毎年2回、庭に一輪だけ咲く彼岸花がある。
この秋も律義に咲いてくれた。
今日は中秋の名月。
お芋の収穫期に当たるので、芋名月ともいうそうな。
果たしてお月様は見えるのか。
お天気が気がかりだ。
今日のテーマ、
カタストロフィ 【catastrophe】
① 自然界および人間社会の大変動。変革。
② 劇や小説の悲劇的な結末。破局。
自分にとってのカタストロフィとは何か。
つまり、自分の人生を劇的に変える事件は何だったのか。
いわゆる人生の不連続線的出来事は何だったのか。
自分自身について、ここ10年で言えば、
2008年のリーマンショックがその一つだろう。
そして、今年4月に起きた熊本大地震。
これは生々しく今でも余震が続いていて、
未だその恐怖から抜け出せないでいる。
リーマンショックの影響も長く、
仕事の変化から、離婚への引き金にもなった。
ここで悟ったことは、
生き方そのもの、生き方の考え方を大幅に変えなければならないということだ。
多くの人が、昔の栄華よもう一度と夢見て、
変わろうとしない。
いや、変えようとしない。
いわゆるコンサーバティブ’(保守的)人間が多すぎる。
この震災さえ、復興を叫び、ガンバロー!と呼応する。
そうでない人間はまるで非国民のように思われる風潮がある。
これは異常としか言いようがない。
3766年に日本は滅びるというショッキングな記事が目に入った。
子供が一人になるからだという。
根拠は、「子ども人口時計」からきた統計上のものだ。
遠い未来のことのように思えるが、
これによると、30年後、
子供(0~14歳)は1000万人を切る。
変わって65歳以上の高齢者がなんと4割という世にも恐ろしい現実がぽっかりと口を開けて待っている。
30年後といえば、ボクはもうこの世にいないかもしれないが、
まだ、100歳にはなっていないので、生きている可能性もゼロではない。
それより、
今の50歳以下の日本人はほとんど生きてこの現実と向き合わなければならない宿命にある。
35歳以上の人が高齢者という当事者になるのだから。
日本の人口は一億人を切り、
子供はその一割に満たなくなる。
そして、高齢者が4割なので、
いわゆる労働人口は半分しかいないくなる。
何とも恐ろしい国になるわけだ。
30年後、国際情勢がどうなっているかさえわからない。
新たなるカタストロフィーが起きる可能性は十分にある。
それは、テロであったり、戦争であったり、
自然災害であったり、疫病であったりするだろう。
はたまた、宇宙人との係わりやAIと人間との絡みなのかもしれない。
まるで想像を絶する(未曽有のunprecedented)ことが起きるかもしれない。
いえることは、
あらゆる分野においてすでに復元力はなくなっている。
昔の栄光を追い求めて、変わろうとしない人間はより早く滅ぶであろう。
生き残るのは、
強いものでも賢いものでもない。
変化に対応できる適応力と順応力を持ったしぶとい人間である。
【蛇足】
「十五夜お月さん」という童謡がある。
作詞:野口雨情、作曲:本居長世
1 十五夜お月さん 御機嫌(ごきげん)さん
婆(ばあ)やは お暇(いとま)とりました
2 十五夜お月さん 妹は
田舎へ 貰(も)られてゆきました
3 十五夜お月さん 母(かか)さんに
も一度 わたしは逢いたいな
この歌詞の背景には
父親は破産、母親は病死し、一家は離散といった状況があったらしい。
この歌が作られたころには、こうした旧家の没落が珍しくなかったのだろう。
この幼い姉妹の行く末を思うと、何度聞いても、切なさがこみ上げてくる。
そしてそれは、今の世の中にも通じるものがあるのかもしれない。
この秋も律義に咲いてくれた。
今日は中秋の名月。
お芋の収穫期に当たるので、芋名月ともいうそうな。
果たしてお月様は見えるのか。
お天気が気がかりだ。
今日のテーマ、
カタストロフィ 【catastrophe】
① 自然界および人間社会の大変動。変革。
② 劇や小説の悲劇的な結末。破局。
自分にとってのカタストロフィとは何か。
つまり、自分の人生を劇的に変える事件は何だったのか。
いわゆる人生の不連続線的出来事は何だったのか。
自分自身について、ここ10年で言えば、
2008年のリーマンショックがその一つだろう。
そして、今年4月に起きた熊本大地震。
これは生々しく今でも余震が続いていて、
未だその恐怖から抜け出せないでいる。
リーマンショックの影響も長く、
仕事の変化から、離婚への引き金にもなった。
ここで悟ったことは、
生き方そのもの、生き方の考え方を大幅に変えなければならないということだ。
多くの人が、昔の栄華よもう一度と夢見て、
変わろうとしない。
いや、変えようとしない。
いわゆるコンサーバティブ’(保守的)人間が多すぎる。
この震災さえ、復興を叫び、ガンバロー!と呼応する。
そうでない人間はまるで非国民のように思われる風潮がある。
これは異常としか言いようがない。
3766年に日本は滅びるというショッキングな記事が目に入った。
子供が一人になるからだという。
根拠は、「子ども人口時計」からきた統計上のものだ。
遠い未来のことのように思えるが、
これによると、30年後、
子供(0~14歳)は1000万人を切る。
変わって65歳以上の高齢者がなんと4割という世にも恐ろしい現実がぽっかりと口を開けて待っている。
30年後といえば、ボクはもうこの世にいないかもしれないが、
まだ、100歳にはなっていないので、生きている可能性もゼロではない。
それより、
今の50歳以下の日本人はほとんど生きてこの現実と向き合わなければならない宿命にある。
35歳以上の人が高齢者という当事者になるのだから。
日本の人口は一億人を切り、
子供はその一割に満たなくなる。
そして、高齢者が4割なので、
いわゆる労働人口は半分しかいないくなる。
何とも恐ろしい国になるわけだ。
30年後、国際情勢がどうなっているかさえわからない。
新たなるカタストロフィーが起きる可能性は十分にある。
それは、テロであったり、戦争であったり、
自然災害であったり、疫病であったりするだろう。
はたまた、宇宙人との係わりやAIと人間との絡みなのかもしれない。
まるで想像を絶する(未曽有のunprecedented)ことが起きるかもしれない。
いえることは、
あらゆる分野においてすでに復元力はなくなっている。
昔の栄光を追い求めて、変わろうとしない人間はより早く滅ぶであろう。
生き残るのは、
強いものでも賢いものでもない。
変化に対応できる適応力と順応力を持ったしぶとい人間である。
【蛇足】
「十五夜お月さん」という童謡がある。
作詞:野口雨情、作曲:本居長世
1 十五夜お月さん 御機嫌(ごきげん)さん
婆(ばあ)やは お暇(いとま)とりました
2 十五夜お月さん 妹は
田舎へ 貰(も)られてゆきました
3 十五夜お月さん 母(かか)さんに
も一度 わたしは逢いたいな
この歌詞の背景には
父親は破産、母親は病死し、一家は離散といった状況があったらしい。
この歌が作られたころには、こうした旧家の没落が珍しくなかったのだろう。
この幼い姉妹の行く末を思うと、何度聞いても、切なさがこみ上げてくる。
そしてそれは、今の世の中にも通じるものがあるのかもしれない。