ミクロ的にもマクロ的にも、日本は停滞もしくは後退している。
何がって、
日本人の生活全般が、である。
もちろん、頑張ってる人も多い。
成果を出している人もいる。
だが、頑張らなければ食べていけない。
生きていけない。
頑張らざるを得ない。
必死で生きている。
で、身体を壊す。
心を壊す。
日本人は、
一億総中流社会から
一億総鬱社会へとなってきている。
それでなくても、すべての人間は一刻一刻と年は取る。
いろんな意味で衰えていく。
国すらそうだ。
日本は年老いた。
国民も、3分の一が高齢者。
しかも、
中国は尖閣を奪い取ろうとするし、
北朝鮮は核攻撃を仕掛けようとする。
内憂外患。
どうするニッポン、
どうするニッポン人。
さんざん悲観的なことを並べて脅しては見たものの、
それでも我々は生きていかなければならない。
我々は、幸せになるために生まれてきた。
そして幸せを求めて生きている。
その中で、政治と経済に翻弄され続けている。
政治は経済に牛耳られるわけで、
畢竟経済学の領域の中で活かされていると言えるだろう。
現代経済学とは、とどのつまり、貨幣経済、
平たく言えばお金に集約される。
金、金、金、
オリンピックだって、金、金、金。
これは、キンと呼ぶが、それすら金でできている。
ここで考え方は二つに分かれる。
経済をよくしようと考えるもの。
つまり、好景気よ再びと期待を寄せるもの。
もうひとつは、
もう景気は回復しない、もしくはかなりの長期的不況と考えるもの。
ここで生き方が真っ二つに分かれる。
はっきりしていることは、
現代社会において、
金の亡者であろうとなかろうと
全くお金がなくしては生きていけないということだ。
お金は必要だという前提は不変であるということだ。
問題は、どこまで拘るかにかかっている。
いいかえれば、お金への執着度といえるだろう。
日本人は、
サービスを無料と考える傾向にある。
サービスをお金で換算すると、かなりの高額になることすらある。
早い話が、専業主婦の値段だ。
家政婦を雇い、性的サービスに金を払うことを思えば一目瞭然だろう。
主婦が、近所の家の家事一切を仕事として引き受け、
身体を売って金を稼げば
旦那の収入の何倍ものお金を稼ぐことができるだろう。
話が逸れたが、
ボクは今回の震災で貴重な体験をした。
避難所で暮らし、
県外の旅館でお世話内なった。
合計2か月間もただ飯を食わせてもらったのだ。
これは、合法的サービスを受けたのだが、
お金に換算すれると、とても給料分では追い付かないだろう。
ただし、助成金や、援助金、給付金といった一切の現金は受け取っていない。
まったく、食費はおろか家賃、光熱費の一切がかからなったのだ。
特殊事情とはいえ、
こうした生活も可能なのだということを身をもって知った。
ブータンは世界一幸せな国ともてはやされたことがあった。
先日ネパールから行こうとしたが、
外国人は入国税(?)なるものがやたらと高く、断念した。
キューバは、
教育費、医療費が一切無料だという。
どうしてそういうことができるのか。
現地の人々の暮らしはどうなのか。
11月、行ってみることにした。
もう一つ幸せな国がある。
それがベトナムだ。
日本はかつてもっとも幸せな国の一つであった。
それは、一億総中流と呼ばれた時代であった。
お金もサービスもそれなりに兼ね備えていた時代だった。
日本は理想的民主主義の資本主義かつ社会主義国であった。
それが今は見る影もない。
そして、転げ落ちだしたらその勢いが止まらない。
果たしてその打開策はあるのか。
ある。
それを確かめるためにもボクは旅に出ることにした。
何がって、
日本人の生活全般が、である。
もちろん、頑張ってる人も多い。
成果を出している人もいる。
だが、頑張らなければ食べていけない。
生きていけない。
頑張らざるを得ない。
必死で生きている。
で、身体を壊す。
心を壊す。
日本人は、
一億総中流社会から
一億総鬱社会へとなってきている。
それでなくても、すべての人間は一刻一刻と年は取る。
いろんな意味で衰えていく。
国すらそうだ。
日本は年老いた。
国民も、3分の一が高齢者。
しかも、
中国は尖閣を奪い取ろうとするし、
北朝鮮は核攻撃を仕掛けようとする。
内憂外患。
どうするニッポン、
どうするニッポン人。
さんざん悲観的なことを並べて脅しては見たものの、
それでも我々は生きていかなければならない。
我々は、幸せになるために生まれてきた。
そして幸せを求めて生きている。
その中で、政治と経済に翻弄され続けている。
政治は経済に牛耳られるわけで、
畢竟経済学の領域の中で活かされていると言えるだろう。
現代経済学とは、とどのつまり、貨幣経済、
平たく言えばお金に集約される。
金、金、金、
オリンピックだって、金、金、金。
これは、キンと呼ぶが、それすら金でできている。
ここで考え方は二つに分かれる。
経済をよくしようと考えるもの。
つまり、好景気よ再びと期待を寄せるもの。
もうひとつは、
もう景気は回復しない、もしくはかなりの長期的不況と考えるもの。
ここで生き方が真っ二つに分かれる。
はっきりしていることは、
現代社会において、
金の亡者であろうとなかろうと
全くお金がなくしては生きていけないということだ。
お金は必要だという前提は不変であるということだ。
問題は、どこまで拘るかにかかっている。
いいかえれば、お金への執着度といえるだろう。
日本人は、
サービスを無料と考える傾向にある。
サービスをお金で換算すると、かなりの高額になることすらある。
早い話が、専業主婦の値段だ。
家政婦を雇い、性的サービスに金を払うことを思えば一目瞭然だろう。
主婦が、近所の家の家事一切を仕事として引き受け、
身体を売って金を稼げば
旦那の収入の何倍ものお金を稼ぐことができるだろう。
話が逸れたが、
ボクは今回の震災で貴重な体験をした。
避難所で暮らし、
県外の旅館でお世話内なった。
合計2か月間もただ飯を食わせてもらったのだ。
これは、合法的サービスを受けたのだが、
お金に換算すれると、とても給料分では追い付かないだろう。
ただし、助成金や、援助金、給付金といった一切の現金は受け取っていない。
まったく、食費はおろか家賃、光熱費の一切がかからなったのだ。
特殊事情とはいえ、
こうした生活も可能なのだということを身をもって知った。
ブータンは世界一幸せな国ともてはやされたことがあった。
先日ネパールから行こうとしたが、
外国人は入国税(?)なるものがやたらと高く、断念した。
キューバは、
教育費、医療費が一切無料だという。
どうしてそういうことができるのか。
現地の人々の暮らしはどうなのか。
11月、行ってみることにした。
もう一つ幸せな国がある。
それがベトナムだ。
日本はかつてもっとも幸せな国の一つであった。
それは、一億総中流と呼ばれた時代であった。
お金もサービスもそれなりに兼ね備えていた時代だった。
日本は理想的民主主義の資本主義かつ社会主義国であった。
それが今は見る影もない。
そして、転げ落ちだしたらその勢いが止まらない。
果たしてその打開策はあるのか。
ある。
それを確かめるためにもボクは旅に出ることにした。