【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

国民的統一戦線への私論(二)

2015-07-30 22:42:23 | 社会・政治思想・歴史

         櫻井 智志


 戦争法案と言ったほうがふさわしい「平和安全法制法案」をめぐり、衆議院では、日本共産党が民主党と共闘し、衆議院での審議に臨んだ。鳩山=小沢両氏を追いやった民主党を、私は支持していないけれど、自公巨大与党の暴走と対決する上でこの民共共闘は実りあるものだった。参院でも、議会闘争は堅実な野党の闘争が見られる。衆院にはない社民党や生活の党と山本太郎となかまたち、新党改革などがそれぞれの持ち味を発揮してとり組んでいる。

 国民的闘争は、大学・母親・各種団体と広がり国民の取り組みは広大なすそ野を広げてとり組んでいる。大学で教授から学生まで一体となって声明をアピールしている大学は日増しに増えている。乳幼児を抱えたりベビーカーに乗せた母親も含んで、女性独自の行進があちこちで見られる。シールズという略称の青年や学生たちの団体はきわめて知性と政治的見識の高い団体として相次いで創造的な運動を繰り広げている。政党の枠や、保守革新を問わず、安倍政権の専制政治に広く反対の声が全国の各地に広がっている。

 沖縄県でのオール沖縄や森県知事選挙をはじめ統一地方選挙でいくつかの首長選でも、共闘の布陣が見られる。中でも日本共産党はリアリズムに徹し創意工夫が見られる。9月の岩手知事選などでも反自公の生活の党や市民との共闘の模索が見られる。日本共産党の政治変革に臨む姿勢は、国民のの信頼を増し、市民団体と日本共産党推薦ないし支持の候補による知事選は、群馬県知事選での共産党推薦候補あるいは社共統一候補の得票率で戦後最大の得票率という結果となってあらわれている。民主新自由主義派候補VS自公候補VS民主県政の会・日本共産党推薦候補の実質的に三つ巴の埼玉県知事選も8月9日投票日に県民の審判を仰ぐ。私は候補者と陣営、支持者の盛り上がりから県民の高い支持を得ると予想している。


 市民運動、政党運動、文化運動などの全般にわたって、現在の日本共産党は、具体的課題に即応した的確な対応を進めている。「無党派民主主義に立つ容共派の統一戦線志向」という私のスタンスはいまも同じであるし、さらに日本共産党の政治的実践にいっそう支持を覚える。国民統一戦線について、私は三層構造を考えてきた。
①大工業の組織的過程としての「民主」集中制(官僚集中制ではない)に立脚する日本共産党
②護憲リベラル政党の「円卓の論理」に拠る共闘
③良心的保守層
 この三者がともに互いの立場を尊重した国民的規模の共闘組織をくむ。それは日本共産党が1960年代後半から主張している「民主連合政府」展望と近い政治情勢にある。同時に政党連合を超えた段階にある。


 現在立ち上がっている国民は、市民運動や市民団体、シールズや反原連のような新たな運動体も輩出している。それらを視野に入れると、政党の共闘次元だけの構想ではなく、政党、団体、個人が、戦争国家にあらがうことに立脚する、国民的な統一戦線の結成を展望しうる段階にあると考える。その樹立は今日的な課題となりつつある。

 しかし、いまは抽象的言辞ではなく、安倍自公政権の暴走を阻止する国民的運動が大切である。安倍自公政権にかわる「反軍国主義」政権の樹立は、国民的運動の合意のなかからその母体が雄大な姿を現すことだろう。喫緊の課題は、参院国会での戦争法制法案の廃案をめざす広範な国民的結集であろう。戦後民主化闘争、60年安保闘争に次ぐ新たな全国闘争は、現在の闘争の質を内実にはらんでいる。


「反」戦争国家観に立脚する【21世紀における国民的な統一戦線】

2015-07-30 00:45:55 | 社会・政治思想・歴史
統一と野合、共闘と分裂
~「反」戦争国家観に立脚する【21世紀における国民的な統一戦線】~
         櫻井 智志
 国会では、日本共産党が民主党や生活の党と共闘し、衆議院での審議に臨んだ。
民主党という政党については、私は支持していない。けれど、自公巨大与党の暴走と対決する上でこの民共共闘は実りあるものだった。
 国会の外でも、福島原発事故以来、東京の代々木公園や明治公園での社民党や緑の党などと共産党が示した闘争形態は二重の意義をもつ。ひとつは、政党共闘であり、もうひとつは反原連などの市民団体との共闘の取り組み方である。いずれも国民的共同として見事な取り組み方だった。
 沖縄県でのオール沖縄や森県知事選挙をはじめ統一地方選挙でいくつかの首長選でも、共闘の布陣を敷いた。今後の岩手知事選などでも反自公の生活の党や市民との共闘の模索が見られる。
 そういった日本共産党の政治変革に臨む姿勢は、日本共産党への信頼を増し、日本共産党単独でも群馬県知事選での共産党推薦候補あるいは社共統一候補の得票率で戦後最大の得票率という結果となってあらわれている。民主新自由主義派候補VS自公候補VS民主県政の会・日本共産党推薦候補の実質的に三つ巴の埼玉県知事選も8月9日投票日に県民の審判を仰ぐ。私はかなりの得票率獲得を期待しているとともに候補者と陣営、支持者の盛り上がりから県民の高い支持を得ると予想している。
 戦後に兵庫県では全政党相乗りの神戸市長選など続いた。しかし、市政の問題点から日本共産党は全野党路線から、節目ある確かな政治路線を貫くために独自候補擁立を模索した。京都市長選にも立候補したことのある広原盛明元京都大学総長や神戸の教職員組合の牽引車でもあった佐藤三郎氏らがとり組んでいる「護憲円卓会議ひょうご」には、しんぶん赤旗紙上でも今までにやりとりがあったことを私は知らないわけではない。それでも護憲円卓会議ひょうごを支持していることには理由がある。
①戦後の神戸市政の変遷と民衆運動の考察
②広原盛明氏の京都市長選のインターネットによる「京都市長選勝手連」運動の取り組み
③日本共産党は決して独善的政党ではなく、全国各地で庶民の立場に立つ共闘を組んでおり、兵庫県や神戸市の独自の経過がある
以上の3点である。
日本共産党と市民団体のやりとりでは、インターネット「さざ波通信」や文芸季刊誌「葦牙」同人のケースがある。民主文学の会(前身民主主義文学同盟)には、「葦牙」の編集長牧梶郎氏が再入会するなど独自の動きがある。「さざ波通信」も、私は執筆投稿と批判を経て文章修行をさせていただいたと思っている。「葦牙」には私は今もスタンスとしての共感はある。「さざ波通信」は編集部にはお世話になったという感謝の気持ちをもっているが、現在の投稿文章を更新されるたびに読んでいるが、「さざ波通信」創立の初心とはかけ離れた記事を読み、疑問を覚えている。
 私は市民運動、政党政治、文化運動において、現在の日本共産党の具体的課題に即応した対応を支持する者である。何度も「無党派民主主義に立つ容共派の統一戦線志向」という私のスタンスはいまも同じである。著作『座標』では、国民統一戦線について三層構造を述べた。
①大工業の組織的過程としての「民主」集中制(官僚集中制ではない)に立脚する日本共産党
②護憲リベラル政党の「円卓の論理」に拠る共闘
③良心的保守層
この三者がともに互いの立場を尊重した国民的規模の共闘組織をくむ。
それは日本共産党が1960年代後半から主張している「民主連合政府」となることも否定はしない。
ただ、市民運動や市民団体、シールズや反原連のような新たな運動体を視野に入れると、政党の共闘次元からの構想ではなく、政党、団体、個人が「反」戦争国家観に立脚する【21世紀における国民的な統一戦線】の結成樹立である。
いまは抽象的言辞ではなく、安倍自公政権の暴走を阻止する国民的運動が大切である。安倍自公政権にかわる「反軍国主義」政権の樹立は、国民的運動の合意のなかからその母体が雄大な姿を現すことだろう。
喫緊の課題は、参院国会での戦争法制法案の廃案をめざす広範な国民的結集であろう。(2015/07/29 2:28AM)