。
あるいは、時には木に語りかける。
決してこの場所が嫌いなわけではない。
むしろここはとてもお気に入りの場所。
何といってもここはパワースポットなのだから。
嫌なのは、一か所にずっと留まることだ。
淀む水は濁る。
だから常に流れていたい。
その中で、何か新しいものに出会うのではないかという期待がある。
それは偶然ではなく、必然的にだ。
つまり、新しいものとはすでにそこにあったのに気づかなかっただけなものが多い。
理想の女性と出会うことなどそうだ。
彼女は、理想の女性として突如生まれ出現したのではない。
ずっと前からこの地球上に存在していたものなのだ。
彼女に出会うためには、彼女のいるところに出向かなくてはならない。
じっと待っていても、彼女のほうから来てくれることはまずない。
空中浮揚(?)する筆者 (「阿蘇瞑想の森」にて)
かくしてボクは、
いかに旅をしながら優雅に暮らしていけるかを
今日も森の中で悶々と考え続けているのである。