店番をするベトナムの少女
「かじさん、あんた苦労するよ」ってある人に言われました。
若いうちは苦労は買ってでもせよ、といいます。
若いうちだけでなく、生きてるうちはに言い換えてもいい。
だからいまだに買って苦労している。
苦労は一向に厭わない。
確かにこのまま何もしなければ悠悠自適とまでは行かなくても、
の~んびり暮らしていけるだろう。
だが、こののんびりが曲者なのだ。
少なくてもボクにとっては。
のんびり = 退屈 になってしまう。
余暇とか余生の文字はボクにはない。
つまり、ボクの人生に余りなんかない。
生き尽くす、燃え尽きることがボクのモットー。
なぜいまだに買ってでも苦労をしているのか。
それは苦労の中にそれ以上の喜びを見出すから。
苦労の中に、それ以上の幸福が潜んでいるから。
だから、人から見て苦労に思えることが、ボクにはそう映らない。
だから、湖面をいく白鳥のように首を立て優雅に生きたい。
ただ、水面下では必死で水を掻いている。
そして、苦労は自分自身への戒めでもある。
もし、人生に苦労のみならず、苦悩、苦痛がなくなったらどうなるか。
まず、傲慢さが無限に膨れ上がるだろうことは想像に難くない。
苦労や苦悩、苦痛を通じることで、人は謙虚さを学ぶ。
同情や労り、優しさ、愛情、慈悲の心なども知ることができる。
他人の痛みに対して鈍感になることで人はどこまでも残虐になることができる。
自らが痛みを経験し、痛みとは何かを理解し、他人の痛みを我がものとして共感して初めて、
人は他者に対して優しくなれる。
ドイツの哲学者ショーペンハウアーは次のように例えている。
「船が正しく前進するために底荷が必要であるように、
ある程度の心労や苦痛、困窮は人間に必要である」と。
仮に、一切の願望が即座に満たされるような極楽世界があったとして、
最終的に何を感じるようになるだろうか。
傲慢や無慈悲、残酷、悲惨などの混沌を過ぎた後、
そこに残されたのは「退屈」である。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉がある。
暇で死にそうなどと冗談で言ったりすることがある。
だがこれはあながち冗談では済まされない。
つまり、苦痛なほどの退屈によって自殺する者が次々に現れるだろう、と予測されているのだ。
「自分は何のために生きているのだろう」という悠長なセリフは暇人にしか出てこない。
暇を持て余すなどという言葉も、ボクには一切無縁である。
むしろ貧乏暇なしという言葉がボクには似合う。
そして意外とそれに満足している自分がいる。
ちなみに、暇は人格を拡大させるといわれる。
暇を与えられた時、人はやりたいことをやり始める。
悪い心を持った者は、犯罪的な行為に走る。
良い心を持った人は、創造的な行為にその時間を充てる。
怠惰な人間は怠惰に過ごし、活動的な人は活動的に過ごす。
ゆえに賢人は言う。
「余暇の過ごし方は、人格を試すテストである」と。
ところで、今夜暇?
「かじさん、あんた苦労するよ」ってある人に言われました。
若いうちは苦労は買ってでもせよ、といいます。
若いうちだけでなく、生きてるうちはに言い換えてもいい。
だからいまだに買って苦労している。
苦労は一向に厭わない。
確かにこのまま何もしなければ悠悠自適とまでは行かなくても、
の~んびり暮らしていけるだろう。
だが、こののんびりが曲者なのだ。
少なくてもボクにとっては。
のんびり = 退屈 になってしまう。
余暇とか余生の文字はボクにはない。
つまり、ボクの人生に余りなんかない。
生き尽くす、燃え尽きることがボクのモットー。
なぜいまだに買ってでも苦労をしているのか。
それは苦労の中にそれ以上の喜びを見出すから。
苦労の中に、それ以上の幸福が潜んでいるから。
だから、人から見て苦労に思えることが、ボクにはそう映らない。
だから、湖面をいく白鳥のように首を立て優雅に生きたい。
ただ、水面下では必死で水を掻いている。
そして、苦労は自分自身への戒めでもある。
もし、人生に苦労のみならず、苦悩、苦痛がなくなったらどうなるか。
まず、傲慢さが無限に膨れ上がるだろうことは想像に難くない。
苦労や苦悩、苦痛を通じることで、人は謙虚さを学ぶ。
同情や労り、優しさ、愛情、慈悲の心なども知ることができる。
他人の痛みに対して鈍感になることで人はどこまでも残虐になることができる。
自らが痛みを経験し、痛みとは何かを理解し、他人の痛みを我がものとして共感して初めて、
人は他者に対して優しくなれる。
ドイツの哲学者ショーペンハウアーは次のように例えている。
「船が正しく前進するために底荷が必要であるように、
ある程度の心労や苦痛、困窮は人間に必要である」と。
仮に、一切の願望が即座に満たされるような極楽世界があったとして、
最終的に何を感じるようになるだろうか。
傲慢や無慈悲、残酷、悲惨などの混沌を過ぎた後、
そこに残されたのは「退屈」である。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉がある。
暇で死にそうなどと冗談で言ったりすることがある。
だがこれはあながち冗談では済まされない。
つまり、苦痛なほどの退屈によって自殺する者が次々に現れるだろう、と予測されているのだ。
「自分は何のために生きているのだろう」という悠長なセリフは暇人にしか出てこない。
暇を持て余すなどという言葉も、ボクには一切無縁である。
むしろ貧乏暇なしという言葉がボクには似合う。
そして意外とそれに満足している自分がいる。
ちなみに、暇は人格を拡大させるといわれる。
暇を与えられた時、人はやりたいことをやり始める。
悪い心を持った者は、犯罪的な行為に走る。
良い心を持った人は、創造的な行為にその時間を充てる。
怠惰な人間は怠惰に過ごし、活動的な人は活動的に過ごす。
ゆえに賢人は言う。
「余暇の過ごし方は、人格を試すテストである」と。
ところで、今夜暇?
ベトナムの女性の日にプロポーズの写真を載せました。
果たして、結果は?と心待ちにしておられる方もおられるようです。
残念ながらタビストに恋はご法度である。
なんせ一所にとどまることを知らないのだから。
恋は、人を縛り自由を奪う。
男は、あるいは女も、自由と引き換えに恋をする。
いずれは自分の下を去る男性、あるいは女性と恋をするにはその覚悟が必要だ。
一時の情事に耽るのか、
去ることを知りつつ真剣な恋に陥るのか。
恋とはさほど魅力的なものなのだ。
だから時に心を惑わす魔力も持っている。
だが、愛は違う。
愛は時空を超えて永遠に輝き続ける。
恋と愛は異質なものである。
恋は下心、愛は真心などといったりもする。
そう、恋は一時、愛は永遠といえるかもしれない。
そして、恋は特定、愛は万人に及ぶ。
というわけで、博愛の下、世界を旅している。
もちろん、その場所、場所で、恋には落ちるが。
タビストがタビストであるために、最も大切にしているものが二つある。
それは、自由と愛である。
自由は自己完結型であり、
愛は相手がいる。
だが、これは何ら矛盾しない。
無償の愛であるからして、本来利害関係を生まない。
そこに矛盾があるとするならば、
生活という現実問題が存在するからに他ならない。
だから、正直タビストと恋は矛盾する。
愛の種は平和の花を咲かせるが、
恋の種は時に子供を作る。
そして争いの元になったりもする。
元来タビストとは我が儘で自分勝手なものよ。
だから、エラそうなことは言えない。
果たして、結果は?と心待ちにしておられる方もおられるようです。
残念ながらタビストに恋はご法度である。
なんせ一所にとどまることを知らないのだから。
恋は、人を縛り自由を奪う。
男は、あるいは女も、自由と引き換えに恋をする。
いずれは自分の下を去る男性、あるいは女性と恋をするにはその覚悟が必要だ。
一時の情事に耽るのか、
去ることを知りつつ真剣な恋に陥るのか。
恋とはさほど魅力的なものなのだ。
だから時に心を惑わす魔力も持っている。
だが、愛は違う。
愛は時空を超えて永遠に輝き続ける。
恋と愛は異質なものである。
恋は下心、愛は真心などといったりもする。
そう、恋は一時、愛は永遠といえるかもしれない。
そして、恋は特定、愛は万人に及ぶ。
というわけで、博愛の下、世界を旅している。
もちろん、その場所、場所で、恋には落ちるが。
タビストがタビストであるために、最も大切にしているものが二つある。
それは、自由と愛である。
自由は自己完結型であり、
愛は相手がいる。
だが、これは何ら矛盾しない。
無償の愛であるからして、本来利害関係を生まない。
そこに矛盾があるとするならば、
生活という現実問題が存在するからに他ならない。
だから、正直タビストと恋は矛盾する。
愛の種は平和の花を咲かせるが、
恋の種は時に子供を作る。
そして争いの元になったりもする。
元来タビストとは我が儘で自分勝手なものよ。
だから、エラそうなことは言えない。
警官とアオザイ女性
2週間前ハノイに入った時は
前回の訪問の時に候補となった4階建てのビルをどう使うかという課題を抱えて
勢い勇んでいた。
日本語フリートーク・カフェと日本語学校の併設を俎上に乗せた状態だった。
だが、テナント料が高いことなどが主な原因で、別の物件を探すことに。
そしてそれはすぐに見つかった。
同じ4階建てだけど、テナント料は半分以下。
条件のいい人気物件だけに、すぐに契約に至った。
そして話が進むうちに、帰国間際になって、日本語学校一本で行くことに方針が固まった。
もともと日本語フリートーク・カフェを開くことが主目的だったが、
いつの間にか立ち消え、日本語学校にすり替わってしまった。
わずか二週間で状況は全く変わってしまったことになる。
この変化をどうとらえるか。
結論は、良しとする。
なぜなら、足場を築くことができたからである。
しかも、好条件で。
人間万事塞翁が馬(“Inscrutable are the ways of Heaven.”)
日本語フリートーク・カフェにしても、
ボクが直接経営に携わるわけではない。
現地の人間が積極的に係ってこそ事業はうまくいく。
彼らが自主的にやる気を出すことでうまく回るものだ。
アイデアのお仕着せでは早晩行き詰るだろう。
そういう意味では最高の条件である。
同じ日本語の普及という趣旨には変わりはない。
そこから段階を経て日本語フリートーク・カフェの企画を立てなおすことが賢明かもしれない。
ストレートに物事がうまく運ばないからといって、落胆する必要はない。
階段の途中に踊り場を設けることでより上りやすくなることもある。
むしろ、いい方向に進みつつある、と解釈する。
「人間いたるところ青山あり」だ。
Fortune can be found everywhere.
日本語学校に携わりながら、
その実態をじっくり勉強させてもらおう。
ちょうど、大学浪人をした一年間で急激にパワーアップした。
ストレートで大学に入学していたら、今のボクはない。
今はそうした気分に似ている。
その経験を活かして、さらに進化した日本語フリートーク・カフェを開くのだ。
【追記】
帰る直前、ホーチミンからわざわざハノイまでボクに会いに来てくださった方がいる。
例の納豆博士だ。
かねてから彼はメールでボクにアドバイスをくれていた。
昨夜もベトナムでのビジネスについて貴重なアドバイスをいただいた。
そして今中国からベトナムへのシフトがいろんな意味で広がっていることを情報として教えていただいた。
日本においてもそうだが、ベトナムでもいろんな方からの支えでここまで来れたことを実感する。
本当にありがたく心から感謝している。
次の訪越は12月の予定。
その時はホーチミンも訪ねることになるだろう。
再会が楽しみだ。
【補足】
「人間到る処青山あり (じんかん、いたるところせいざんあり)」とは、
世の中その気になれば何処ででも死ねるということ。
また、そうであるから故郷を離れ世界に雄飛するのに躊躇してはいけないということである。
2週間前ハノイに入った時は
前回の訪問の時に候補となった4階建てのビルをどう使うかという課題を抱えて
勢い勇んでいた。
日本語フリートーク・カフェと日本語学校の併設を俎上に乗せた状態だった。
だが、テナント料が高いことなどが主な原因で、別の物件を探すことに。
そしてそれはすぐに見つかった。
同じ4階建てだけど、テナント料は半分以下。
条件のいい人気物件だけに、すぐに契約に至った。
そして話が進むうちに、帰国間際になって、日本語学校一本で行くことに方針が固まった。
もともと日本語フリートーク・カフェを開くことが主目的だったが、
いつの間にか立ち消え、日本語学校にすり替わってしまった。
わずか二週間で状況は全く変わってしまったことになる。
この変化をどうとらえるか。
結論は、良しとする。
なぜなら、足場を築くことができたからである。
しかも、好条件で。
人間万事塞翁が馬(“Inscrutable are the ways of Heaven.”)
日本語フリートーク・カフェにしても、
ボクが直接経営に携わるわけではない。
現地の人間が積極的に係ってこそ事業はうまくいく。
彼らが自主的にやる気を出すことでうまく回るものだ。
アイデアのお仕着せでは早晩行き詰るだろう。
そういう意味では最高の条件である。
同じ日本語の普及という趣旨には変わりはない。
そこから段階を経て日本語フリートーク・カフェの企画を立てなおすことが賢明かもしれない。
ストレートに物事がうまく運ばないからといって、落胆する必要はない。
階段の途中に踊り場を設けることでより上りやすくなることもある。
むしろ、いい方向に進みつつある、と解釈する。
「人間いたるところ青山あり」だ。
Fortune can be found everywhere.
日本語学校に携わりながら、
その実態をじっくり勉強させてもらおう。
ちょうど、大学浪人をした一年間で急激にパワーアップした。
ストレートで大学に入学していたら、今のボクはない。
今はそうした気分に似ている。
その経験を活かして、さらに進化した日本語フリートーク・カフェを開くのだ。
【追記】
帰る直前、ホーチミンからわざわざハノイまでボクに会いに来てくださった方がいる。
例の納豆博士だ。
かねてから彼はメールでボクにアドバイスをくれていた。
昨夜もベトナムでのビジネスについて貴重なアドバイスをいただいた。
そして今中国からベトナムへのシフトがいろんな意味で広がっていることを情報として教えていただいた。
日本においてもそうだが、ベトナムでもいろんな方からの支えでここまで来れたことを実感する。
本当にありがたく心から感謝している。
次の訪越は12月の予定。
その時はホーチミンも訪ねることになるだろう。
再会が楽しみだ。
【補足】
「人間到る処青山あり (じんかん、いたるところせいざんあり)」とは、
世の中その気になれば何処ででも死ねるということ。
また、そうであるから故郷を離れ世界に雄飛するのに躊躇してはいけないということである。
昨日、今回のハノイ滞在中の最後の打ち合わせを行った。
今回はパートナーに同席してもらった。
結論は、日本語学校からスタートさせることになった。
正直言うと、ボクの趣旨からは大きくずれる形となる。
だが縁あって彼らとは志を同じくした。
彼らの意思を尊重すべきだと判断した。
なぜなら、ボクは彼らのために今ここにいるのだから。
ただ、ボクの出資比率を極力抑えた。
主導権は彼らにある。
ボクはそのお手伝いをさせてもらう。
日本側のパイプ役となる。
そして、今後ハノイ滞在中は日本語教師となるだろう。
そしてそれは今後の夢へとつながっていく。
夢の実現は、少し遠回りしたほうが面白い。
好きな人を送るとき、少し遠回りしていくようなものに似ている。
明日の帰国を待って、あわただしい動きをしなければならない。
留守を預かってくれたフリートークのスタッフ、
来月開店予定の一階の弁当屋さん、
阿蘇・西原村のシェアハウスで住み始めた住人も片付けに日夜汗を流している。
みんなのおかげで、今ボクはこうしてここにいることができる。
そして、今回新たに加わった大きな使命は、福岡への進出だ。
フリートーク福岡の開設と、日本語学校、人材派遣会社との連携強化などなど
やるべきことは枚挙に暇がない。
帰国してもボクの席やベッドの温まる暇もないだろう。
これがvagabond(バガボンド)の宿命なのだ。
今回お世話になったベトナムの方々、
日本で頑張ってくれている人々、すべてのみんなに感謝します。
そして、ボクはあなた方のために粉骨砕身します。
ありがとう!
【注釈】
vagabond とは、さすらい人の意。
someone who has no home and travels from place to place
ボクの場合は、バカボンドかもネ。
今回はパートナーに同席してもらった。
結論は、日本語学校からスタートさせることになった。
正直言うと、ボクの趣旨からは大きくずれる形となる。
だが縁あって彼らとは志を同じくした。
彼らの意思を尊重すべきだと判断した。
なぜなら、ボクは彼らのために今ここにいるのだから。
ただ、ボクの出資比率を極力抑えた。
主導権は彼らにある。
ボクはそのお手伝いをさせてもらう。
日本側のパイプ役となる。
そして、今後ハノイ滞在中は日本語教師となるだろう。
そしてそれは今後の夢へとつながっていく。
夢の実現は、少し遠回りしたほうが面白い。
好きな人を送るとき、少し遠回りしていくようなものに似ている。
明日の帰国を待って、あわただしい動きをしなければならない。
留守を預かってくれたフリートークのスタッフ、
来月開店予定の一階の弁当屋さん、
阿蘇・西原村のシェアハウスで住み始めた住人も片付けに日夜汗を流している。
みんなのおかげで、今ボクはこうしてここにいることができる。
そして、今回新たに加わった大きな使命は、福岡への進出だ。
フリートーク福岡の開設と、日本語学校、人材派遣会社との連携強化などなど
やるべきことは枚挙に暇がない。
帰国してもボクの席やベッドの温まる暇もないだろう。
これがvagabond(バガボンド)の宿命なのだ。
今回お世話になったベトナムの方々、
日本で頑張ってくれている人々、すべてのみんなに感謝します。
そして、ボクはあなた方のために粉骨砕身します。
ありがとう!
【注釈】
vagabond とは、さすらい人の意。
someone who has no home and travels from place to place
ボクの場合は、バカボンドかもネ。
このところ、いつも帰る間際になると重要な局面がやってくる。
次の訪越に課題を残し、あたかも「また来なさいよ」と言っているかのようだ。
昨日は、まだできて間もない小さな日本語学校を訪れた。
和気あいあいとした雰囲気が漂っている。
出迎えてくれたのは、前回オフ会で会ったかわいい女の子。
再会にお互いびっくり。
ハノイもsmall worldになったものだ。
世の中は狭いというが、確実に地球は狭くなっている。
この日は週末でもあり、月一回のランチパーティが催されていた。
学生たちがみんなで料理を作って食べる。
メニューはたまたまボクの好きなBun Chaというベトナム料理。
炭火で肉を焼くのは男性の仕事。
20人弱の男女とも寄宿舎生活をしている。
日本語の堪能な3人のベトナム人教師が日本語を教える。
日本人の先生はいない。
学生にとって、日本人と触れ合う機会は少ないらしく、
興味津々でボクの周りに寄ってきて、覚えたばかりの日本語で質問してくる。
純真ではにかんだ様子がベトナム人気質を反映している。
昨日も書いたが、こうした日本への憧れを、われわれ日本人は裏切ってはいけないとつくづく思う。
食品関係の仕事に着く女の子たち、
自動車関連の仕事に着く男の子、
経済を学びたいという意欲のある男性と様々だ。
彼らの夢と不安は余すところなく広がる。
日本は移民の道をたどるであろう。
いや、移民を受け入れずして日本おこれからの発展はありえない。
移民に反対する人がいる。
多くは、犯罪が増えるから、という理由らしい。
確かにそれは言える。
だが、彼らがどういう思いで日本にやってきて、頑張ろうとしているかを理解する人も少ない。
年収の何年分かをつぎ込んでまで、日本に来たいと思う情熱を掻き消してはいけない。
暖かく彼らを迎え入れ、人間として分け隔てなく接すれば必ずお互い理解しあえる。
確かに言葉の壁は大きい。
それだからこそ、彼らは身を削って日本語の学習、日本文化、習慣になじもうとしているのだ。
日本は純血であるからにして、保守的に走る傾向は否めない。
だが、そこを打破しなければ日本そのものが滅びてしまうだろう。
涙ぐましい彼らの実態を、一人でも多くの日本人に知ってもらいたい。
そうすれば、移民を快く受け入れ、お互い発展の道を歩むことができると確信する。
【追記】
日本にいても、外国人といかに馴染むことができるかが
日本人の生活に大きく影響してくることは必至である。
次の訪越に課題を残し、あたかも「また来なさいよ」と言っているかのようだ。
昨日は、まだできて間もない小さな日本語学校を訪れた。
和気あいあいとした雰囲気が漂っている。
出迎えてくれたのは、前回オフ会で会ったかわいい女の子。
再会にお互いびっくり。
ハノイもsmall worldになったものだ。
世の中は狭いというが、確実に地球は狭くなっている。
この日は週末でもあり、月一回のランチパーティが催されていた。
学生たちがみんなで料理を作って食べる。
メニューはたまたまボクの好きなBun Chaというベトナム料理。
炭火で肉を焼くのは男性の仕事。
20人弱の男女とも寄宿舎生活をしている。
日本語の堪能な3人のベトナム人教師が日本語を教える。
日本人の先生はいない。
学生にとって、日本人と触れ合う機会は少ないらしく、
興味津々でボクの周りに寄ってきて、覚えたばかりの日本語で質問してくる。
純真ではにかんだ様子がベトナム人気質を反映している。
昨日も書いたが、こうした日本への憧れを、われわれ日本人は裏切ってはいけないとつくづく思う。
食品関係の仕事に着く女の子たち、
自動車関連の仕事に着く男の子、
経済を学びたいという意欲のある男性と様々だ。
彼らの夢と不安は余すところなく広がる。
日本は移民の道をたどるであろう。
いや、移民を受け入れずして日本おこれからの発展はありえない。
移民に反対する人がいる。
多くは、犯罪が増えるから、という理由らしい。
確かにそれは言える。
だが、彼らがどういう思いで日本にやってきて、頑張ろうとしているかを理解する人も少ない。
年収の何年分かをつぎ込んでまで、日本に来たいと思う情熱を掻き消してはいけない。
暖かく彼らを迎え入れ、人間として分け隔てなく接すれば必ずお互い理解しあえる。
確かに言葉の壁は大きい。
それだからこそ、彼らは身を削って日本語の学習、日本文化、習慣になじもうとしているのだ。
日本は純血であるからにして、保守的に走る傾向は否めない。
だが、そこを打破しなければ日本そのものが滅びてしまうだろう。
涙ぐましい彼らの実態を、一人でも多くの日本人に知ってもらいたい。
そうすれば、移民を快く受け入れ、お互い発展の道を歩むことができると確信する。
【追記】
日本にいても、外国人といかに馴染むことができるかが
日本人の生活に大きく影響してくることは必至である。
これほどにまで日本は愛されているのか。
そう思う瞬間だった。
ハノイにある日本への人材派遣会社を訪れるのはこれが2度目である。
訓練中の教室を訪れ、彼らの歓迎を受けた。
あいさつ、自己紹介をはきはきとしてくれた。
http://youtu.be/q9ltCeq8kqE
彼らは、数十万という年収の数年分を払い、
3~4か月かけて寄宿舎生活を送りながら日本語を学ぶ。
どうしてそこまでして日本に来たいのか。
それは、仕事をするためである。
日本で仕事をして、お金を稼ぐためである。
彼らが掛けた数十万の投資は、
実習期間の3年で十分回収できる。
だが、それだけではない。
日本という国に憧れを持ち、技術を身につけ、日本の文化を知ることで
彼らはよりソフィスティケイトされた人物になることができる。
ただ、現実は厳しい。
3年間を終えた後、祖国へ帰っても働き口は少ない。
そこで、不法滞在する者もいるのが現状だ。
彼らに、決してバラ色の未来が待っているという保証はない。
だが、彼らはやはり日本に憧れる。
引き受ける以上、日本もそれに応えなければならない。
そう思う瞬間だった。
ハノイにある日本への人材派遣会社を訪れるのはこれが2度目である。
訓練中の教室を訪れ、彼らの歓迎を受けた。
あいさつ、自己紹介をはきはきとしてくれた。
http://youtu.be/q9ltCeq8kqE
彼らは、数十万という年収の数年分を払い、
3~4か月かけて寄宿舎生活を送りながら日本語を学ぶ。
どうしてそこまでして日本に来たいのか。
それは、仕事をするためである。
日本で仕事をして、お金を稼ぐためである。
彼らが掛けた数十万の投資は、
実習期間の3年で十分回収できる。
だが、それだけではない。
日本という国に憧れを持ち、技術を身につけ、日本の文化を知ることで
彼らはよりソフィスティケイトされた人物になることができる。
ただ、現実は厳しい。
3年間を終えた後、祖国へ帰っても働き口は少ない。
そこで、不法滞在する者もいるのが現状だ。
彼らに、決してバラ色の未来が待っているという保証はない。
だが、彼らはやはり日本に憧れる。
引き受ける以上、日本もそれに応えなければならない。
残すところあと4日。
とうとう、この2週間ハノイの同じホテルに逗留しそうだ。
少しはのんびりして、どこか他の地でも旅行しようかななどと当初は考えていたが、
とんでもなかった。
唯一昨日は、ヘアサロンで髪を染め、スパで身体をもみほぐし、
夜は観劇を楽しんだ。
だが、ホテルに帰ると、相変わらず日本との連絡、問題への対処に追われた。
これが世界を旅するノマドライファーの宿命なのだ。
まずはBun Boで腹ごしらえ
さて、日本語カフェ開設が大きくぶれる公算が強くなってきた。
日本語学校案が先行している。
ここは初心に帰って仕切り直しと行きたいところだ。
経営形態が変われば、出資比率も変わるのが当然。
手を引くことも選択肢の一つだ。
だが、せっかく現地の人脈もできたし、物件も固まった。
何らかの形で関わっておくことも、また選択肢の一つである。
あらゆる可能性を排除しない。
フレキシブルな対応が求められる。
一方、人材派遣会社からのアプローチがある。
こちらも今日、契約まで持っていけるかといった局面。
経営者と会い、会食を共にする予定だ。
局面は、日替わりランチみたいにころころ変わる。
まさに朝令暮改の感がある。
その瞬時瞬時の対応が運命を変える。
相手の立場を考慮しつつ、自分の信念を曲げず、落としどころを模索する。
そして、一つ一つ決定を下し、成果を出す。
これこそまさに外交の手腕である。
そして今、その手腕が問われている。
【おまけ】
お疲れチャン
疲れが顔に滲む
とうとう、この2週間ハノイの同じホテルに逗留しそうだ。
少しはのんびりして、どこか他の地でも旅行しようかななどと当初は考えていたが、
とんでもなかった。
唯一昨日は、ヘアサロンで髪を染め、スパで身体をもみほぐし、
夜は観劇を楽しんだ。
だが、ホテルに帰ると、相変わらず日本との連絡、問題への対処に追われた。
これが世界を旅するノマドライファーの宿命なのだ。
まずはBun Boで腹ごしらえ
さて、日本語カフェ開設が大きくぶれる公算が強くなってきた。
日本語学校案が先行している。
ここは初心に帰って仕切り直しと行きたいところだ。
経営形態が変われば、出資比率も変わるのが当然。
手を引くことも選択肢の一つだ。
だが、せっかく現地の人脈もできたし、物件も固まった。
何らかの形で関わっておくことも、また選択肢の一つである。
あらゆる可能性を排除しない。
フレキシブルな対応が求められる。
一方、人材派遣会社からのアプローチがある。
こちらも今日、契約まで持っていけるかといった局面。
経営者と会い、会食を共にする予定だ。
局面は、日替わりランチみたいにころころ変わる。
まさに朝令暮改の感がある。
その瞬時瞬時の対応が運命を変える。
相手の立場を考慮しつつ、自分の信念を曲げず、落としどころを模索する。
そして、一つ一つ決定を下し、成果を出す。
これこそまさに外交の手腕である。
そして今、その手腕が問われている。
【おまけ】
お疲れチャン
疲れが顔に滲む