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— Asay Kaji (@asaykaji) 2016年9月22日 - 11:18
人と比較するな、といっても、
どうしても隣の芝は青く見えるもの。
周りの人より裕福でありたい。
優越感に浸りたい。
良いも悪いも人間の欲望であり本能に近い。
格差が生まれ、不平等感が芽生えたとき、
人は不満を抱く。
テロの根源はそこにある。
一億総中流社会においては、
みんな同じ程度という意識があった。
格差が小さかった。
だから不満も小さかった。
隣が、車を買えば、自分だってと手の届く夢が持てた。
マイホームも何とか手の届くところにあった。
努力すれば、頑張れば報われる世の中だった。
全体が成長していたので、
エスカレーターに乗っているように、
自分も一緒に成長できると思うことができた。
ちくしょー、このヤロー、今に見ていろオレだって、と
やる気を持っていた時代だった。
自分の将来に希望があった。
国も伸びてた、地方も伸びていた。
いつから日本は、日本人は希望を持てなくなったのか。
今は、先が見えている。
見えすぎている。
芸能人は憧れの的だった。
それは、芸能人の私生活は見えにくく、
華やかな面しか見せなかったからだといえる。
ところが今は、みじめな姿をさらけ出す。
借金、病気云々。
何だタダの人か、と。
同じように、大人は子供の憧れだった。
大人になれば、タバコも据えるし、お酒も飲める。
お金も稼げる。
裕福で幸せになれると思っていた。
だから、勉強もし、いい学校にも入ろうともがいていた。
一流会社に入って、結婚して、子供作って、
マイホーム建てて、老後は年金で悠々自適。
そんな未来図が描ける世の中かだった。
今、大人を見ても、社会を見ても、政治家を見ても
世界を眺めても問題だらけ。
会社はいきづまるわ、
給料は上がらないわ、
病気はするわ、
仕事はなくなるわ、
戦争の火種はくすぶるわ、
テロは起きるは、
病原菌は蔓延するわ
地球は滅びるわじゃ
どうすりゃいいの?と思わずなってしまう。
ボクはタビストである。
旅してナンボのライフスタイルだ。
なのに、ハタとどこへ行こうかと考えたとき、
今は行くところが浮かばない。
最近、地球最後の楽園はキューがじゃないのか、
思うようになってきた。
10年ほど前にベトナムに始めて行ったとき、
遠い昭和の香りがした。
生活水準の低さもさることながら、
その活気たるや半端じゃなかった。
そしてその割にのんびりしたほんわかとした空気が流れていた。
若い、伸びてる、今は貧しくてもこれから良くなるという希望がそこにはあった。
まるで日本の昭和だった。
昭和30年代にタイムスリップしておきながら、
そこにはインターネットという怪物が共存している、
そんな印象を強く受けたのを覚えている。
若いというのはそれだけでいい。
日本は年を取った。
日の沈む国になってしまった。
今や、絶望の国である。
しかも不自由の国。
貧困と悲観の国。
日本のいいところってどこ?
勤勉?清潔?おもてなし?
今はそのすべてが裏目に出てるんじゃ。
完ぺきを求めるあまり、世界のスピードについて行けない。
誰も完璧なんか求めちゃいない。
3割バッターでも一流なんだよ。
規制緩和という規制。
規制規制で
窮屈でしょうがない。
不自由さが日に日に増している。
豊かな国にはますます程遠い。
さて、悲観論ばかり述べていてもしょうがない。
絶望の中でも、生まれた以上生きなければならない。
成熟国家でどう生き延びるか。
政府や行政を当てにしない。
個人個人が自己責任で生き伸びていく手立てを考えて、行動するしかない。
それには、渡り歩くしかないでしょう。
PC,スマホ抱えて。
PC持った渡り鳥になりきる。
(ギターを持った渡り鳥が懐かしい)
好むと好まざるとにかかわらず、
外国人は日本にどんどん入ってくる。
観光客であれ、移民であれ。
いろんな人種が入り乱れ、
純潔の日本人は減少し、
日本にいても海外と同じようになる。
(現に中国人、朝鮮人は思ったより身近にたくさんいる)
そのことになじまなければならない。
抵抗しても無駄なこと。
つまり、今は幕末に当たるのだ。
たあ、外国人を受け入れ、海外に出るというより、
世界のどこでも生きていけるサバイバル力を付けたものこそ
生き残り幸せになれる時代がもうそこまできている。
明日に向かって走れ!
ただ、健康にはくれぐれも注意して。
特に心を病まないように。
もうすでに病んでる人は、
ここにいらっしゃい。
とにかく、この国のあり方を根本から変えなきゃどうしようもない。
それには、革命しかないでしょう。
どうしても隣の芝は青く見えるもの。
周りの人より裕福でありたい。
優越感に浸りたい。
良いも悪いも人間の欲望であり本能に近い。
格差が生まれ、不平等感が芽生えたとき、
人は不満を抱く。
テロの根源はそこにある。
一億総中流社会においては、
みんな同じ程度という意識があった。
格差が小さかった。
だから不満も小さかった。
隣が、車を買えば、自分だってと手の届く夢が持てた。
マイホームも何とか手の届くところにあった。
努力すれば、頑張れば報われる世の中だった。
全体が成長していたので、
エスカレーターに乗っているように、
自分も一緒に成長できると思うことができた。
ちくしょー、このヤロー、今に見ていろオレだって、と
やる気を持っていた時代だった。
自分の将来に希望があった。
国も伸びてた、地方も伸びていた。
いつから日本は、日本人は希望を持てなくなったのか。
今は、先が見えている。
見えすぎている。
芸能人は憧れの的だった。
それは、芸能人の私生活は見えにくく、
華やかな面しか見せなかったからだといえる。
ところが今は、みじめな姿をさらけ出す。
借金、病気云々。
何だタダの人か、と。
同じように、大人は子供の憧れだった。
大人になれば、タバコも据えるし、お酒も飲める。
お金も稼げる。
裕福で幸せになれると思っていた。
だから、勉強もし、いい学校にも入ろうともがいていた。
一流会社に入って、結婚して、子供作って、
マイホーム建てて、老後は年金で悠々自適。
そんな未来図が描ける世の中かだった。
今、大人を見ても、社会を見ても、政治家を見ても
世界を眺めても問題だらけ。
会社はいきづまるわ、
給料は上がらないわ、
病気はするわ、
仕事はなくなるわ、
戦争の火種はくすぶるわ、
テロは起きるは、
病原菌は蔓延するわ
地球は滅びるわじゃ
どうすりゃいいの?と思わずなってしまう。
ボクはタビストである。
旅してナンボのライフスタイルだ。
なのに、ハタとどこへ行こうかと考えたとき、
今は行くところが浮かばない。
最近、地球最後の楽園はキューがじゃないのか、
思うようになってきた。
10年ほど前にベトナムに始めて行ったとき、
遠い昭和の香りがした。
生活水準の低さもさることながら、
その活気たるや半端じゃなかった。
そしてその割にのんびりしたほんわかとした空気が流れていた。
若い、伸びてる、今は貧しくてもこれから良くなるという希望がそこにはあった。
まるで日本の昭和だった。
昭和30年代にタイムスリップしておきながら、
そこにはインターネットという怪物が共存している、
そんな印象を強く受けたのを覚えている。
若いというのはそれだけでいい。
日本は年を取った。
日の沈む国になってしまった。
今や、絶望の国である。
しかも不自由の国。
貧困と悲観の国。
日本のいいところってどこ?
勤勉?清潔?おもてなし?
今はそのすべてが裏目に出てるんじゃ。
完ぺきを求めるあまり、世界のスピードについて行けない。
誰も完璧なんか求めちゃいない。
3割バッターでも一流なんだよ。
規制緩和という規制。
規制規制で
窮屈でしょうがない。
不自由さが日に日に増している。
豊かな国にはますます程遠い。
さて、悲観論ばかり述べていてもしょうがない。
絶望の中でも、生まれた以上生きなければならない。
成熟国家でどう生き延びるか。
政府や行政を当てにしない。
個人個人が自己責任で生き伸びていく手立てを考えて、行動するしかない。
それには、渡り歩くしかないでしょう。
PC,スマホ抱えて。
PC持った渡り鳥になりきる。
(ギターを持った渡り鳥が懐かしい)
好むと好まざるとにかかわらず、
外国人は日本にどんどん入ってくる。
観光客であれ、移民であれ。
いろんな人種が入り乱れ、
純潔の日本人は減少し、
日本にいても海外と同じようになる。
(現に中国人、朝鮮人は思ったより身近にたくさんいる)
そのことになじまなければならない。
抵抗しても無駄なこと。
つまり、今は幕末に当たるのだ。
たあ、外国人を受け入れ、海外に出るというより、
世界のどこでも生きていけるサバイバル力を付けたものこそ
生き残り幸せになれる時代がもうそこまできている。
明日に向かって走れ!
ただ、健康にはくれぐれも注意して。
特に心を病まないように。
もうすでに病んでる人は、
ここにいらっしゃい。
とにかく、この国のあり方を根本から変えなきゃどうしようもない。
それには、革命しかないでしょう。
もう人と同じことやっててもダメなんです。
これからは、
レアでコアな生き方をしなきゃ。
レアには二つの意味がある。
一つは、珍しいで、
もう一つは、生々しいである。
この二つの意味(珍しくて生々しい)でレアな人生を歩むことをお勧めする。
具体的に言うと、
人と違った人生を選択すること。
人のやらないことをやること。
真新しいことに挑戦する。
つまり、
今までのように、
右へ倣いで人と同じことをやってれば無難に生きていけた時代はもう終わったということ。
時代は確実に変わっていってる。
時代を先読みして、人のやってないことに挑戦しなきゃ。
コアな人生。
コアはご存じのとおり、核という意味だ。
軸と言い換えてもいいだろう。
自分の軸を持つこと。
軸ってのは、信念であり、目的をはっきり持つことを意味する。
いつまで厭々やってるの。
いつまで渋々生きてんの。
好きなこと、やりたいことをやればいいじゃん。
行きたいところへ行けばいい
失敗したっていいじゃない。
またやり直せばいいんだから。
これからは、お金やモノじゃない。
楽しんだものが幸せになる時代なんだよ。
昨日はね、
チンダル現象というレアな光景を見たよ。
阿蘇、西原村で。
それはそれは奇麗だった。
向こうに有明海と普賢岳が見えるんですよ。
三日前に見た海も輝いてて綺麗だった。
山の上から、遠くに海の見える景色って好きだなー。
これからは、
レアでコアな生き方をしなきゃ。
レアには二つの意味がある。
一つは、珍しいで、
もう一つは、生々しいである。
この二つの意味(珍しくて生々しい)でレアな人生を歩むことをお勧めする。
具体的に言うと、
人と違った人生を選択すること。
人のやらないことをやること。
真新しいことに挑戦する。
つまり、
今までのように、
右へ倣いで人と同じことをやってれば無難に生きていけた時代はもう終わったということ。
時代は確実に変わっていってる。
時代を先読みして、人のやってないことに挑戦しなきゃ。
コアな人生。
コアはご存じのとおり、核という意味だ。
軸と言い換えてもいいだろう。
自分の軸を持つこと。
軸ってのは、信念であり、目的をはっきり持つことを意味する。
いつまで厭々やってるの。
いつまで渋々生きてんの。
好きなこと、やりたいことをやればいいじゃん。
行きたいところへ行けばいい
失敗したっていいじゃない。
またやり直せばいいんだから。
これからは、お金やモノじゃない。
楽しんだものが幸せになる時代なんだよ。
昨日はね、
チンダル現象というレアな光景を見たよ。
阿蘇、西原村で。
それはそれは奇麗だった。
向こうに有明海と普賢岳が見えるんですよ。
三日前に見た海も輝いてて綺麗だった。
山の上から、遠くに海の見える景色って好きだなー。
パワーを感じる。
身体の奥底に得体の知れないパワーが蠢く。
俗にいう引き寄せはもちろん、
自分の中に漲るエネルギーを感じるのだ。
何かが胎動している。
何かが生まれる。
エネルギーを身ごもった感じ。
それは、愛であり、信頼である。
人を愛したければ、まず自分を愛せよ。
人を信頼したければ、まず自分を信頼せよ。
自分を愛せない人間に人を愛することはできないし、
自分が信頼できなくて、どうして人を信頼できようか。
人を愛し、信頼できるようになれば、
自然に自信と勇気が湧いてくる。
そこからあらゆる可能性が広がり、人生が好転する。。
それには自然と接してみることだ。
そこで静かに自分と語り合うこと。
海を見て何を想う、何を感じる
自分を知ること。
本当の自分、素直な自分。
見栄を張って、肩ひじ張って、自分を隠して生きているから疲れるんだ。
自分の弱さを知る、
自分の醜さを知る、
自分の卑劣さを知る、
徹底的に自分を観察してみる。
そうすれば、自分の良さも見えてくる。
そして、本当の自分に気付き、自分を許していく。
そうすれば、自ずと自分を愛せるようになり、
信頼感も芽生えてくる。
人と比較することも、競争することも必用なくなる。
怒りが収まり、
妬みもなくなり、
憎しみも消える。
嫌いだった人も許すことができるようになり、
愛すら芽生えてくる。
自分を衒(てら)う(show off)ことがなくなり、
素直な自分を全開させることで、
人を信頼できるようになる。
そうなるとどうなるか。
人が寄ってくる。
話も聞いてくれるようになる。
仲間ができる。
人生が一層楽しく輝きだすのだ。
【地震の効用】
地面の下から突き上げられた。
文字通り天地がひっくり返るような衝撃。
同時に、これまでの価値観も180度ひっくり返ってしまった。
地震の物理的エネルギーのすごさも凄まじいが、
精神的というか心理的というか、魂へ与えられるエネルギーも凄まじい。
天地創造におけるあらゆるエネルギーを
災難ととらえずに、自分の中の内なるエネルギーとして吸収し、
パワーに変えることができる。
自然の驚異は決して不幸だけをもたらす訳ではない。
一般的な不幸といわれることを、いかにエネルギーに変え、
未来へ向けた希望へと導くかで、
人生は全く違った展開を見せる。
ここ半年余りの間に、あらゆるものを失った。
それをいつまでも嘆かず、
プラスのエネルギーへと転換していくことで、
より一層飛躍できることを知った。
今、その本気度を問われている。
現象を見て動いても遅い。
感じて動かなければ時を失する。
人が動く前に動く。
ビジネスにも通じる極意。
そのためには直感を信じることだ。
秋分の日を境に、季節は一気に冬へと向かう。
今は整理の時期。
不要なものを捨て、本当に必要なものは何なのか。
今新たな道が開けようとしている。
これから6か月、人生の猶予期間を頂いた。
じっくり考え、身辺を整理し、
直感に従い即行動する。
何かを期待して「待つ」受け身ではなく、
起きてくる前にアクションしていく。
これまでのステージは一旦完了させよう。
そして、来年4月から新たなフェーズが始まる。
迷いも、焦りも、不安もない。
自分の人生をひたすら歩み続ける。
身体の奥底に得体の知れないパワーが蠢く。
俗にいう引き寄せはもちろん、
自分の中に漲るエネルギーを感じるのだ。
何かが胎動している。
何かが生まれる。
エネルギーを身ごもった感じ。
それは、愛であり、信頼である。
人を愛したければ、まず自分を愛せよ。
人を信頼したければ、まず自分を信頼せよ。
自分を愛せない人間に人を愛することはできないし、
自分が信頼できなくて、どうして人を信頼できようか。
人を愛し、信頼できるようになれば、
自然に自信と勇気が湧いてくる。
そこからあらゆる可能性が広がり、人生が好転する。。
それには自然と接してみることだ。
そこで静かに自分と語り合うこと。
海を見て何を想う、何を感じる
自分を知ること。
本当の自分、素直な自分。
見栄を張って、肩ひじ張って、自分を隠して生きているから疲れるんだ。
自分の弱さを知る、
自分の醜さを知る、
自分の卑劣さを知る、
徹底的に自分を観察してみる。
そうすれば、自分の良さも見えてくる。
そして、本当の自分に気付き、自分を許していく。
そうすれば、自ずと自分を愛せるようになり、
信頼感も芽生えてくる。
人と比較することも、競争することも必用なくなる。
怒りが収まり、
妬みもなくなり、
憎しみも消える。
嫌いだった人も許すことができるようになり、
愛すら芽生えてくる。
自分を衒(てら)う(show off)ことがなくなり、
素直な自分を全開させることで、
人を信頼できるようになる。
そうなるとどうなるか。
人が寄ってくる。
話も聞いてくれるようになる。
仲間ができる。
人生が一層楽しく輝きだすのだ。
【地震の効用】
地面の下から突き上げられた。
文字通り天地がひっくり返るような衝撃。
同時に、これまでの価値観も180度ひっくり返ってしまった。
地震の物理的エネルギーのすごさも凄まじいが、
精神的というか心理的というか、魂へ与えられるエネルギーも凄まじい。
天地創造におけるあらゆるエネルギーを
災難ととらえずに、自分の中の内なるエネルギーとして吸収し、
パワーに変えることができる。
自然の驚異は決して不幸だけをもたらす訳ではない。
一般的な不幸といわれることを、いかにエネルギーに変え、
未来へ向けた希望へと導くかで、
人生は全く違った展開を見せる。
ここ半年余りの間に、あらゆるものを失った。
それをいつまでも嘆かず、
プラスのエネルギーへと転換していくことで、
より一層飛躍できることを知った。
今、その本気度を問われている。
現象を見て動いても遅い。
感じて動かなければ時を失する。
人が動く前に動く。
ビジネスにも通じる極意。
そのためには直感を信じることだ。
秋分の日を境に、季節は一気に冬へと向かう。
今は整理の時期。
不要なものを捨て、本当に必要なものは何なのか。
今新たな道が開けようとしている。
これから6か月、人生の猶予期間を頂いた。
じっくり考え、身辺を整理し、
直感に従い即行動する。
何かを期待して「待つ」受け身ではなく、
起きてくる前にアクションしていく。
これまでのステージは一旦完了させよう。
そして、来年4月から新たなフェーズが始まる。
迷いも、焦りも、不安もない。
自分の人生をひたすら歩み続ける。
嵐の前の静かな朝の中で目を覚ます。
昨日は、海を満喫した。
そこでは海は、激しく流れ、渦を巻いていた。
撮影もまた、ボクの趣味の一つ。
海と夕陽とσ(゚∀゚ )オレ
今回のテーマは、もちろん海。
「ボクは船、君はボクの灯台となれ」 by Asay
山も好きだけど、海も大好き。
大自然は、
人を試し、そして癒す。
さらに、諭す。
日がな一日う海を見て過ごす。
贅沢な至福の一日。
これも天からのギフト。
エネルギーも頂いた。
有難い。
恵と試練。
どちらも生きるためには必要だ。
そして、どちらもまた天からのギフト。
ボクはこれまで多くのことを自然から学んできた。
その自然に接するには、旅をすることが一番だ。
今夜から暴風雨が吹き荒れるだろう。
大雨も予想される。
うちのザクロも収穫しないと。
みなさんも早めに台風に備えてください。
被害を最小限にするためにも。
くれぐれも外には出ないように。
昨日は、海を満喫した。
そこでは海は、激しく流れ、渦を巻いていた。
撮影もまた、ボクの趣味の一つ。
海と夕陽とσ(゚∀゚ )オレ
今回のテーマは、もちろん海。
「ボクは船、君はボクの灯台となれ」 by Asay
山も好きだけど、海も大好き。
大自然は、
人を試し、そして癒す。
さらに、諭す。
日がな一日う海を見て過ごす。
贅沢な至福の一日。
これも天からのギフト。
エネルギーも頂いた。
有難い。
恵と試練。
どちらも生きるためには必要だ。
そして、どちらもまた天からのギフト。
ボクはこれまで多くのことを自然から学んできた。
その自然に接するには、旅をすることが一番だ。
今夜から暴風雨が吹き荒れるだろう。
大雨も予想される。
うちのザクロも収穫しないと。
みなさんも早めに台風に備えてください。
被害を最小限にするためにも。
くれぐれも外には出ないように。
急遽所用で、昨日から鹿児島の出水に来ている。
まだ鶴の時期ではない。
一夜明けた今日、ドップリ雷雨の中にいる。
まあ、こういう日がたまにあってもいいじゃないか。
台風が近づく海を眺めながら、
自分と日本の行く末でもじっくり考えてみるか。
狭い日本、のんびり行こうぜ。
まだ鶴の時期ではない。
一夜明けた今日、ドップリ雷雨の中にいる。
まあ、こういう日がたまにあってもいいじゃないか。
台風が近づく海を眺めながら、
自分と日本の行く末でもじっくり考えてみるか。
狭い日本、のんびり行こうぜ。
弁護士になろうかなと思った時期があった。
若かりし頃である。
証拠を並べたてて、相手の矛盾を突き論破する。
正義感に燃え、なんとなく快感を覚えるところが気に入っている。
ボクの小説『セドナ』の主人公にも弁護士を登場させているほどだ。
実際の裁判で弁護士さんのお世話になったこともある。
弁護士や法廷を舞台としたドラマは面白い。
パラリーガル的なパートナーがいれば無敵になるだろう。
だが、現実の弁護士家業はそう甘くないようだ。
昨今、夜バイトしている弁護士もいるそうな。
実際ボクの知っている弁護士さんも、
失礼だがはっきりいってあまりうだつが上がらないno-hoper人が多い。
(決まってベンツに乗っているが)
ボクが以前訴えられて(内容は下記の補足を参照)依頼した弁護士さんも、
プライドだけが高いお坊ちゃまで、正直あまり腕は良くなかった(駆け出しだったせいもあるだろうが)。
結局自分で弁護する弁論を行った。
相手方の弁護士は、検事上がりの県下一の辣腕弁護士だったが。
(堂々と渡り合ったよ)
今回、ボクが原告となっている民事訴訟の件で、
度々裁判所へ出かける機会がある。
ボクは裁判所、特にピーンと張り詰めた法廷の雰囲気が嫌いではない。
いや、むしろ好きなのかもしれない。
(日本の裁判所は、なぜ嘘はつきませんという宣誓をさせないのだろうか)
裁判官がうら若き美人であることもその理由の一つかもしれない。
まさに「美しすぎる裁判官」といったところだろう。
(そのうちマスコミも取り上げるかもしれない)
ボクの目を楽しまさせてくれるのに十分だ。
それに、やけに優しく感じるのは気のせいだろうか。
それはさておき、
証拠固めをしている。
勝手な(自己)主張は誰でもできる。
主張するからには当然裏付けが必要だ。
裁判所からさらなる証拠の提出依頼があった。
結構細かく、その全資料を集めるのはかなりの労力を要する。
昨日は、裁判所のイケメン?書記官の元へ教えを請いに出向いた。
熊本地方裁判所
彼が証拠に関するフローチャートをかなり丁寧に作ってくれたので
その書き方について質問しに行ったのだ。
約一時間にわたって懇切丁寧に教えてくれた。
もちろん弁護士と違って費用は掛からない。
餅は餅屋で、法的なことを無料でいろいろ教えてもらえる。
第3回目の口頭弁論は来月18日だ。
あと一か月、
証拠固めの正念場に差し掛かっている。
【補足】
ちょうど20年前の話である。
大分県久住町(現竹田市)に住んでいたころ
町から立ち退きで訴えられた。
ゴルフ場開発のために立ち退きである。
現、久住高原ゴルフ倶楽部建設だ。
2年に及ぶ裁判で、結局和解して立ち退き料をもらい
現在の阿蘇西原村に移住した経緯がある。
当時、ボクが原野を開発して建てた久住高原のその施設は、
和太鼓のタオの基地になっている。
なお、その詳しい内容は、
『4 VS 5000』というボクの小説(未発表)になっている。
その当時、久住町の人口は約5000人。
ボクは4人家族だった。
行政は平気で嘘をつくことを身をもって体験した。
町全体とと一家族との壮絶な法廷闘争を描いている。
若かりし頃である。
証拠を並べたてて、相手の矛盾を突き論破する。
正義感に燃え、なんとなく快感を覚えるところが気に入っている。
ボクの小説『セドナ』の主人公にも弁護士を登場させているほどだ。
実際の裁判で弁護士さんのお世話になったこともある。
弁護士や法廷を舞台としたドラマは面白い。
パラリーガル的なパートナーがいれば無敵になるだろう。
だが、現実の弁護士家業はそう甘くないようだ。
昨今、夜バイトしている弁護士もいるそうな。
実際ボクの知っている弁護士さんも、
失礼だがはっきりいってあまりうだつが上がらないno-hoper人が多い。
(決まってベンツに乗っているが)
ボクが以前訴えられて(内容は下記の補足を参照)依頼した弁護士さんも、
プライドだけが高いお坊ちゃまで、正直あまり腕は良くなかった(駆け出しだったせいもあるだろうが)。
結局自分で弁護する弁論を行った。
相手方の弁護士は、検事上がりの県下一の辣腕弁護士だったが。
(堂々と渡り合ったよ)
今回、ボクが原告となっている民事訴訟の件で、
度々裁判所へ出かける機会がある。
ボクは裁判所、特にピーンと張り詰めた法廷の雰囲気が嫌いではない。
いや、むしろ好きなのかもしれない。
(日本の裁判所は、なぜ嘘はつきませんという宣誓をさせないのだろうか)
裁判官がうら若き美人であることもその理由の一つかもしれない。
まさに「美しすぎる裁判官」といったところだろう。
(そのうちマスコミも取り上げるかもしれない)
ボクの目を楽しまさせてくれるのに十分だ。
それに、やけに優しく感じるのは気のせいだろうか。
それはさておき、
証拠固めをしている。
勝手な(自己)主張は誰でもできる。
主張するからには当然裏付けが必要だ。
裁判所からさらなる証拠の提出依頼があった。
結構細かく、その全資料を集めるのはかなりの労力を要する。
昨日は、裁判所のイケメン?書記官の元へ教えを請いに出向いた。
熊本地方裁判所
彼が証拠に関するフローチャートをかなり丁寧に作ってくれたので
その書き方について質問しに行ったのだ。
約一時間にわたって懇切丁寧に教えてくれた。
もちろん弁護士と違って費用は掛からない。
餅は餅屋で、法的なことを無料でいろいろ教えてもらえる。
第3回目の口頭弁論は来月18日だ。
あと一か月、
証拠固めの正念場に差し掛かっている。
【補足】
ちょうど20年前の話である。
大分県久住町(現竹田市)に住んでいたころ
町から立ち退きで訴えられた。
ゴルフ場開発のために立ち退きである。
現、久住高原ゴルフ倶楽部建設だ。
2年に及ぶ裁判で、結局和解して立ち退き料をもらい
現在の阿蘇西原村に移住した経緯がある。
当時、ボクが原野を開発して建てた久住高原のその施設は、
和太鼓のタオの基地になっている。
なお、その詳しい内容は、
『4 VS 5000』というボクの小説(未発表)になっている。
その当時、久住町の人口は約5000人。
ボクは4人家族だった。
行政は平気で嘘をつくことを身をもって体験した。
町全体とと一家族との壮絶な法廷闘争を描いている。
ご近所さんを散策した。
歩いて15分圏内のところにある。
まずは栗拾い。
こんなに取れたよ
今年の秋は、サツマイモに、ザクロに、クリにと秋の味覚に恵まれた。
これも自然の恩恵。
感謝です。
こうしてわれわれ人間も生かされているんだなー、と実感!
そして、お馬さんに会いに。
のんびりと草を食む姿に癒される
そのあと焼き物屋さんで小皿とカップを購入。
まだまだ復興中。
猫の小皿
地震で窯が壊れ、残ってるものを半額で売ってくれた。
コーヒーカップ
地震から5か月、
みんな立ち上がろうと必死でもがいている。
でも、それぞれが生きてて、笑顔で元気だったことが何よりうれしい。
歩いて15分圏内のところにある。
まずは栗拾い。
こんなに取れたよ
今年の秋は、サツマイモに、ザクロに、クリにと秋の味覚に恵まれた。
これも自然の恩恵。
感謝です。
こうしてわれわれ人間も生かされているんだなー、と実感!
そして、お馬さんに会いに。
のんびりと草を食む姿に癒される
そのあと焼き物屋さんで小皿とカップを購入。
まだまだ復興中。
猫の小皿
地震で窯が壊れ、残ってるものを半額で売ってくれた。
コーヒーカップ
地震から5か月、
みんな立ち上がろうと必死でもがいている。
でも、それぞれが生きてて、笑顔で元気だったことが何よりうれしい。