これからのビジネスはどうあるべきか。
お金儲けビジネスは衰退する。
未だに、どれだけ儲かるかということを専決に考える人が多い。
何のために儲けたいかということも、
自分がリッチになるためだった。
お金持ちになって、立派な家を買って、
いい車に乗り、毎日豪華な食事をする。
綺麗な女性と付き合い結婚し、贅沢な家庭を築く。
子供は小さい時から習い事をさせ、塾に通わせ、いい学校に入れる。
そう、いまだにそうした夢を描いている。
そうして多くの人が、現実を知り挫折していく。
―――――――――――――――――――――――――
これからはどうだろう。
何か人のためになることに気付く。
困っている人を助けたいという気持ちが湧き上る。
それをどうビジネスに変えるか、
収入が得られる仕組みを作っていくかに焦点を当てる。
いわゆる、お助けビジネスだ。
ボランティアで、お金にならないことの中からどう収益を得ていくか。
つまり、どう生活の糧を得るか。
お金を産まないボランティアは体験としてはイイが長続きしない。
お情けビジネスはビジネスとしては成り立たない。
ボランティアビジネスこそこれからの時代に求められるビジネスの形だ。
なんだ、NPOかと思われたかもしれない。
そのとおり、NPOもその一つだ。
ビジネスに特化したNPOだ。
NPOは利益を出してはいけない、儲かってはいけないと誤解されがちだ。
大いに利益をだし、収益を上げればイイ。
従来の企業と違うのは、
その利益の還元先だ。
分配先といってもいいだろう。
従来型のように
会社のため、株主のために働くのではない。
あるいは、一部の取締役陣の私腹を肥やしていはいけない。
株主、出資者の懐を肥やしてもいけない。
お客様と、従業員に帰すべきなのだ。
それと、より良い設備投資に回すべきだ。
こうすれば良い循環が生まれる。
別の言い方をすれば、
大企業ではなく、個人や小人数の単位でのビジネスが中心になっていく。
つまり、『資本主義からスモールビジネスの時代へ』移行していく。
また、社会全体の価値が個人の幸福へと向かいつつある今、
経済も、ロングテール市場に少しずつ移行していく。
アメリカ主導の資本主義の旗印の下で
とにかく儲ければいいといった風潮は消えつつある。
そして、これからは、
心のやすらぎ、人とのつながり、 仕事に対 する喜びといった、
ただ利益を追求する社会ではなく、
個人の幸福量を増やしていく社会に動き始めている。
お金と仕事の関係を見直し、
スモールこそがこれからのトレンドとなるだろう。
大が小を兼ねる時代から、
小が大をのみこむ時代へと変わりつつあることを知らなければならない。
つまり、会社という組織が中心となるのではのではなく、
個人や小人数の単位でのビジネスが中心になっていく。
それは、一人一人がスモールビジネスへと特化し、
個々人の幸福を求めて行かなければならないことを意味する。
(一部、「日刊スモールビジネス」より抜粋)
――――――――――――――――――――――――――――
もう一つのキーワードは、
仲間、コンビ、パートナーといったものだ。
個人の力には限界がある。
アイデアを形にし、実行する行動力ある人材が求められる。
そのためには、錬金術より錬人術を身に着ける必要がある。
人を巻き込むためには、自分が前面に立ってはいけない。
影の力、縁の下の力、サポートに徹すること。
自分がリーダーになるのではなく、リーダーを育てる気概が必要なのだ。
金を追って人を逃がすケースが多い。
人を大切にすることで、その人々がお金を産んでくれればいい。
武田信玄の甲陽軍鑑(武田信玄の戦略・戦術を記した軍学書)の中にある勝利の礎
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
という有名な言葉がある。
これは、言うまでもなく、勝敗を決する決め手は、堅固な城ではなく人の力である。
個人の力や特徴を掴み、彼らの才能を十分に発揮できるような集団を作ることが大事である、
ということを意味している。
また、人には情理を尽くすこと,誠実な態度こそが相手の心に届き、
人を惹きつけることに繋がり、
逆に相手を恨めば必ず反発にあい、害意を抱くようになる。
つまり、これからの社会は、
論理より情理(人情と道理)の社会になる。
さあ、これからのビジネスライフスタイルを求めて、
企業勤めからベンチャービジネスへ
さらにはスモールビジネスとしての社会起業ビジネスもしくはNPOを目指そう。
お金儲けビジネスは衰退する。
未だに、どれだけ儲かるかということを専決に考える人が多い。
何のために儲けたいかということも、
自分がリッチになるためだった。
お金持ちになって、立派な家を買って、
いい車に乗り、毎日豪華な食事をする。
綺麗な女性と付き合い結婚し、贅沢な家庭を築く。
子供は小さい時から習い事をさせ、塾に通わせ、いい学校に入れる。
そう、いまだにそうした夢を描いている。
そうして多くの人が、現実を知り挫折していく。
―――――――――――――――――――――――――
これからはどうだろう。
何か人のためになることに気付く。
困っている人を助けたいという気持ちが湧き上る。
それをどうビジネスに変えるか、
収入が得られる仕組みを作っていくかに焦点を当てる。
いわゆる、お助けビジネスだ。
ボランティアで、お金にならないことの中からどう収益を得ていくか。
つまり、どう生活の糧を得るか。
お金を産まないボランティアは体験としてはイイが長続きしない。
お情けビジネスはビジネスとしては成り立たない。
ボランティアビジネスこそこれからの時代に求められるビジネスの形だ。
なんだ、NPOかと思われたかもしれない。
そのとおり、NPOもその一つだ。
ビジネスに特化したNPOだ。
NPOは利益を出してはいけない、儲かってはいけないと誤解されがちだ。
大いに利益をだし、収益を上げればイイ。
従来の企業と違うのは、
その利益の還元先だ。
分配先といってもいいだろう。
従来型のように
会社のため、株主のために働くのではない。
あるいは、一部の取締役陣の私腹を肥やしていはいけない。
株主、出資者の懐を肥やしてもいけない。
お客様と、従業員に帰すべきなのだ。
それと、より良い設備投資に回すべきだ。
こうすれば良い循環が生まれる。
別の言い方をすれば、
大企業ではなく、個人や小人数の単位でのビジネスが中心になっていく。
つまり、『資本主義からスモールビジネスの時代へ』移行していく。
また、社会全体の価値が個人の幸福へと向かいつつある今、
経済も、ロングテール市場に少しずつ移行していく。
アメリカ主導の資本主義の旗印の下で
とにかく儲ければいいといった風潮は消えつつある。
そして、これからは、
心のやすらぎ、人とのつながり、 仕事に対 する喜びといった、
ただ利益を追求する社会ではなく、
個人の幸福量を増やしていく社会に動き始めている。
お金と仕事の関係を見直し、
スモールこそがこれからのトレンドとなるだろう。
大が小を兼ねる時代から、
小が大をのみこむ時代へと変わりつつあることを知らなければならない。
つまり、会社という組織が中心となるのではのではなく、
個人や小人数の単位でのビジネスが中心になっていく。
それは、一人一人がスモールビジネスへと特化し、
個々人の幸福を求めて行かなければならないことを意味する。
(一部、「日刊スモールビジネス」より抜粋)
――――――――――――――――――――――――――――
もう一つのキーワードは、
仲間、コンビ、パートナーといったものだ。
個人の力には限界がある。
アイデアを形にし、実行する行動力ある人材が求められる。
そのためには、錬金術より錬人術を身に着ける必要がある。
人を巻き込むためには、自分が前面に立ってはいけない。
影の力、縁の下の力、サポートに徹すること。
自分がリーダーになるのではなく、リーダーを育てる気概が必要なのだ。
金を追って人を逃がすケースが多い。
人を大切にすることで、その人々がお金を産んでくれればいい。
武田信玄の甲陽軍鑑(武田信玄の戦略・戦術を記した軍学書)の中にある勝利の礎
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
という有名な言葉がある。
これは、言うまでもなく、勝敗を決する決め手は、堅固な城ではなく人の力である。
個人の力や特徴を掴み、彼らの才能を十分に発揮できるような集団を作ることが大事である、
ということを意味している。
また、人には情理を尽くすこと,誠実な態度こそが相手の心に届き、
人を惹きつけることに繋がり、
逆に相手を恨めば必ず反発にあい、害意を抱くようになる。
つまり、これからの社会は、
論理より情理(人情と道理)の社会になる。
さあ、これからのビジネスライフスタイルを求めて、
企業勤めからベンチャービジネスへ
さらにはスモールビジネスとしての社会起業ビジネスもしくはNPOを目指そう。
ベトナムや中国の旧正月が終わり
俄かに周辺が慌ただしくなった。
グローバル的立場にいると、
こうした他国の習慣、習わしが自分のライフスタイルの中に入って来る。
テト明けのベトナムからの第一声は、
「『招きくまモン』の船積みをする」
ということだった。
二週間ほどで、手元に届くだろう。
招きくまモン貯金箱(先行予約受付中)
さらに、ハノイのカフェオープンに向けて動かなければならない。
さて、金策をどうするか。
気になるのは、円安の行方だ。
既に当初より15%ほど割高になった。
為替リスクはどうしようもない。
まあ、チャイナリスクよりずっとマシだが。
それを踏まえたうえで、改めて出資者を募りたい。
これからは紛れもなく東南アジアの時代。
ここに食い込むか、指をくわえて傍観しているかで
今後の展開、人生には雲泥の差が出ることは否定しようがない。
その東南アジア展開の橋頭堡となる、ハノイ、カフェ進出。
まさに、旗艦店となる。
さあ、君も一緒に船出しないか。
――――――――――――――――――――――――――
ここへ来てボクノ周辺は俄かに動きが激しくなってきた。
① 『Aso English Village』 の立ち上げ。
② NPO法人の設立。
③ 電子書籍出版
は具体性を帯びてすでに動きだした。
それに伴う、
インターネット・マーケッティングの確立。
IMには、次の6種類がある。
・Facebook等を活用した“ソーシャルメディアマーケティング”
・特定知識の専門家になる“エキスパートビジネス”
・YouTubeを活用した“動画マーケティング”
・口コミの無限連鎖を起こす“バイラル動画”
・コンテンツをお金に変える“コンテンツマーケティング”
・物語を語り、共感を得る“ストーリーマーケティング”
これらをフル活用する。
―――――――――――――――――――――――――――
加えて、フリートークの運営強化。
3月から新たなイベントを盛り込む。
そして、フランチャイズ化を具体的に進める。
福岡、大阪、東京と。
こちらも関心のある方はご一報いただきたい。
2013年になって、一月半、
ボクにとって風雲急を告げる年になることは間違いない。
俄かに周辺が慌ただしくなった。
グローバル的立場にいると、
こうした他国の習慣、習わしが自分のライフスタイルの中に入って来る。
テト明けのベトナムからの第一声は、
「『招きくまモン』の船積みをする」
ということだった。
二週間ほどで、手元に届くだろう。
招きくまモン貯金箱(先行予約受付中)
さらに、ハノイのカフェオープンに向けて動かなければならない。
さて、金策をどうするか。
気になるのは、円安の行方だ。
既に当初より15%ほど割高になった。
為替リスクはどうしようもない。
まあ、チャイナリスクよりずっとマシだが。
それを踏まえたうえで、改めて出資者を募りたい。
これからは紛れもなく東南アジアの時代。
ここに食い込むか、指をくわえて傍観しているかで
今後の展開、人生には雲泥の差が出ることは否定しようがない。
その東南アジア展開の橋頭堡となる、ハノイ、カフェ進出。
まさに、旗艦店となる。
さあ、君も一緒に船出しないか。
――――――――――――――――――――――――――
ここへ来てボクノ周辺は俄かに動きが激しくなってきた。
① 『Aso English Village』 の立ち上げ。
② NPO法人の設立。
③ 電子書籍出版
は具体性を帯びてすでに動きだした。
それに伴う、
インターネット・マーケッティングの確立。
IMには、次の6種類がある。
・Facebook等を活用した“ソーシャルメディアマーケティング”
・特定知識の専門家になる“エキスパートビジネス”
・YouTubeを活用した“動画マーケティング”
・口コミの無限連鎖を起こす“バイラル動画”
・コンテンツをお金に変える“コンテンツマーケティング”
・物語を語り、共感を得る“ストーリーマーケティング”
これらをフル活用する。
―――――――――――――――――――――――――――
加えて、フリートークの運営強化。
3月から新たなイベントを盛り込む。
そして、フランチャイズ化を具体的に進める。
福岡、大阪、東京と。
こちらも関心のある方はご一報いただきたい。
2013年になって、一月半、
ボクにとって風雲急を告げる年になることは間違いない。
昨日に引き続き、幸せになるためにはどうすればいいのか。
幸せになりたいと思わない人はいない。
だが、現実、幸せな人はそう多くない。
多くの人が幸せぶって、幸せそうではいるが。
特に日本人の幸福感は希薄だ。
何故だろうか。
時に「幸せって何?」って考えることがある。
族に幸福度とかいうが、
幸福度の計り方
つまり、内容でずいぶんと違ってくる。。
物的面と精神的面に分けて考える必要があるかもしれない。
個人レベルと国レベルでも違ってくる。
幸せの感覚は、人によって違う。
幸せの度合いは、人の数だけあるといってもいいだろう。
「人生の輪」なるものがある。
2種類挙げておこう。
自分の人生のテーマを8つのカテゴリーに分けて
自分の満足度がどの辺にあるのか確認するのです。
これによって、何が足りないのか、何に恵まれているのかが客観視できる。
人生の輪は、8つのパートから成り立っている。
・感情・精神状態
・健康
・人間関係・家族、友人、知人、パートナー、恋人、仲間
・財政・お金・経済
・ビジネスとキャリア(仕事)
・時間と自由・遊びや余暇、ゆとり
・環境・住居、場所
・ミッション・学び(学習)や自己啓発
また、人生においての幸せの大事な条件は3つ挙げられる。
━━━━━━━━━━
(1)楽しいこと、ラッキーにどれだけ気付けるか
つまり、精神状態、健康状態などが関係してくる。
(2)熱中できることにどれだけ関われているか
仕事や時間、ゆとり、自由などに関係する。
ひいてはこれがやりがい、ミッションに繋がり、経済面(お金)に密接にかかわる。
(3)自分が思う大事なこと(人)にどれだけ貢献できているか
まさしく人間関係である。
――――――――――――――――――――――――――
『ステップバック思考法』
これはボクが名づけたものだが、
一歩下がって、自分を客観視する作業だ。
「内観」と言われるものに近いが、
それほど重く考えず、
あらゆる局面、とくに好調の時ほど必要とされる。
なぜなら、有頂天になっているときほど自分を見失うからである。
神の目と呼ばれることもある。
自分を天空から、まるで神様が眺めているかのように俯瞰することである。
何か企画を立てた時にも役立つ。
一度原点に立ち返って、考え直してみることは
失敗を少なくする、または失敗した時に冷静でいられる秘訣ともいえる。
ステップバックの考え方、一例
幸せ論を語れば紙面がいくらあっても足りなくなるが、
要は、幸せになりたければ、
自分の周りの人を幸せにしていけばそれだけでいい。
自分はわき役に徹しで、人に光りを与えるのだ。
【結論】
幸せになりたければ
幸せになろうとしてはいけない。
人や相手を幸せにすることだ。
それによって、自分が幸せを感じた時
人は本当に幸せになれる。
幸せになりたいと思わない人はいない。
だが、現実、幸せな人はそう多くない。
多くの人が幸せぶって、幸せそうではいるが。
特に日本人の幸福感は希薄だ。
何故だろうか。
時に「幸せって何?」って考えることがある。
族に幸福度とかいうが、
幸福度の計り方
つまり、内容でずいぶんと違ってくる。。
物的面と精神的面に分けて考える必要があるかもしれない。
個人レベルと国レベルでも違ってくる。
幸せの感覚は、人によって違う。
幸せの度合いは、人の数だけあるといってもいいだろう。
「人生の輪」なるものがある。
2種類挙げておこう。
自分の人生のテーマを8つのカテゴリーに分けて
自分の満足度がどの辺にあるのか確認するのです。
これによって、何が足りないのか、何に恵まれているのかが客観視できる。
人生の輪は、8つのパートから成り立っている。
・感情・精神状態
・健康
・人間関係・家族、友人、知人、パートナー、恋人、仲間
・財政・お金・経済
・ビジネスとキャリア(仕事)
・時間と自由・遊びや余暇、ゆとり
・環境・住居、場所
・ミッション・学び(学習)や自己啓発
また、人生においての幸せの大事な条件は3つ挙げられる。
━━━━━━━━━━
(1)楽しいこと、ラッキーにどれだけ気付けるか
つまり、精神状態、健康状態などが関係してくる。
(2)熱中できることにどれだけ関われているか
仕事や時間、ゆとり、自由などに関係する。
ひいてはこれがやりがい、ミッションに繋がり、経済面(お金)に密接にかかわる。
(3)自分が思う大事なこと(人)にどれだけ貢献できているか
まさしく人間関係である。
――――――――――――――――――――――――――
『ステップバック思考法』
これはボクが名づけたものだが、
一歩下がって、自分を客観視する作業だ。
「内観」と言われるものに近いが、
それほど重く考えず、
あらゆる局面、とくに好調の時ほど必要とされる。
なぜなら、有頂天になっているときほど自分を見失うからである。
神の目と呼ばれることもある。
自分を天空から、まるで神様が眺めているかのように俯瞰することである。
何か企画を立てた時にも役立つ。
一度原点に立ち返って、考え直してみることは
失敗を少なくする、または失敗した時に冷静でいられる秘訣ともいえる。
ステップバックの考え方、一例
幸せ論を語れば紙面がいくらあっても足りなくなるが、
要は、幸せになりたければ、
自分の周りの人を幸せにしていけばそれだけでいい。
自分はわき役に徹しで、人に光りを与えるのだ。
【結論】
幸せになりたければ
幸せになろうとしてはいけない。
人や相手を幸せにすることだ。
それによって、自分が幸せを感じた時
人は本当に幸せになれる。
人生が思い通りになったらどんなに素晴らしいだろうか。
だが、その思いとは裏腹に、
人生はなかなか思い通りにはいかない。
むしろ、思い通りにならないことが多いのではなかろうか。
時に思いが重いになり、つまり重圧となってストレス化することもある。
だが、あることをすれば
全く想うとおりの人生を歩むことができるようになる。
そのあることとは・・・・・・・。
その前に、おもうという漢字には
【思う/▽想う/▽憶う/▽念う】
右へ行くほど、どの思いは強くなっていく気がする。
強く思え(願え)ば願いは叶う、とはよく言われることだ。
強く思うとは、最後は念じることなのか。
だがいくら強く思っても(念じても)なかなか願いはかなわない。
じっと座っていくら本気だ本気だと念じたところで、叶うはずはない。
強く思うとは、本気で考えること。
その本気さが、自ずと行動へと導く。
要は、行動すること。
だが、行動の仕方が間違っていては、いつまでたってもこれまた願へは届かない。
そのうち諦めてしまう。
そして、思う。
なんだ強く思っても願いはかなわないじゃないか、と。
闇雲に行動しても、時間の無駄でしかない。
問題は、どう行動するかだ。
そこに思いを叶えるカギがある。
多くの人は、自分のことだけを考えて動く。
肝心なことは、相手のこと(為)を思って動くこと。
「主う」と書いても、おもうとよむ。
おもうは、「面う」ともかく。
主体となる人のことを面と向かって想うこと。
願いをかなえるコツは、相手のことを強く想うことなのだ。
自分ではなく、相手のことを主体として考えること。
自分の身を投げ打って、相手のことをどれだけ真剣に考えられるかで決まる。
お金持ちになりたい、
幸せになりたい、と思う気持ちはだれしもあるだろう。
だけどなかなかなれない。
何故か?
自分が成ろうとするから、成れないのだ。
そして、人生は思い通りにいかないものだと結論付ける。
だけど、
相手をお金持ちにしたい、
相手を幸せにしたいと本気で想い願い、
それを行動に移した時には、どうだろう。
面白いように願いがかなっていく。
自分の人生が思い通りに回りだす。
つまり、与えること。
奪うことではない。
愛を求めるのではなく、
愛を与えること。
愛されることではなく、愛すること。
惜しげもなく与えること。
これに尽きる。
だけど、ほとんどの人がこれができない。
損はしたくない、これが本音だ。
損して得取る、という言葉がある。
だが、最初から得を狙って損をしても
得という果実は得られない。
つまり、骨折り損のくたびれ儲けに終わってしまう。
そう思うから、最初から損をしようとしないで墓穴を掘る(dig your own grave)のだ。
「損して徳する」と考えられれば、
人生は想い通りに行く。
だが、その思いとは裏腹に、
人生はなかなか思い通りにはいかない。
むしろ、思い通りにならないことが多いのではなかろうか。
時に思いが重いになり、つまり重圧となってストレス化することもある。
だが、あることをすれば
全く想うとおりの人生を歩むことができるようになる。
そのあることとは・・・・・・・。
その前に、おもうという漢字には
【思う/▽想う/▽憶う/▽念う】
右へ行くほど、どの思いは強くなっていく気がする。
強く思え(願え)ば願いは叶う、とはよく言われることだ。
強く思うとは、最後は念じることなのか。
だがいくら強く思っても(念じても)なかなか願いはかなわない。
じっと座っていくら本気だ本気だと念じたところで、叶うはずはない。
強く思うとは、本気で考えること。
その本気さが、自ずと行動へと導く。
要は、行動すること。
だが、行動の仕方が間違っていては、いつまでたってもこれまた願へは届かない。
そのうち諦めてしまう。
そして、思う。
なんだ強く思っても願いはかなわないじゃないか、と。
闇雲に行動しても、時間の無駄でしかない。
問題は、どう行動するかだ。
そこに思いを叶えるカギがある。
多くの人は、自分のことだけを考えて動く。
肝心なことは、相手のこと(為)を思って動くこと。
「主う」と書いても、おもうとよむ。
おもうは、「面う」ともかく。
主体となる人のことを面と向かって想うこと。
願いをかなえるコツは、相手のことを強く想うことなのだ。
自分ではなく、相手のことを主体として考えること。
自分の身を投げ打って、相手のことをどれだけ真剣に考えられるかで決まる。
お金持ちになりたい、
幸せになりたい、と思う気持ちはだれしもあるだろう。
だけどなかなかなれない。
何故か?
自分が成ろうとするから、成れないのだ。
そして、人生は思い通りにいかないものだと結論付ける。
だけど、
相手をお金持ちにしたい、
相手を幸せにしたいと本気で想い願い、
それを行動に移した時には、どうだろう。
面白いように願いがかなっていく。
自分の人生が思い通りに回りだす。
つまり、与えること。
奪うことではない。
愛を求めるのではなく、
愛を与えること。
愛されることではなく、愛すること。
惜しげもなく与えること。
これに尽きる。
だけど、ほとんどの人がこれができない。
損はしたくない、これが本音だ。
損して得取る、という言葉がある。
だが、最初から得を狙って損をしても
得という果実は得られない。
つまり、骨折り損のくたびれ儲けに終わってしまう。
そう思うから、最初から損をしようとしないで墓穴を掘る(dig your own grave)のだ。
「損して徳する」と考えられれば、
人生は想い通りに行く。
NPO法人設立へ向けた作業が急ピッチで進んでいる。
代表となるK君の行動力と企画力が光る。
思いつきをアイデアに変え、図解し、文書化していく。
彼は今若き起業家としてマスコミも注目している。
彼の行動力は、まるで起動戦車のごとくすさまじい。
ボクも彼のスピードについていくのに必死だ。
頼もしい奴が現れたものだ。
ボクは彼を全面的に補佐する。
――――――――――――――――――――――――
現在、定款づくりに余念がない。
最短4か月での正式設立を目指すが、
既にその活動は始まっている。
協力者、仲間づくりのために説明会を開く。
第一回目の総会に当たるといってもいいだろう。
3月7日(木曜日)午後7:30からフリートークにて行う。
現時点で、NPO法人の名前は
『国際交流プロモーション協会』(仮称)である。
目的は、
外国人および日本人に対して、
国際交流に関する事業を行い、
世界平和に寄与する、といったものだ。
その活動内容は多岐に及ぶ。
ザット挙げただけでも、
・自治体・地域企業との連携
・ALT人材派遣・人材育成・教育改革
・イベント・ホームステイ・留学
・観光・都市計画
・不動産シェアハウス
・出版・商品開発
・輸出入
・福祉
と国際交流に関してはすべて網羅する。
当然、活動の場も世界中に及ぶことになる。
中でも、目玉は、
「小中学校、一校に一人ALTを」
と銘打った、英語力増強計画だ。
そして、外国人と日本人が共同生活する「シェアハウス」の設立だ。
考えただけでもワクワクする。
決して生易しい活動ではない。
だが、極めてやりがいのある活動であり、
誰かがやらなければならないものばかりだ。
今、一緒に活動してくれる協力者、賛同者、出資者を募っている。
あなたも世界貢献の場で活動してみないか。
3月7日の説明会を待たずとも、興味を持たれた方はご一報いただきたい。
一人一人が、小さくとも希望の光をともし
今できることを一歩ずつ実行し、
世界平和へと導こうではないか。
代表となるK君の行動力と企画力が光る。
思いつきをアイデアに変え、図解し、文書化していく。
彼は今若き起業家としてマスコミも注目している。
彼の行動力は、まるで起動戦車のごとくすさまじい。
ボクも彼のスピードについていくのに必死だ。
頼もしい奴が現れたものだ。
ボクは彼を全面的に補佐する。
――――――――――――――――――――――――
現在、定款づくりに余念がない。
最短4か月での正式設立を目指すが、
既にその活動は始まっている。
協力者、仲間づくりのために説明会を開く。
第一回目の総会に当たるといってもいいだろう。
3月7日(木曜日)午後7:30からフリートークにて行う。
現時点で、NPO法人の名前は
『国際交流プロモーション協会』(仮称)である。
目的は、
外国人および日本人に対して、
国際交流に関する事業を行い、
世界平和に寄与する、といったものだ。
その活動内容は多岐に及ぶ。
ザット挙げただけでも、
・自治体・地域企業との連携
・ALT人材派遣・人材育成・教育改革
・イベント・ホームステイ・留学
・観光・都市計画
・不動産シェアハウス
・出版・商品開発
・輸出入
・福祉
と国際交流に関してはすべて網羅する。
当然、活動の場も世界中に及ぶことになる。
中でも、目玉は、
「小中学校、一校に一人ALTを」
と銘打った、英語力増強計画だ。
そして、外国人と日本人が共同生活する「シェアハウス」の設立だ。
考えただけでもワクワクする。
決して生易しい活動ではない。
だが、極めてやりがいのある活動であり、
誰かがやらなければならないものばかりだ。
今、一緒に活動してくれる協力者、賛同者、出資者を募っている。
あなたも世界貢献の場で活動してみないか。
3月7日の説明会を待たずとも、興味を持たれた方はご一報いただきたい。
一人一人が、小さくとも希望の光をともし
今できることを一歩ずつ実行し、
世界平和へと導こうではないか。
電子出版しませんかというオファーを受けて受諾し、
すぐさまタイトルを決め、執筆に取り掛かった。
その後いくつかの同様のオファーを受けている。
だが、当然のことながら手数料がかかる。
当初、5~10万円ということだった。
そして最新のものは、39,000円だという。
ちょっと待てよ、
アップルにせよキンドルにせよ自分で簡単に手続きできるのだ。
本も出ている。
だが、簡単といっても、初めての人間にはいささか敷居が高そうだ。
一応調べてみた。
チョッと手ごわい。
時間もエネルギーもそれなりにかかりそうだ。
それは当然こと。
だができそうだ。
キット同じ思いをしている人はいるはずだ。
それ以上に、興味を持っている人もかなりいるだろう。
そこで、
電子出版研究会なるものを立ち上げて、出版の道を開こうと考えた。
3人寄れば文殊の知恵という。
一旦その方法が分かれば、
自分の作品を次から次に世に送り出すことが可能となる。
しかも、ただで。
日本だけでなく、世界に。
早速、第一回の会合を近々持つことにした。
日時は追って発信する。
場所は、もちろんフリートークだ。
―――――――――――――――――――――――――
併せて、動画(youtube,ニコニコ動画etc.)についても
稼げる動画の創り方を研究していく。
現に稼いでるし、まだわずかだけど。
今や、インターネットを駆使して、個人が、無料で限りなく発信できる時代。
そして、収入を得、生計を立てるだけでなく、
それによって理想のライフスタイルが築けるのだ。
素晴らしい時代になったものだ。
もちろん甘優しいものではない。
だが、可能性は十二分にある。
その手段を指をくわえてみているだけではつまらない。
資本もほとんどかからない。
インターネット環境さえあるところであれば、世界中何処に居ても、いつでもできる。
PCとデジカメ(ビデオ)、携帯電話さえあれば。
もちろん、スマホ、タブレットと周辺機器の充実はそれを助長する。
最新の機材をそろえてもゲームばかりに興じているのは愚かだ。
ゲームアプリを作ろうというのなら、また別だが。
―――――――――――――――――――――――
今、ボクの身及び周辺は日々めまぐるしく変化し
急速に動いている。
時に自分の意志と肉体が翻弄される。
だからこそ、自分自身を見失うことなく、再確認しつつ
遅れず、気負わず、是々非々で、シッカリと地に足をつけ、粛々と進んでいかなければならない。
テクニックと同時に、メンタルコントロールが同じくらい要求される。
大気圏を抜け出す時のようなG(重力・重圧)が激しくかかる。
それに耐えられる強靭な精神と肉体が必要だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨日は早速NPO設立のための申請書をもらってきた。
今日はそれを仕上げていく作業が待っている。
4か月後(6月)の設立を目指す。
ついでに、「招きくまモン」の営業もしてきた。
ベトナムの旧正月が明ければ(18日)、即現地を船便で出荷される。
約10日~2週間後の入荷後、「招きくまモン」200体を売り切り、
追加発注ができるようにする。
3月からの営業活動が待っている。
バッチャンの窯元のオヤジさんの喜ぶ顔が早く見たい。
さらに、同時にこの3月、ハノイにカフェをオープンさせる。
その先の展開が楽しみで、夜も眠れず昼寝ばかりしている。
くわえて、阿蘇、西原村の 『Aso English Village』 のオープン準備を並行してやる。
こちらは、4月5月ごろが目安だ。
Time is running out!
これじゃ、体がいくつあっても足りないぞ。
だが、そこを遣り繰りするのがボクの真骨頂。
ボクの人生の最終章は疾風怒涛のごとく過ぎ去る。
こんな人生に誰がした!
オレか!!??
―――――――――――――――――――――――――
Life is spectacular!
人生は壮大(雄大)にして華やかな方が面白い。
生きているうちが花。
死んで花実が咲くものか。
ボクに残された時間は、
あと6か月。
それまでにすべて決着をつける。
すぐさまタイトルを決め、執筆に取り掛かった。
その後いくつかの同様のオファーを受けている。
だが、当然のことながら手数料がかかる。
当初、5~10万円ということだった。
そして最新のものは、39,000円だという。
ちょっと待てよ、
アップルにせよキンドルにせよ自分で簡単に手続きできるのだ。
本も出ている。
だが、簡単といっても、初めての人間にはいささか敷居が高そうだ。
一応調べてみた。
チョッと手ごわい。
時間もエネルギーもそれなりにかかりそうだ。
それは当然こと。
だができそうだ。
キット同じ思いをしている人はいるはずだ。
それ以上に、興味を持っている人もかなりいるだろう。
そこで、
電子出版研究会なるものを立ち上げて、出版の道を開こうと考えた。
3人寄れば文殊の知恵という。
一旦その方法が分かれば、
自分の作品を次から次に世に送り出すことが可能となる。
しかも、ただで。
日本だけでなく、世界に。
早速、第一回の会合を近々持つことにした。
日時は追って発信する。
場所は、もちろんフリートークだ。
―――――――――――――――――――――――――
併せて、動画(youtube,ニコニコ動画etc.)についても
稼げる動画の創り方を研究していく。
現に稼いでるし、まだわずかだけど。
今や、インターネットを駆使して、個人が、無料で限りなく発信できる時代。
そして、収入を得、生計を立てるだけでなく、
それによって理想のライフスタイルが築けるのだ。
素晴らしい時代になったものだ。
もちろん甘優しいものではない。
だが、可能性は十二分にある。
その手段を指をくわえてみているだけではつまらない。
資本もほとんどかからない。
インターネット環境さえあるところであれば、世界中何処に居ても、いつでもできる。
PCとデジカメ(ビデオ)、携帯電話さえあれば。
もちろん、スマホ、タブレットと周辺機器の充実はそれを助長する。
最新の機材をそろえてもゲームばかりに興じているのは愚かだ。
ゲームアプリを作ろうというのなら、また別だが。
―――――――――――――――――――――――
今、ボクの身及び周辺は日々めまぐるしく変化し
急速に動いている。
時に自分の意志と肉体が翻弄される。
だからこそ、自分自身を見失うことなく、再確認しつつ
遅れず、気負わず、是々非々で、シッカリと地に足をつけ、粛々と進んでいかなければならない。
テクニックと同時に、メンタルコントロールが同じくらい要求される。
大気圏を抜け出す時のようなG(重力・重圧)が激しくかかる。
それに耐えられる強靭な精神と肉体が必要だ。
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昨日は早速NPO設立のための申請書をもらってきた。
今日はそれを仕上げていく作業が待っている。
4か月後(6月)の設立を目指す。
ついでに、「招きくまモン」の営業もしてきた。
ベトナムの旧正月が明ければ(18日)、即現地を船便で出荷される。
約10日~2週間後の入荷後、「招きくまモン」200体を売り切り、
追加発注ができるようにする。
3月からの営業活動が待っている。
バッチャンの窯元のオヤジさんの喜ぶ顔が早く見たい。
さらに、同時にこの3月、ハノイにカフェをオープンさせる。
その先の展開が楽しみで、夜も眠れず昼寝ばかりしている。
くわえて、阿蘇、西原村の 『Aso English Village』 のオープン準備を並行してやる。
こちらは、4月5月ごろが目安だ。
Time is running out!
これじゃ、体がいくつあっても足りないぞ。
だが、そこを遣り繰りするのがボクの真骨頂。
ボクの人生の最終章は疾風怒涛のごとく過ぎ去る。
こんな人生に誰がした!
オレか!!??
―――――――――――――――――――――――――
Life is spectacular!
人生は壮大(雄大)にして華やかな方が面白い。
生きているうちが花。
死んで花実が咲くものか。
ボクに残された時間は、
あと6か月。
それまでにすべて決着をつける。
話は長くなる(Long story)。
さらに話は込み入っていて(complicated)分かりにくい(confusing)かもしれない。
このブログは、
サブタイトルにあるように3人の子供たち当てて書いている。
再三述べているがボクには3人の子供がいる。
それだけでも幸せだ。
上から、娘、息子、そして娘。
上の娘は前妻の子供である。
下二人は同じ母親から生まれている。
つまり上の娘と下の二人の子供たちは異母兄弟である。
昨今さして珍しいことではない。
問題は、上の娘(前妻との子供)と、現在の妻との間の確執(?)(discord)から始まる。
4歳の時別れた娘が、23年ぶりに会いたいと言ってきたとき、
今の妻が、「会うなら私と別れてから会って」、と娘との再会を拒否した。
一旦は、妻の気持ちを尊重したが、最終的にボクは別れた娘と会うことを選んだ。
その選択は間違ってはいなかったと今でも確信している。
それから事実上の別居が始まって早5年。
アメリカ人と結婚し大阪に住むとは、仲良くやっている。
昨夜もチャットで話をした。
サンフランシスコに住む息子とも姉弟として良好な関係を築いてくれている。
そんな中、今の妻は、7歳から始めた娘のバレエをステージママとして一心に支えてきた。
バレエに執心する下の娘は母親ベッタリで、
父親であるボクとじっくり会話する時間が持てなかったことも事実だ。
母親との不和を感じている娘が父親を敬遠する気持ちもよく分かっている。
だが、高校を卒業しニューヨークへダンス留学する娘をボクも心から応援した。
そして、2年後の去年7月、ニューヨークでアメリカ人と結婚した。
結婚式に出席すべくニューヨーク入りしたボクを待ち構えていたのは
娘の夫になる男の不誠実と、その家族のボクに対する冷たい仕打ちだった。
式当日、ニューヨークのセントラルパークでその家族と口論したボクは、
娘の結婚式に参列することなく失意の元帰国した。
そのいきさつは、当時のブログに詳しく書き留めている。
このニューヨーク事件が、ボクから娘をますます遠ざけてしまった。
それ以来半年間、彼女とは一切連絡をとれていなかった。
そしていきなり今回ぼくのfacebookのタイムラインに載せた何気ない記事へ娘から送られたコメントだ。
ボクは、その内容より彼女の方からボクにコンタクトして来てくれたことに狂喜した。
元気でいてくれたことが分かっただけでも嬉しかった。
娘のボクを批判するコメント内容は散々だったが。
しかも、メッセージではなくみんなが見れるコメント欄にぶちまけてきた。
ボクは敢えて削除しなかった。
親子の恥、家族の恥とも思える内容を世間に晒してまで
父親を罵倒したかったのだろうから。
それで気が済むのならそうすればいい。
ボクは敢えて否定も肯定もしない。
ただ娘がボクのことをそういう目で見ていることだけは分かった。
受け止めよう。
彼女の言う 「本気で受け取らないといけないことまで見失うほどに」
面白おかしく、お気楽そうで能天気に生きるボクの生き方に批判的であることも含めて。
「本気で受け取らないといけないこと」とは、母親のことであることは推測に難くない。
そんな生き方に娘ならずとも、批判する他人が少なからずいることをボクは知っている。
それでもボクは僕の生き方を貫くだろう。
例え娘や周囲から理解されなくても、
ボクは自分を信じ、信念を貫き通して生きることを決めたのだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――
ボクは子供のころ両親のいない暮らしを余儀なくされた。
叔父や叔母の冷たい視線に晒され、もまれながら歯を食いしばって生きてきたことが
ボクを打たれ強くしたのだろう。
どんな批判も甘んじて受けよう。
だがボクは自分の信念を曲げるつもりはない。
残されたわずかな命を、この信念とともに捧げるつもりだ。
2度の結婚に失敗し、娘に悲しい思いをさせてまで貫き通そうとすす信念とはいったい何なのか。
我儘だ、自分勝手だ、いい加減だと批判されながらも
頑(かたく)なに守ろうとしているものと一体は何なのか。
過去に負った傷とともに、
過去に犯した罪を償いつつ、
こんなボクでも頼りにし、愛してくれている人がいることを忘れることは出来ない。
それが何にせよ、行動を起こすもには批判は付き物なのだ。
それを恐れては、何もできない。
それを恐れて、やりたいことを捨てるのか、
拘って重圧に負け、心を苛んでいくのか。
否。
邪魔するものを払いのけてでも、ボクは自分の信じた道を進む。
愛し慕ってくる人がいる限り、ボクはその人たちのために命を懸けて尽くす。
消えかかる命の灯を必死で燃やし続ける人がいる。
その人のために
Let me die instead!と言おう。
それで救われる人がいるのなら残り短いこの命を捧げよう。
迷いは生じても、揺るぎはない。
落ち込んでも、立ち上がる強かさを失っていはいけない。
ぶれない、めげないをモットーにして。
決心と覚悟は、勇気を産み自信を育む。
周囲の声に紛らわされることなく、
自分の内なる声を聴け。
世間を相手にするのではない。
これは、自分との闘いである。
――――――――――――――――――――――――――――――
少し熱くなり過ぎたようである。
頭を冷やして冷静に話し合おう、娘よ。
思えば、君とじっくり話したことは数えるくらいしかないような気がする。
こんなお父さんでも、紛れもなく君の父親なのだ。
ユックリ語り合わないか、娘よ。
怒り、罵られても、甘んじて受け入れよう。
ボクはいつでも君を待っている。
心を開いて語り合おう。
君の幸せを心から願っている。
愛しているよ。
さらに話は込み入っていて(complicated)分かりにくい(confusing)かもしれない。
このブログは、
サブタイトルにあるように3人の子供たち当てて書いている。
再三述べているがボクには3人の子供がいる。
それだけでも幸せだ。
上から、娘、息子、そして娘。
上の娘は前妻の子供である。
下二人は同じ母親から生まれている。
つまり上の娘と下の二人の子供たちは異母兄弟である。
昨今さして珍しいことではない。
問題は、上の娘(前妻との子供)と、現在の妻との間の確執(?)(discord)から始まる。
4歳の時別れた娘が、23年ぶりに会いたいと言ってきたとき、
今の妻が、「会うなら私と別れてから会って」、と娘との再会を拒否した。
一旦は、妻の気持ちを尊重したが、最終的にボクは別れた娘と会うことを選んだ。
その選択は間違ってはいなかったと今でも確信している。
それから事実上の別居が始まって早5年。
アメリカ人と結婚し大阪に住むとは、仲良くやっている。
昨夜もチャットで話をした。
サンフランシスコに住む息子とも姉弟として良好な関係を築いてくれている。
そんな中、今の妻は、7歳から始めた娘のバレエをステージママとして一心に支えてきた。
バレエに執心する下の娘は母親ベッタリで、
父親であるボクとじっくり会話する時間が持てなかったことも事実だ。
母親との不和を感じている娘が父親を敬遠する気持ちもよく分かっている。
だが、高校を卒業しニューヨークへダンス留学する娘をボクも心から応援した。
そして、2年後の去年7月、ニューヨークでアメリカ人と結婚した。
結婚式に出席すべくニューヨーク入りしたボクを待ち構えていたのは
娘の夫になる男の不誠実と、その家族のボクに対する冷たい仕打ちだった。
式当日、ニューヨークのセントラルパークでその家族と口論したボクは、
娘の結婚式に参列することなく失意の元帰国した。
そのいきさつは、当時のブログに詳しく書き留めている。
このニューヨーク事件が、ボクから娘をますます遠ざけてしまった。
それ以来半年間、彼女とは一切連絡をとれていなかった。
そしていきなり今回ぼくのfacebookのタイムラインに載せた何気ない記事へ娘から送られたコメントだ。
ボクは、その内容より彼女の方からボクにコンタクトして来てくれたことに狂喜した。
元気でいてくれたことが分かっただけでも嬉しかった。
娘のボクを批判するコメント内容は散々だったが。
しかも、メッセージではなくみんなが見れるコメント欄にぶちまけてきた。
ボクは敢えて削除しなかった。
親子の恥、家族の恥とも思える内容を世間に晒してまで
父親を罵倒したかったのだろうから。
それで気が済むのならそうすればいい。
ボクは敢えて否定も肯定もしない。
ただ娘がボクのことをそういう目で見ていることだけは分かった。
受け止めよう。
彼女の言う 「本気で受け取らないといけないことまで見失うほどに」
面白おかしく、お気楽そうで能天気に生きるボクの生き方に批判的であることも含めて。
「本気で受け取らないといけないこと」とは、母親のことであることは推測に難くない。
そんな生き方に娘ならずとも、批判する他人が少なからずいることをボクは知っている。
それでもボクは僕の生き方を貫くだろう。
例え娘や周囲から理解されなくても、
ボクは自分を信じ、信念を貫き通して生きることを決めたのだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――
ボクは子供のころ両親のいない暮らしを余儀なくされた。
叔父や叔母の冷たい視線に晒され、もまれながら歯を食いしばって生きてきたことが
ボクを打たれ強くしたのだろう。
どんな批判も甘んじて受けよう。
だがボクは自分の信念を曲げるつもりはない。
残されたわずかな命を、この信念とともに捧げるつもりだ。
2度の結婚に失敗し、娘に悲しい思いをさせてまで貫き通そうとすす信念とはいったい何なのか。
我儘だ、自分勝手だ、いい加減だと批判されながらも
頑(かたく)なに守ろうとしているものと一体は何なのか。
過去に負った傷とともに、
過去に犯した罪を償いつつ、
こんなボクでも頼りにし、愛してくれている人がいることを忘れることは出来ない。
それが何にせよ、行動を起こすもには批判は付き物なのだ。
それを恐れては、何もできない。
それを恐れて、やりたいことを捨てるのか、
拘って重圧に負け、心を苛んでいくのか。
否。
邪魔するものを払いのけてでも、ボクは自分の信じた道を進む。
愛し慕ってくる人がいる限り、ボクはその人たちのために命を懸けて尽くす。
消えかかる命の灯を必死で燃やし続ける人がいる。
その人のために
Let me die instead!と言おう。
それで救われる人がいるのなら残り短いこの命を捧げよう。
迷いは生じても、揺るぎはない。
落ち込んでも、立ち上がる強かさを失っていはいけない。
ぶれない、めげないをモットーにして。
決心と覚悟は、勇気を産み自信を育む。
周囲の声に紛らわされることなく、
自分の内なる声を聴け。
世間を相手にするのではない。
これは、自分との闘いである。
――――――――――――――――――――――――――――――
少し熱くなり過ぎたようである。
頭を冷やして冷静に話し合おう、娘よ。
思えば、君とじっくり話したことは数えるくらいしかないような気がする。
こんなお父さんでも、紛れもなく君の父親なのだ。
ユックリ語り合わないか、娘よ。
怒り、罵られても、甘んじて受け入れよう。
ボクはいつでも君を待っている。
心を開いて語り合おう。
君の幸せを心から願っている。
愛しているよ。