【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

はっとした、日本全体が構造的に変質し解体しつつあることに

2018-03-22 22:14:36 | 政治・文化・社会評論


2018/03/22       櫻井智志


『前半』
哀しみは早春にふりしきる雪のようだ

そのような気持ちで、
「前川喜平氏の特別授業を文科省に複数回問いあわせた議員とは池田佳隆氏と推測する」を書いた。https://blog.goo.ne.jp/dreamtoday/e/ef451818f843031d24aeb50471930607 …

 だが、事態の進行とともに、私の哀しみは憤りや怒りとなり、いまは虚しい。憤った時にこう記した。
赤池誠章部会長と池田佳隆部会長代理。自民党議員林芳正文科相の無定見。池田氏がこれほど酷い安倍チルドレンだったとは思わなかった。マスコミから逃げ回って顔も出さない。赤池部会長の発言を聴き、教育行政の独立性と国民教育権への無知に呆然とした。

 3月22日、国会に現れた池田佳隆議員はテレビで見たが、ほとんど認識の角度が異なると感じた。ずっと応答してきた赤池誠章自民党文教部会長は、居直りのような発言だったが「(前川喜平氏を)国家公務員法違反で辞任させられた」と全く情けない発言を続け、政権自民党の教育に関わる部会のトップの実態を伝えていた。
 一方、前川喜平さんの言葉には人への寛容とぬくもりがある。自民党文教部会は教育の独立性について重視してはいない。その教育観は昔の自民党文教部会と変わらないと思うが、極めて底が浅く、日本会議や日本教育再生の見解とほぼ同一。林芳正文科相は「大臣」だが、国家百年の計に照らして日本の将来を見据えた教育理念は皆無に近く、教育事務の視点から大過なく国家がスムーズに国政を総理の方針のように進めていくことを大切に考えていると感じた。東京都知事選に自民党が担ぐことも考えたが断られた永井道雄文相やその前のカント哲学の学者で保守的な天野貞佑文相のような教育哲学の見識もない。悲しい国家になった。池田佳隆議員を政界に入れたのは安倍晋三当時官房長官である。

 文科省事務次官OB会議のニュースから現在の体制についてぼやけたピントが明確に焦点化するような話題が伝わってきた。TBSのNEWS23であると思う。内閣人事局 が発足以来、官庁の人事は全て内閣人事局に収斂された。安倍政権の意向を最も怖れ優先するように変化した。自民党文教部会の発言や指示は、文科省官僚に強い影響を及ぼす。官庁全体への共通性をもつ。

 教育から離れる。年金に関わる国政の状態である。
社会保険庁が国民の納めた金を私的着服し、ついには社会保険庁を潰して、「あったことも皆なかったかのように」処理?した。潰れて出来た日本年金機構。毎年年金の支給が正確でなく、データ入力のミスを国民の側に転嫁して支払う金額がかなり低いことに国民が質問する、書類の再提出を求め、最後になるまでデータ入力ミスを隠し通そうとした。過去の問題例を紹介したきょうのニュース。今年度、年金受給に必要と詳細なアンケートを書かせた。集まったその情報694万人のデータ処理を民間会社に委託。その会社は中国に情報漏洩。あまりに杜撰な年金政策。過去60才支給が65才に延期され、70才年金支給開始を検討していると報道された。汚職、年金業務の初歩的ミスと隠蔽のつづきに切れ目がない。最近数人の総理たちの年金政策を信用できないし騙されない。これは厚労相管轄下の公的法人の仕事だ。

安倍政権下のそれぞれ各省庁の大臣と官僚たちが取り組んでいる行政は、まっとうな大臣や官僚もいるのに、日本全体の官僚制はズタズタになってしまっている。

 さらに、『国有地払い下げ巨額不正支出事件』は、携わった官庁だけの、当時の理財局長担当者だった佐川宣寿前国税庁長官ひとりに最終責任があると答弁した麻生財務相・副総理の責任転嫁答弁が事実から離れている誤謬であることを、国民の多くが既にこれまでの経緯から見抜いている。
 現在の太田充理財局長に対する自民党和田議員のあまりに非常識な「質問」は、冷静で穏やかな太田理財局長の名誉を著しく傷つけたものであり、太田氏は怒りを懸命に抑えていたことに、その国会中継を見ていた視聴者たちのひどい和田議員の態度への怒りと太田理財局長への同情を広く集めた。ツイッターやSNS、新聞テレビなどから国民の怒りと同情がうかがいしれた。


 岩上安身氏の作成した動画に、「あたりまえの政治を取りもどす1.30 シンポジウム」~第1次安倍内閣の教育基本法改正は、憲法改正の前段階! 道徳の教科化で子どもたちの心のなかに権力が入っていく!~(前川喜平氏・望月衣塑子氏・寺脇研氏)がある。 https://iwj.co.jp/wj/open/archives/410878 … このような元官僚や勇気ある新聞記者が健在であることにほっとする。



【後半】

 前半で、最近のトピカルな事態の異様な状況をいくつか探った。
実は、私はこのような異様な状況の底にもっと巨大な氷山があるのではないかと考えている。

領域のみ記す。

①国政は事件以外に、閣僚や官僚など携わる者達が政権として国民統治能力を低下させている。丁寧に任務に取り組み続けることが、おろそかになるような空気が蔓延している。与野党とも、日常的に日本の国政をどうするかをひとりひとりが熟慮するよりも、集団として多くの議席を獲得し、以下に自分をアピールして次の選挙で当選する重大な課題のほかに、せまりくる日本の将来を真剣に考えて討議し、成果を蓄積し立法府本来の意義をフル稼働させるところまで行っていない。

②身近な地方自治体も、「地方自治」よりも戦前の「地方公共団体」の色彩が強まり、立候補者がなく現職の連続であったり、過疎問題や都会の社会資本の安全や再整備や社会環境としての調和も考えず営利本位で事業を進め、あいつぐ事故が鉄道・道路・地下施設などで頻発している。国政と自治体行政で連携しつつ、全国の地域社会を安全で安心できる暮らしのベースとして保守されてはいない。

③マスコミ・メディア・インターネットなどがコミュニケーションツールとして、個人と個人、社会と個人、国家と社会を問題を早期発見し、早期解決するようなことは脇においやられている。利益と興味本位のセンセーショナリズムが優先して、日本全体の文化と言論の状態は国際社会からも「言論の保障」「文化の独自性の保存と世界に開かれた外国文化の尊重と敬意」に難点が指摘されている。

④「世間」は個々人のやすらぎよりは、一歩外に出たら他人の足のひっぱりあいの戦場のような危険性もみられる。現実の殺人などの事例は「戦場」が大げさすぎるとはいえないだろう。都会は共同体意識はうすれ、他人や困ったひとには見て見ぬふりをする傾向が見られる。

⑤以下網羅的に列記すると、
人権。原発。権力の行き過ぎにブレーキをかけられる対抗勢力。警察の戦後から戦前への回帰の懸念。自衛隊内部の女性差別と封建社会的上下関係。政党。市民運動。他民族や外国人差別。



【終括】

 これらは恣意的にあげた一部の項目である。私の主眼は、日本社会の構造全体に歪みやきしみが入っているのではないか、ということだ。それらの構造的問題の一挙の解決は困難であるが、構造に関わるひとつひとつの法律、取り組み、補修などを明確化し、解決していかなければ、鬱積する問題解決に、戦前の青年将校蹶起の5.15事件、2.26事件のようななんらかの軍事的独裁政治の方向に急激な改革を考えることも懸念される。事実、「歴史と文化の栄光あるヨーロッパ」で驚くような極右勢力が既に大幅に政治的実権に接近している。

 かつては資本主義の矛盾を解決したと期待されたロシアや中国でプーチン大統領や習近平主席が巨大な長期権力の座を占める野望を実現しつつある。アメリカのトランプ大統領は、民主主義の伝統をになうアメリカ国民と背を向けてマイペース政治を進めている。

 このような時代に、長く戦後社会は、広島と長崎にアメリカ軍投下の核兵器をあぴ、それでも軍事力でなく平和運動と世界への開かれた民主主義・平和主義国家を標榜してきた。だが中東で軍国宣言をおこない、核兵器防止条約すら期待を裏切り、ひたすら軍拡と世界第一位の核兵器保有国のアメリカ・トランプ大統領に個人的にも国家的にも従属し続ける安倍晋三氏を総裁に抱く自由民主党と安倍政権とは、日本の歴史の古代からの良き側面は見逃し、「薩長」支配の明治150年史観を称揚している。

 「薩長」は江戸幕府の忠臣会津藩を函館まで追い詰めた。150年後。旧「薩長」勢力は、旧「会津藩」に近い福島県民が原発事故のために筆舌に尽くしがたい辛苦を舐め、辛抱強くたえ続けているのを、あえて見て見ぬようにして「棄民化政策」としか言い難い政治だ。たまに美辞麗句で福島県民を激励するけれども、自ら避難した県民への補助をうちきり、コミュニテイの援助もせず帰還せよと督促。どこに福島復興の政治があるというのか。

 「薩長」の薩摩は琉球王国を藩に参入させたけれど、明治期以来沖縄県人は本土ヤマトンチューから差別と偏見をうけ続けた。戦後も1972年復帰さえ「日米密約」(佐藤栄作・岸信介弟首相)をかわすという沖縄無視の暴挙にでた。
 こうしてみると、「明治維新150年」を祝う歴史観の実態が鮮明になる。

 はっと思い当たり、目を閉じてため息をつく。
日本全体が構造的に変質し、解体しつつあることに。この道は遠いけれど、魯迅が言ったように皆が歩けば、そこは道となる。
中国古代の老子は、道は時間であると言った。
いま叶わなくとも、皆が伝承して続ければ、その歴史的な時の流れが
道を形成する。
あきらめまい。生きていれば、人類の世界史的伝承は人間がより人間らしく生きることが深まりを見せた世界的人権拡大の歴史である《道》であるのだ。