Autonomy of Profession:コロナ禍で注視される医療従事者の「専門家自治」
179 コロナ禍で注視される医療従事者の「専門家自治」
日経メディカル 2021年4月30日 色平哲郎
日本の新型コロナウイルス感染症による死亡者数が1万人を超えた。
地理的、生物学的環境が近い東アジア・オセアニア諸国の中で、日本の死亡者数は突出して多い。
各国のコロナによる死亡者数を並べてみると、中国4636人、韓国1813人、台湾12人、香港209人、ベトナム35人、豪州910人、ニュージーランド26人(ロイター「COVID-19 TRACKER」2021年4月26日による)。
人口の違いを勘案しても、日本の数字の多さは目立つ。
近隣で日本よりも多いのはフィリピンとインドネシアぐらいだ。
昨年末から今年初めにかけてのコロナ「第3波」で、東京都では感染者が激増。
発症しながら入院先が見つからず、自宅待機を強いられ、容体を悪化させて亡くなる人が相次いだ。
「第4波」の到来で大阪府でも同じような悲劇が起きている。
世界に冠たる国民皆保険の国の実態である。
保険証1枚あれば、いつでも、どこでも、誰でも、医療機関にかかれるはずではなかったのか。
医療提供体制が追いつかない背景には様々な要因があろうが、根本で何かが歪んでいるような気がする。
そんな思いを抱えつつ、先日、法学者で九州大学の内田博文名誉教授のオンライン講義に参加し、目からうろこが落ちた。
日本で「患者の権利」が法的に担保されていない事情を解説してくれたのだ。
まず、「法の役割」とは「国民の権利と利益を保障すること」。
そして「国家による国民の管理・統制を根拠づけることは法の役割に矛盾している」と内田氏は述べ、患者の権利に踏み込んだ。
医学生時代、こういう医事法学の講義を受けていたなら、もっと身を入れて聴いたことだろうに、と思う。
以下、私なりの解釈を記してみたい。
注目すべきリスボン宣言の一節
そもそも「患者の権利」と何か。
1981年の世界医師会総会で採択された「患者の権利に関するリスボン宣言」が的確に示している。
そこには「良質の医療を受ける権利」と明記され、「すべての人は差別なしに適切な医療を受ける権利を有する」と規定。
多くの日本人医師がハッとするのは序文の次の一節だ。
「法律、政府の措置、あるいは他のいかなる行政や慣例であろうとも、患者の権利を否定する場合には、医師はこの権利を保障ないし回復させる適切な手段を講じるべきである」
https://bit.ly/3dUZdOa
医師は患者の権利を守るためには法律、政府の措置に対しても「適切な手段」を行使しなくてはならないと断言している。
そのためには医師と患者の連携が不可欠、と読み取れる。
患者の権利=人権を擁護するためなら「お上」に物申せ、と、
「世界医師会」は自律的な職能団体としてメンバーに命じているのだ。
この趣旨に沿って、1990年代から2000年代にかけて欧州諸国では「患者の権利法」が定められた。
しかし、日本の医事法制にはこうした考え方は見当たらない。
日本病院会が「病院憲章」、全日本病院協会は「行動基準」を定め、「患者中心の医療」とか「患者や家族との信頼関係に基づいた医療」を標榜しているが、心構えの域を出ない。
世界医師会が患者の権利にここまで踏み込んでいるのだから、と考え、公益社団法人・日本医師会はどうなのかと調べてみると、日本医師会の「職業倫理指針」では「医師は患者の利益を第一とし、患者の権利を尊重し、これを擁護するように努めなければならない」と規定してはいるものの、患者の権利が否定された場合に「保障ないし回復させる適切な手段」を講じなさい、という文言はない。
それどころか、リスボン宣言にはない「患者の責務に対する働きかけ」という項目があり、「医療は医師と患者の共同行為であり、医師が患者の意思を尊重しなければならないことは当然であるが、患者も相応の責任を果たさなければならない。
たとえば、患者は医師に対して自らの病状や希望を正しく説明し、同意した療法上の指示を守る責務がある」と言い切っている。
「法律、政府の措置」への言及は全く見られない。
「医師と社会」の項目で、「公的検討機関への医療事故の報告」や「社会に対する情報の発信」「公衆衛生活動への協力」などが並んでいるが、権力に対する健全な批判精神が皆無なのである。
国が医療従事者と患者・家族を支配する構造
どうして、このような「お上意識」が定着してしまったか。
勉強会で内田名誉教授が指摘した「日本の医事法のいびつな構造」で説明がつく。
その構造とは、「A:国・自治体」「B:医療施設および従事者」「C:患者・家族」の3面関係をさす。
A-Bの関係は、AがBを一方的に監督・支配する関係になっていて、医療従事者の「専門家自治」(Autonomy of Profession)を認める規定はない。
B-Cの関係は、医療契約関係に委ねられているが、国の監督権などの影響を受け、医療従事者は「国の監督に従うか」「患者の利益を優先するか」の葛藤の中に置かれる。
そして、A-Cの関係に、「当事者参加」を保障するような規定はないという。
つまり、この3面関係は、国が上で、医療従事者と患者・家族を支配する構造になっている。
戦前から戦中にかけて、国家総動員体制のもとで医療従事者は戦争という国策を遂行する歯車に組み込まれた。
その名残りとしか言いようがないのだろう。
医師法、医療法などの個別法を束ね、医療の基本理念や患者と医療提供者の関係などを規定する「医療基本法」を制定しようとする動きがあるが、現状の3面関係に変化をもたらすものとなり得るのか、
今後の議論を注視したい。
https://nkbp.jp/3b7KGgn
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178 医療支援で関わったミャンマーの今を憂う
日経メディカル 2021年3月30日 色平哲郎
ミャンマー情勢の悪化に心を痛めている。ミャンマーの非暴力民主化運動の旗手で、ノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スー・チーさん率いる国民民主連盟(NLD)の民主的な政府が誕生して5年。総選挙でのNLD圧勝を追い風に2期目に入ろうとした今年2月、突然、何の前触れもなく、ミン・アウン・フライン総司令官が君臨する国軍がクーデターを強行。クーデター後、国軍の弾圧で3月26日までに328人が死亡している(3月27日時事通信)。スー・チーさんは拘束されたままだ。無抵抗の市民を虐殺する連中への怒りと悲しみで胸が張り裂けそうだ。
私自身、ミャンマーとはいささか関わりを持ってきた。京都大学医学部の学生だったころ、スー・チーさんが京都に滞在していた。1985年10月1日から翌年の6月30日までの9カ月間、当時40歳だったスー・チーさんは京都大学東南アジア研究センターに客員研究員として留学していた。研究テーマはビルマ(ミャンマーの旧称)独立運動の歴史をたどること。スー・チーさんの実父は、「ビルマ建国の父」と呼ばれたアウン・サン将軍である。物心つく前に暗殺された父と縁の深かった日本で、旧軍関係者への聞き取りや、資料調査をしておられた。
そのことを私たち京大生に教えてくれたのは、医学部の病理学教授だった故濱島義博先生だった。濱島先生は、1968年、医学部チームを率いて、鎖国中だったビルマの第2の都市マンダレーから南へ車で2時間ほどのポルパ山を訪ね、医療支援を開始した。驚いたことに4000人の村人全員が「目を開けられない状態」だったという。極端な水不足で洗顔や手洗いができず、トラコーマの結膜炎が慢性化してが癒着していたのだ。濱島先生は「少々の抗生物質では、どうにもならない。患者さんを治す前に、まず水道を引かなければならない」と痛感したそうだ。
その後も京大医学部のビルマ支援は続き、病院や医学研究センターが建設される。しかし、何よりも軍事独裁という「大病」を治さない限り、ビルマの将来は暗かった。
濱島先生が見たスー・チーさんの演説
1988年、生活拠点の英国オックスフォードからビルマに帰国したスー・チーさんは、政治の激流の真っただ中に飛び込む。折しも「8888民主化運動」が燃え上がっており、戒厳令下のラングーン(旧ヤンゴン)では学生が大規模なデモを実施していた。8月26日、スー・チーさんは50万人が集まった大集会で演説を行う。彼女の登場を待ち受ける民衆の中に濱島先生もいた。
「そのときの彼女の演説は、決して激しい口調ではなかった。興奮する大群衆をなだめるような優しい表現だった。『平和的手段で、すべての民族が仲良く力を合わせて、民主化を実現させよう』。説得するかのような彼女の姿に、私は非暴力主義を提唱したガンジーの姿をダブらせていた」と濱島先生は語っておられた。
だが、国軍は民主化運動を弾圧し、多数の民衆を虐殺。クーデターを起こした。NLDの結党に加わったスー・チーさんは「国外退去」を求められたが、拒否。実に十数年に及ぶ自宅軟禁生活を強いられる。ビルマは1989年に英語呼称をミャンマーに改称した。
ミャンマーの政治的混乱の根元には民族問題が横たわっている。全人口の68%がビルマ族で、シャン族、カレン族……と続き、実に135民族からなる。また、仏教徒主体のミャンマー政府はイスラム系少数民族のロヒンギャを「不法移民」とし、民族として認めていない。国軍はしばしば少数民族を攻撃し、「国家統一」を進めてきた。
1991年にはロヒンギャを討ち、25万人の難民がバングラデシュへ逃げている。ちょうど医師国家資格を取ったばかりの私は、東京都内で2人のロヒンギャの若者から健康相談を受けた。彼らの故郷は国軍に蹂躙されており、帰るに帰れない。若者2人の心理状態は半ば恐慌を来していた。支援者たちとつながって、どうにか生活を維持していた。
人々には活力がみなぎっていたが、、、
2000年代に入り、経済のグローバル化が進んでミャンマーに外国資本が入るにつれて民主化熱は一段と高まる。2007年、政府がガソリンなどの燃料価格を引き上げたのを機に反政府運動が再燃した。学生や反政府活動家に加え、数千人の僧侶も加わった。軍事政権は市民デモ隊に発砲し、日本人ジャーナリストも被弾して死亡した。非暴力民主化運動は、何度も銃弾によって粉砕され、ミャンマーの市民はその都度、立ち上がる。
そして、2016年、ようやく総選挙でのNLDの大勝利を経て民主政府が誕生し、ミャンマーの人びとは明日への活路を見いだした。同年、私は国際協力機構(JICA)のプロジェクトで、宝石の産出で有名な東部のシャン高原を訪問した。政府系病院が住民との関係を強めるために「病院祭」を検討していた。私の勤務する佐久総合病院は長年にわたって病院祭を開催しており、そのノウハウをレクチャーするためだった。先方の国家公務員のドクターは、落ち着いた物腰で色々尋ねてきた。人々は解放感に浸り、活力がみなぎっていた。
あのミャンマーが、、、失われてしまった。
国軍がクーデターに踏み切った背景はあれこれ語られているが、息のかかったクローニー企業(国家系企業、財閥)を通して確保した利権が民主化によって脅かされていることが最大の理由ではないかと私は考えている。今後、中国、米国、ロシアなどがどう動くかで、ミン・アウン・フライン総司令官の出方も変わってくるだろう。国軍とパイプがあると自負している日本政府は状況をしっかり把握して、事態収拾に向けて行動してほしいものだ。
https://nkbp.jp/3gQ6wIA
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オートノミー(英: Autonomy、独: Autonomie、日: 自主、中: 自主權)とは、元々「自分で自分に自身の法を与える者」という古代ギリシア語に由来する概念で、一般に、自主(性)・自律(性)・自立(性)・自治、自治権・自主権・自己決定権などを意味し、政治・道徳・哲学・心理学・医学・宗教・法・人事・人権など幅広い分野において、複数のそしてそれぞれ異なる、または複合的な意味をもつ基礎概念である。
ウィキより
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「白人至上主義はテロリズムだ」
バイデン大統領、初の議会演説で言い切りました。
ABC News@ABC 2時間
Pres. Biden: "We won't ignore what our intelligence agencies have determined to be the most lethal
terrorist threat to our homeland today: White supremacy is terrorism."
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町山智浩@TomoMachi 6分
日本学術会議のありかたをめぐり、政府は、さらに検討する必要があるとして、新たな有識者会議を設置する方向で調整に入りました。
いや、政府が学問に介入したらダメだって言ってるのに……。だって、今の日本政府が有識者を選んだら……。
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ボタンの掛け違いを戻せないまま1年経った
ーー日本のコロナ対策はこの1年余り、PCR検査が拡充できない、医療体制の整備も進まない、ワクチンも遅いなどさまざまな課題が指摘され、なかなか有効な対策が打てていないことが続いています。何が、根本的な問題だと感じていらっしゃいますか。
中村:ひと言でいえば、科学的な考えのもとに政治的・社会的な判断をしなくてはならないのに、政府や行政の都合に合わせて対策をしてしまった点だと思います。
一番分かりやすい例が、感染が拡大し始めた頃に「検査をすると医療崩壊が起こる」という意見が出たこと。
これは本末転倒な考えです。WHOも感染症対策として科学的に「検査と隔離」と言っていたのにもかかわらず、それができなかった。
ーーしかし、政府の分科会などには感染症の専門家も入っていて、科学的知見に基づいて政策提言しているのではないですか。
中村:コロナウイルスがエボラ出血熱、新型インフルエンザとは違うことは昨年3月ぐらいから分かっていたことです。潜伏期間が長く、症状が出ない人が2割ぐらいいるにもかかわらず、無症状感染者を抑え込む方策を取らなかった。これは広がっていくのは当然です。しかも重症化に対する手立てもしてこなかった。
分科会の方には悪いのですが、本当の意味でコロナ感染症の専門家はいなかった。だからなんとなく疫学的な
ファジーなことで、当初感染したら全員入院、だから検査で感染者が次々見つかれば医療崩壊が起こるという方向で全てのシステムが動いてしまった。
そのボタンの掛け違いを戻せないまま1年経ってしまったということだと思います。
https://www.businessinsider.jp/post-233607
日本のコロナ対策はいつ何を間違えたのか?【3度目の緊急事態宣言】
浜田敬子 Apr. 26, 2021
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日本政府が「ミャンマー軍の市民虐殺」に沈黙を続ける根本的理由
外交を歪めてきた「ODA金脈」の罠
「日本の外交スタイルは世界標準からかけ離れている」
強調される「独自のパイプ」とは何なのか
「援助」と言いつつ実態は「投資」
2013年には4000億円の債務を帳消しに
「選挙は公正だった」となぜ言えないのか
https://bit.ly/2QvXm9I
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「IOCは各国の選手団や大会関係者の参加人数を削減すると発表したが、それでも6万人程度の関係者の来日が見込まれている。それだけ来日すれば、様々な変異ウイルスが東京に持ち込まれるリスクは否定できない。平和の祭典のはずの東京五輪が、“変異ウイルスの災典”になりかねない」「もし、アスリート自体が感染拡大に関わってしまったら取り返しがつかないし、責任の取りようもない事態になると感じています」
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平和のための開会式だというが、オリンピックを開催して世界のどこが平和になっているというのか。24時間テレビと同じだ。やっても地球は救われていない。
現代のオリンピックは、美化されていて、白々しさがある。お金もかかりすぎだし、若者をつなぎとめるために種目を増やしたりと、無理してやっていると思う、、、
日本の場合はテレビ各局が持ち回りで放送するので、NHK含め各局で盛り上げないといけない。人気タレントを使ったりして。オリンピックを持ち上げる番組を作ってずっとプロモーションするので、応援しなきゃいけない空気になっていく、、、
日本のテレビ局での出世道は、スポーツ部。スポーツに詳しい人という意味ではなくて、億単位という桁違いのスポーツ放送権を交渉して契約を取ってくる人。今の日本にとって、オリンピックに限らずスポーツの放送権は巨大なビジネスになっている。
ちなみに、昔はそれが洋画だった。日本で初めてこの洋画の放映権を取りました!と言ったものだが、ストリーミング時代の今は地上波の「ナントカ劇場」で洋画を観る必要がなくなった、、、
アメリカの唯一いいところは、オリンピックはNBCしか放送しないので、他局では何を言ってもいいし、取り上げなくてもいい。映像も使えないので、むしろ無視することが多い。終わってからは選手がNBCの人気番組に出て、そのあとに他の局の番組にも出始める。
https://bit.ly/3xAoghe
デーブ・スペクター「日本がオリンピックを美化するのはテレビのせい」
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伊勢崎賢治@isezakikenji 12時間
国連人権高等弁務官事務所・国連ウィメンは、不倫を犯罪として扱うのは女性の人権への侵害だと、明確な声明を出しているからね(2012)。つまり、不倫は悪だって言い募って、よってたかってリンチにすることを禁止してるの。倫理とか正義の暴走。これが人権の敵。
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1960年生まれ。内科医、、、
1994年、東京地方裁判所の依頼で東京拘置所に収監中の、刑務官から暴力的行為を受けたと訴える外国人男性を診察し、地裁に鑑定書を提出。
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--朝日新聞 へき地医療原点に国際貢献を
長野県南相木村 へき地医療原点に国際貢献を 色平哲郎(地域通信)
1998年11月04日 朝刊 004ページ オピニオン 写 Y 713字
色平(いろひら)哲郎
長野県の東南部、人口千三百人の南相木村。週に三回、医者が半日通ってくるだけだったこの村で、今年六月から初代診療所長として家族五人で暮らし始めた。
鉄道も国道もない村では、自家用車が普及するまで、人は最寄りの駅まで三里(約十二キロ)の山道を歩いたという。養蚕と炭焼きなどの山仕事しか現金収入のなかった時代だ。今は村営バスが走り、農作業も機械化されたが、患者さんのほとんどは、そんな村の歴史を知るお年寄りたちだ。
診療の合間に、その口から語られるのは遠い記憶である。今はない分校に子どもたちの歓声が絶えなかったこと。足ることを知り、隣近所が支え合った暮らしぶり。今も村に残るそんな人情味は、かつて放浪し、へき地医療に取り組むきっかけとなった東南アジアの村々をほうふつとさせた。
そんなことから日本の農山村を理解することが、途上国への真の国際貢献につながるのではと考え始めた。
高価な医療機器も高度な技術も、貧しい村ではすぐには意味をなさない。献身的な「心持ち」の人々の協力が村を魅力的なものにしている。
南相木村の隣村で診療を始めた三年前から、五、六十人の医学生や看護学生がへき地医療を知ろうと毎年泊まり込みでやってくる。その多くが女性だ。長かった無医村時代、地域に密着して献身的に日夜格闘していた村の助産婦や保健婦たち。ボランティアの原点といえる、そんな人たちの話が学生の胸を打つ。タイやブラジルなどから視察に来た医師らと彼らとの交流もいくつか生まれた。聞けば、学生たちの半数はアジアの国々の農村保健に関心があるという。村で得た体験をもとに、彼らがアジア各地へと飛び出していくことを願いたい。
(医師)
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家族旅行 朝日新聞 長野県版連載
風のひと、土のひと 第2回 (2000年5月18日)
病院に駆けつけたとき、青年の意識はすでになかった。
人工呼吸器の単調な音が、くりかえし耳に響いた。「重患者室」と韓国語で書かれた集中治療室に死線期のノーマンはいた。
二カ月前、ソウル市近郊の工業地帯で、工場の屋根が吹き飛ぶガス爆発があった。
腹部に鉄片があたって、背骨と腸と両方の腎臓が引きちぎられた。快活なノーマンは、笑顔で数回の開腹手術と隔日の血液透析に耐えていた。それが急に意識がうすれ痙攣(けい・れん)を起こして私が呼ばれた。初めて会った時、彼はすでに危篤状態だった。
私たち家族三人は、中国・天津に渡るフェリーを待って、韓国・ソウルに滞在中だった。前年の一九九二年、中国と韓国は国交を結び、船が直行するようになっていた。
ソウル在住の私の友人に関係者が相談したことをきっかけに、私に声がかかった。
労災事故後の息子の、長引く入院を心配して、パキスタンから父親が来韓した。その前夜からノーマンは重体に陥ったが、ソウルは春の連休に入っていて担当医は不在だった。
妻と二歳の息子の手を引いて高麗医科大学付属病院に向かった。白衣に着がえて集中治療室に入り、カルテの英文を読みながら、到着した父親に病状を説明する。意識の戻る可能性がほとんどないこと、連休中にも危ないだろうこと……。
二日後ノーマンは死んだ。二十一歳だった。父親は今も私を韓国人医師と考えていると聞く。
出発の日が来た。私たち家族は、何人かのパキスタン人に見送られて仁川東港へ向かった。くたくただった。食料も何も買わずに乗り込んでしまったことに、出航後気づいた。
幸いなことに二歳の息子が船内を走り回って、愛敬でバナナやキムチを集めてくる。
二周もさせれば十分な食料が入手できた。息子をかわいがってくれた韓国人青年と一緒に、上陸した塘沽(タンクー)新港から車で北京市へ向かった。
鉄道で中国大陸を南下し、途中の友人宅に立ち寄りながら、雲南省昆明市から、タイ北部に入った。
二歳の息子にとって、タイといえば、ゾウさんである。東南アジアで象使いといえば、カレン民族を指すが、友人の友人がこのカレンの象使いだった。息子はタイの旅で、短い距離だったが家族で象に乗ったことが忘れられない。彼はまだ日本語がしゃべれなかったので、タイ語の「チャン」の方を先に覚えた。チャンがゾウさんのことだと知った彼は、ゾウさんの歌をうたうことに夢中になった。
日本に帰ってきてからも動物園やテレビ番組で象を見ると彼は乗りたがる。息子にとってチャンは見るものではなく、乗って楽しい歩く自動車のようなものなのだろう。
タイでは、南方仏教の山の寺に友人の黄衣の僧を訪ねた。村の聖(ひじり)となった彼のめい想は、蓮(はす)の花咲く池の四阿(あずま・や)で行われる。金はあるが忙しすぎる北の国々での「常識」が洗い落とされる。
船や列車を乗り継いで旅をして、象に乗って蓮の花咲く寺院でめい想にふける。こんな家族旅行はいかがであろうか?
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主催 NHK情報ネットワーク
「地域社会の国際連帯」 医・職・住の視点から
アイザック事務局長
長野県南佐久郡南相木(みなみあいき)村国保直営診療所長
講演日 1999年10月28日 (木)
https://bit.ly/3vpzJ12
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日本が見えない
この空気
この音
オレは日本に帰ってきた
帰ってきた
オレの日本に帰ってきた
でも
オレには日本が見えない
空気がサクレツしていた
軍靴がテントウしていた
その時
オレの目の前で大地がわれた
まっ黒なオレの眼漿がんしょうが空間に
とびちった
オレは光素(エーテル)を失って
テントウした
日本よ
オレの国よ
オレにはお前がみえない
一体オレは本当に日本に帰ってきているのか
なんにもみえない
オレの日本はなくなった
オレの日本がみえない
竹内浩三
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オリンピックにいくらかかるのか、これはひと言では言えません。開催に直接かかる経費として組織委員会や政府が発表しているのは、1兆6400億円です。昨年の段階で1兆3400億円でしたが、延期したことでさらに3000億円が乗っかった数字です。
ですが、実際の経費はこれだけか、というとそうではない。たとえば東京都はマラソンコースの道路整備などに8000億円使いました。マラソンは結局札幌でやることになって、無駄に、、、
諸悪の根源は、大手全国紙5社(朝日、毎日、読売、日経、産経)がすべてスポンサーになっていることだと思います。だから中止という論調が出てこない。最近はどの世論調査でも8割がオリンピック開催に反対しているのに、中止を求める社説は今のところどこの新聞も出していません。新聞が言わないので系列テレビも言わない。ワイドショーや報道番組でも、中止すべきという話が盛り上がりません。
森喜朗組織委員会会長の辞任騒ぎはさすがに大きく取り上げましたが、では、そもそも開催する意味があるのかとか、そうした踏み込んだ問題はうまくスルーしごまかしています。世論調査では国民の8割が支持していない開催について、すべての新聞が口を閉ざしている、異様なことです。
https://bit.ly/3aNfd2Q
本間龍さんに聞いた:コロナ感染リスクと膨らむ予算、それでもオリンピック開催にこだわる理由
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(書評より)「帝国主義(植民地政策)が実質的にほぼその形態のまま維持され続けている」と説く著者の視点は正確
全員の意見が一致するまで話し合いを続け、権利を守るために日本のどこかで平均月に1回の頻度で一揆に打ってでた農民たち。農作業だけでなく何から何まで自ら行っていた百姓のあり方。封建制度とはほど遠く、支配者側にも厳しい法が課されていた事実。エタとの違いや、サンカとマタギの棲み分け。キリシタン大名による領土の寄贈を避けるためには、キリスト教を禁じるしかなかったという事実など、江戸時代の日本を知るために大いに役立ちました。
「カムイ伝講義」田中優子
カムイ伝のむこうに広がる江戸時代から「いま」を読む
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RCEP国会承認 年末にも発効、アジアに巨大経済圏
日経新聞 2021年4月28日 10:09
28日午前の参院本会議で承認
日本にとっては中国、韓国と締結する初の経済連携協定
179 コロナ禍で注視される医療従事者の「専門家自治」
日経メディカル 2021年4月30日 色平哲郎
日本の新型コロナウイルス感染症による死亡者数が1万人を超えた。
地理的、生物学的環境が近い東アジア・オセアニア諸国の中で、日本の死亡者数は突出して多い。
各国のコロナによる死亡者数を並べてみると、中国4636人、韓国1813人、台湾12人、香港209人、ベトナム35人、豪州910人、ニュージーランド26人(ロイター「COVID-19 TRACKER」2021年4月26日による)。
人口の違いを勘案しても、日本の数字の多さは目立つ。
近隣で日本よりも多いのはフィリピンとインドネシアぐらいだ。
昨年末から今年初めにかけてのコロナ「第3波」で、東京都では感染者が激増。
発症しながら入院先が見つからず、自宅待機を強いられ、容体を悪化させて亡くなる人が相次いだ。
「第4波」の到来で大阪府でも同じような悲劇が起きている。
世界に冠たる国民皆保険の国の実態である。
保険証1枚あれば、いつでも、どこでも、誰でも、医療機関にかかれるはずではなかったのか。
医療提供体制が追いつかない背景には様々な要因があろうが、根本で何かが歪んでいるような気がする。
そんな思いを抱えつつ、先日、法学者で九州大学の内田博文名誉教授のオンライン講義に参加し、目からうろこが落ちた。
日本で「患者の権利」が法的に担保されていない事情を解説してくれたのだ。
まず、「法の役割」とは「国民の権利と利益を保障すること」。
そして「国家による国民の管理・統制を根拠づけることは法の役割に矛盾している」と内田氏は述べ、患者の権利に踏み込んだ。
医学生時代、こういう医事法学の講義を受けていたなら、もっと身を入れて聴いたことだろうに、と思う。
以下、私なりの解釈を記してみたい。
注目すべきリスボン宣言の一節
そもそも「患者の権利」と何か。
1981年の世界医師会総会で採択された「患者の権利に関するリスボン宣言」が的確に示している。
そこには「良質の医療を受ける権利」と明記され、「すべての人は差別なしに適切な医療を受ける権利を有する」と規定。
多くの日本人医師がハッとするのは序文の次の一節だ。
「法律、政府の措置、あるいは他のいかなる行政や慣例であろうとも、患者の権利を否定する場合には、医師はこの権利を保障ないし回復させる適切な手段を講じるべきである」
https://bit.ly/3dUZdOa
医師は患者の権利を守るためには法律、政府の措置に対しても「適切な手段」を行使しなくてはならないと断言している。
そのためには医師と患者の連携が不可欠、と読み取れる。
患者の権利=人権を擁護するためなら「お上」に物申せ、と、
「世界医師会」は自律的な職能団体としてメンバーに命じているのだ。
この趣旨に沿って、1990年代から2000年代にかけて欧州諸国では「患者の権利法」が定められた。
しかし、日本の医事法制にはこうした考え方は見当たらない。
日本病院会が「病院憲章」、全日本病院協会は「行動基準」を定め、「患者中心の医療」とか「患者や家族との信頼関係に基づいた医療」を標榜しているが、心構えの域を出ない。
世界医師会が患者の権利にここまで踏み込んでいるのだから、と考え、公益社団法人・日本医師会はどうなのかと調べてみると、日本医師会の「職業倫理指針」では「医師は患者の利益を第一とし、患者の権利を尊重し、これを擁護するように努めなければならない」と規定してはいるものの、患者の権利が否定された場合に「保障ないし回復させる適切な手段」を講じなさい、という文言はない。
それどころか、リスボン宣言にはない「患者の責務に対する働きかけ」という項目があり、「医療は医師と患者の共同行為であり、医師が患者の意思を尊重しなければならないことは当然であるが、患者も相応の責任を果たさなければならない。
たとえば、患者は医師に対して自らの病状や希望を正しく説明し、同意した療法上の指示を守る責務がある」と言い切っている。
「法律、政府の措置」への言及は全く見られない。
「医師と社会」の項目で、「公的検討機関への医療事故の報告」や「社会に対する情報の発信」「公衆衛生活動への協力」などが並んでいるが、権力に対する健全な批判精神が皆無なのである。
国が医療従事者と患者・家族を支配する構造
どうして、このような「お上意識」が定着してしまったか。
勉強会で内田名誉教授が指摘した「日本の医事法のいびつな構造」で説明がつく。
その構造とは、「A:国・自治体」「B:医療施設および従事者」「C:患者・家族」の3面関係をさす。
A-Bの関係は、AがBを一方的に監督・支配する関係になっていて、医療従事者の「専門家自治」(Autonomy of Profession)を認める規定はない。
B-Cの関係は、医療契約関係に委ねられているが、国の監督権などの影響を受け、医療従事者は「国の監督に従うか」「患者の利益を優先するか」の葛藤の中に置かれる。
そして、A-Cの関係に、「当事者参加」を保障するような規定はないという。
つまり、この3面関係は、国が上で、医療従事者と患者・家族を支配する構造になっている。
戦前から戦中にかけて、国家総動員体制のもとで医療従事者は戦争という国策を遂行する歯車に組み込まれた。
その名残りとしか言いようがないのだろう。
医師法、医療法などの個別法を束ね、医療の基本理念や患者と医療提供者の関係などを規定する「医療基本法」を制定しようとする動きがあるが、現状の3面関係に変化をもたらすものとなり得るのか、
今後の議論を注視したい。
https://nkbp.jp/3b7KGgn
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178 医療支援で関わったミャンマーの今を憂う
日経メディカル 2021年3月30日 色平哲郎
ミャンマー情勢の悪化に心を痛めている。ミャンマーの非暴力民主化運動の旗手で、ノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スー・チーさん率いる国民民主連盟(NLD)の民主的な政府が誕生して5年。総選挙でのNLD圧勝を追い風に2期目に入ろうとした今年2月、突然、何の前触れもなく、ミン・アウン・フライン総司令官が君臨する国軍がクーデターを強行。クーデター後、国軍の弾圧で3月26日までに328人が死亡している(3月27日時事通信)。スー・チーさんは拘束されたままだ。無抵抗の市民を虐殺する連中への怒りと悲しみで胸が張り裂けそうだ。
私自身、ミャンマーとはいささか関わりを持ってきた。京都大学医学部の学生だったころ、スー・チーさんが京都に滞在していた。1985年10月1日から翌年の6月30日までの9カ月間、当時40歳だったスー・チーさんは京都大学東南アジア研究センターに客員研究員として留学していた。研究テーマはビルマ(ミャンマーの旧称)独立運動の歴史をたどること。スー・チーさんの実父は、「ビルマ建国の父」と呼ばれたアウン・サン将軍である。物心つく前に暗殺された父と縁の深かった日本で、旧軍関係者への聞き取りや、資料調査をしておられた。
そのことを私たち京大生に教えてくれたのは、医学部の病理学教授だった故濱島義博先生だった。濱島先生は、1968年、医学部チームを率いて、鎖国中だったビルマの第2の都市マンダレーから南へ車で2時間ほどのポルパ山を訪ね、医療支援を開始した。驚いたことに4000人の村人全員が「目を開けられない状態」だったという。極端な水不足で洗顔や手洗いができず、トラコーマの結膜炎が慢性化してが癒着していたのだ。濱島先生は「少々の抗生物質では、どうにもならない。患者さんを治す前に、まず水道を引かなければならない」と痛感したそうだ。
その後も京大医学部のビルマ支援は続き、病院や医学研究センターが建設される。しかし、何よりも軍事独裁という「大病」を治さない限り、ビルマの将来は暗かった。
濱島先生が見たスー・チーさんの演説
1988年、生活拠点の英国オックスフォードからビルマに帰国したスー・チーさんは、政治の激流の真っただ中に飛び込む。折しも「8888民主化運動」が燃え上がっており、戒厳令下のラングーン(旧ヤンゴン)では学生が大規模なデモを実施していた。8月26日、スー・チーさんは50万人が集まった大集会で演説を行う。彼女の登場を待ち受ける民衆の中に濱島先生もいた。
「そのときの彼女の演説は、決して激しい口調ではなかった。興奮する大群衆をなだめるような優しい表現だった。『平和的手段で、すべての民族が仲良く力を合わせて、民主化を実現させよう』。説得するかのような彼女の姿に、私は非暴力主義を提唱したガンジーの姿をダブらせていた」と濱島先生は語っておられた。
だが、国軍は民主化運動を弾圧し、多数の民衆を虐殺。クーデターを起こした。NLDの結党に加わったスー・チーさんは「国外退去」を求められたが、拒否。実に十数年に及ぶ自宅軟禁生活を強いられる。ビルマは1989年に英語呼称をミャンマーに改称した。
ミャンマーの政治的混乱の根元には民族問題が横たわっている。全人口の68%がビルマ族で、シャン族、カレン族……と続き、実に135民族からなる。また、仏教徒主体のミャンマー政府はイスラム系少数民族のロヒンギャを「不法移民」とし、民族として認めていない。国軍はしばしば少数民族を攻撃し、「国家統一」を進めてきた。
1991年にはロヒンギャを討ち、25万人の難民がバングラデシュへ逃げている。ちょうど医師国家資格を取ったばかりの私は、東京都内で2人のロヒンギャの若者から健康相談を受けた。彼らの故郷は国軍に蹂躙されており、帰るに帰れない。若者2人の心理状態は半ば恐慌を来していた。支援者たちとつながって、どうにか生活を維持していた。
人々には活力がみなぎっていたが、、、
2000年代に入り、経済のグローバル化が進んでミャンマーに外国資本が入るにつれて民主化熱は一段と高まる。2007年、政府がガソリンなどの燃料価格を引き上げたのを機に反政府運動が再燃した。学生や反政府活動家に加え、数千人の僧侶も加わった。軍事政権は市民デモ隊に発砲し、日本人ジャーナリストも被弾して死亡した。非暴力民主化運動は、何度も銃弾によって粉砕され、ミャンマーの市民はその都度、立ち上がる。
そして、2016年、ようやく総選挙でのNLDの大勝利を経て民主政府が誕生し、ミャンマーの人びとは明日への活路を見いだした。同年、私は国際協力機構(JICA)のプロジェクトで、宝石の産出で有名な東部のシャン高原を訪問した。政府系病院が住民との関係を強めるために「病院祭」を検討していた。私の勤務する佐久総合病院は長年にわたって病院祭を開催しており、そのノウハウをレクチャーするためだった。先方の国家公務員のドクターは、落ち着いた物腰で色々尋ねてきた。人々は解放感に浸り、活力がみなぎっていた。
あのミャンマーが、、、失われてしまった。
国軍がクーデターに踏み切った背景はあれこれ語られているが、息のかかったクローニー企業(国家系企業、財閥)を通して確保した利権が民主化によって脅かされていることが最大の理由ではないかと私は考えている。今後、中国、米国、ロシアなどがどう動くかで、ミン・アウン・フライン総司令官の出方も変わってくるだろう。国軍とパイプがあると自負している日本政府は状況をしっかり把握して、事態収拾に向けて行動してほしいものだ。
https://nkbp.jp/3gQ6wIA
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オートノミー(英: Autonomy、独: Autonomie、日: 自主、中: 自主權)とは、元々「自分で自分に自身の法を与える者」という古代ギリシア語に由来する概念で、一般に、自主(性)・自律(性)・自立(性)・自治、自治権・自主権・自己決定権などを意味し、政治・道徳・哲学・心理学・医学・宗教・法・人事・人権など幅広い分野において、複数のそしてそれぞれ異なる、または複合的な意味をもつ基礎概念である。
ウィキより
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「白人至上主義はテロリズムだ」
バイデン大統領、初の議会演説で言い切りました。
ABC News@ABC 2時間
Pres. Biden: "We won't ignore what our intelligence agencies have determined to be the most lethal
terrorist threat to our homeland today: White supremacy is terrorism."
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町山智浩@TomoMachi 6分
日本学術会議のありかたをめぐり、政府は、さらに検討する必要があるとして、新たな有識者会議を設置する方向で調整に入りました。
いや、政府が学問に介入したらダメだって言ってるのに……。だって、今の日本政府が有識者を選んだら……。
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ボタンの掛け違いを戻せないまま1年経った
ーー日本のコロナ対策はこの1年余り、PCR検査が拡充できない、医療体制の整備も進まない、ワクチンも遅いなどさまざまな課題が指摘され、なかなか有効な対策が打てていないことが続いています。何が、根本的な問題だと感じていらっしゃいますか。
中村:ひと言でいえば、科学的な考えのもとに政治的・社会的な判断をしなくてはならないのに、政府や行政の都合に合わせて対策をしてしまった点だと思います。
一番分かりやすい例が、感染が拡大し始めた頃に「検査をすると医療崩壊が起こる」という意見が出たこと。
これは本末転倒な考えです。WHOも感染症対策として科学的に「検査と隔離」と言っていたのにもかかわらず、それができなかった。
ーーしかし、政府の分科会などには感染症の専門家も入っていて、科学的知見に基づいて政策提言しているのではないですか。
中村:コロナウイルスがエボラ出血熱、新型インフルエンザとは違うことは昨年3月ぐらいから分かっていたことです。潜伏期間が長く、症状が出ない人が2割ぐらいいるにもかかわらず、無症状感染者を抑え込む方策を取らなかった。これは広がっていくのは当然です。しかも重症化に対する手立てもしてこなかった。
分科会の方には悪いのですが、本当の意味でコロナ感染症の専門家はいなかった。だからなんとなく疫学的な
ファジーなことで、当初感染したら全員入院、だから検査で感染者が次々見つかれば医療崩壊が起こるという方向で全てのシステムが動いてしまった。
そのボタンの掛け違いを戻せないまま1年経ってしまったということだと思います。
https://www.businessinsider.jp/post-233607
日本のコロナ対策はいつ何を間違えたのか?【3度目の緊急事態宣言】
浜田敬子 Apr. 26, 2021
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日本政府が「ミャンマー軍の市民虐殺」に沈黙を続ける根本的理由
外交を歪めてきた「ODA金脈」の罠
「日本の外交スタイルは世界標準からかけ離れている」
強調される「独自のパイプ」とは何なのか
「援助」と言いつつ実態は「投資」
2013年には4000億円の債務を帳消しに
「選挙は公正だった」となぜ言えないのか
https://bit.ly/2QvXm9I
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「IOCは各国の選手団や大会関係者の参加人数を削減すると発表したが、それでも6万人程度の関係者の来日が見込まれている。それだけ来日すれば、様々な変異ウイルスが東京に持ち込まれるリスクは否定できない。平和の祭典のはずの東京五輪が、“変異ウイルスの災典”になりかねない」「もし、アスリート自体が感染拡大に関わってしまったら取り返しがつかないし、責任の取りようもない事態になると感じています」
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平和のための開会式だというが、オリンピックを開催して世界のどこが平和になっているというのか。24時間テレビと同じだ。やっても地球は救われていない。
現代のオリンピックは、美化されていて、白々しさがある。お金もかかりすぎだし、若者をつなぎとめるために種目を増やしたりと、無理してやっていると思う、、、
日本の場合はテレビ各局が持ち回りで放送するので、NHK含め各局で盛り上げないといけない。人気タレントを使ったりして。オリンピックを持ち上げる番組を作ってずっとプロモーションするので、応援しなきゃいけない空気になっていく、、、
日本のテレビ局での出世道は、スポーツ部。スポーツに詳しい人という意味ではなくて、億単位という桁違いのスポーツ放送権を交渉して契約を取ってくる人。今の日本にとって、オリンピックに限らずスポーツの放送権は巨大なビジネスになっている。
ちなみに、昔はそれが洋画だった。日本で初めてこの洋画の放映権を取りました!と言ったものだが、ストリーミング時代の今は地上波の「ナントカ劇場」で洋画を観る必要がなくなった、、、
アメリカの唯一いいところは、オリンピックはNBCしか放送しないので、他局では何を言ってもいいし、取り上げなくてもいい。映像も使えないので、むしろ無視することが多い。終わってからは選手がNBCの人気番組に出て、そのあとに他の局の番組にも出始める。
https://bit.ly/3xAoghe
デーブ・スペクター「日本がオリンピックを美化するのはテレビのせい」
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伊勢崎賢治@isezakikenji 12時間
国連人権高等弁務官事務所・国連ウィメンは、不倫を犯罪として扱うのは女性の人権への侵害だと、明確な声明を出しているからね(2012)。つまり、不倫は悪だって言い募って、よってたかってリンチにすることを禁止してるの。倫理とか正義の暴走。これが人権の敵。
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1960年生まれ。内科医、、、
1994年、東京地方裁判所の依頼で東京拘置所に収監中の、刑務官から暴力的行為を受けたと訴える外国人男性を診察し、地裁に鑑定書を提出。
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--朝日新聞 へき地医療原点に国際貢献を
長野県南相木村 へき地医療原点に国際貢献を 色平哲郎(地域通信)
1998年11月04日 朝刊 004ページ オピニオン 写 Y 713字
色平(いろひら)哲郎
長野県の東南部、人口千三百人の南相木村。週に三回、医者が半日通ってくるだけだったこの村で、今年六月から初代診療所長として家族五人で暮らし始めた。
鉄道も国道もない村では、自家用車が普及するまで、人は最寄りの駅まで三里(約十二キロ)の山道を歩いたという。養蚕と炭焼きなどの山仕事しか現金収入のなかった時代だ。今は村営バスが走り、農作業も機械化されたが、患者さんのほとんどは、そんな村の歴史を知るお年寄りたちだ。
診療の合間に、その口から語られるのは遠い記憶である。今はない分校に子どもたちの歓声が絶えなかったこと。足ることを知り、隣近所が支え合った暮らしぶり。今も村に残るそんな人情味は、かつて放浪し、へき地医療に取り組むきっかけとなった東南アジアの村々をほうふつとさせた。
そんなことから日本の農山村を理解することが、途上国への真の国際貢献につながるのではと考え始めた。
高価な医療機器も高度な技術も、貧しい村ではすぐには意味をなさない。献身的な「心持ち」の人々の協力が村を魅力的なものにしている。
南相木村の隣村で診療を始めた三年前から、五、六十人の医学生や看護学生がへき地医療を知ろうと毎年泊まり込みでやってくる。その多くが女性だ。長かった無医村時代、地域に密着して献身的に日夜格闘していた村の助産婦や保健婦たち。ボランティアの原点といえる、そんな人たちの話が学生の胸を打つ。タイやブラジルなどから視察に来た医師らと彼らとの交流もいくつか生まれた。聞けば、学生たちの半数はアジアの国々の農村保健に関心があるという。村で得た体験をもとに、彼らがアジア各地へと飛び出していくことを願いたい。
(医師)
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家族旅行 朝日新聞 長野県版連載
風のひと、土のひと 第2回 (2000年5月18日)
病院に駆けつけたとき、青年の意識はすでになかった。
人工呼吸器の単調な音が、くりかえし耳に響いた。「重患者室」と韓国語で書かれた集中治療室に死線期のノーマンはいた。
二カ月前、ソウル市近郊の工業地帯で、工場の屋根が吹き飛ぶガス爆発があった。
腹部に鉄片があたって、背骨と腸と両方の腎臓が引きちぎられた。快活なノーマンは、笑顔で数回の開腹手術と隔日の血液透析に耐えていた。それが急に意識がうすれ痙攣(けい・れん)を起こして私が呼ばれた。初めて会った時、彼はすでに危篤状態だった。
私たち家族三人は、中国・天津に渡るフェリーを待って、韓国・ソウルに滞在中だった。前年の一九九二年、中国と韓国は国交を結び、船が直行するようになっていた。
ソウル在住の私の友人に関係者が相談したことをきっかけに、私に声がかかった。
労災事故後の息子の、長引く入院を心配して、パキスタンから父親が来韓した。その前夜からノーマンは重体に陥ったが、ソウルは春の連休に入っていて担当医は不在だった。
妻と二歳の息子の手を引いて高麗医科大学付属病院に向かった。白衣に着がえて集中治療室に入り、カルテの英文を読みながら、到着した父親に病状を説明する。意識の戻る可能性がほとんどないこと、連休中にも危ないだろうこと……。
二日後ノーマンは死んだ。二十一歳だった。父親は今も私を韓国人医師と考えていると聞く。
出発の日が来た。私たち家族は、何人かのパキスタン人に見送られて仁川東港へ向かった。くたくただった。食料も何も買わずに乗り込んでしまったことに、出航後気づいた。
幸いなことに二歳の息子が船内を走り回って、愛敬でバナナやキムチを集めてくる。
二周もさせれば十分な食料が入手できた。息子をかわいがってくれた韓国人青年と一緒に、上陸した塘沽(タンクー)新港から車で北京市へ向かった。
鉄道で中国大陸を南下し、途中の友人宅に立ち寄りながら、雲南省昆明市から、タイ北部に入った。
二歳の息子にとって、タイといえば、ゾウさんである。東南アジアで象使いといえば、カレン民族を指すが、友人の友人がこのカレンの象使いだった。息子はタイの旅で、短い距離だったが家族で象に乗ったことが忘れられない。彼はまだ日本語がしゃべれなかったので、タイ語の「チャン」の方を先に覚えた。チャンがゾウさんのことだと知った彼は、ゾウさんの歌をうたうことに夢中になった。
日本に帰ってきてからも動物園やテレビ番組で象を見ると彼は乗りたがる。息子にとってチャンは見るものではなく、乗って楽しい歩く自動車のようなものなのだろう。
タイでは、南方仏教の山の寺に友人の黄衣の僧を訪ねた。村の聖(ひじり)となった彼のめい想は、蓮(はす)の花咲く池の四阿(あずま・や)で行われる。金はあるが忙しすぎる北の国々での「常識」が洗い落とされる。
船や列車を乗り継いで旅をして、象に乗って蓮の花咲く寺院でめい想にふける。こんな家族旅行はいかがであろうか?
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主催 NHK情報ネットワーク
「地域社会の国際連帯」 医・職・住の視点から
アイザック事務局長
長野県南佐久郡南相木(みなみあいき)村国保直営診療所長
講演日 1999年10月28日 (木)
https://bit.ly/3vpzJ12
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日本が見えない
この空気
この音
オレは日本に帰ってきた
帰ってきた
オレの日本に帰ってきた
でも
オレには日本が見えない
空気がサクレツしていた
軍靴がテントウしていた
その時
オレの目の前で大地がわれた
まっ黒なオレの眼漿がんしょうが空間に
とびちった
オレは光素(エーテル)を失って
テントウした
日本よ
オレの国よ
オレにはお前がみえない
一体オレは本当に日本に帰ってきているのか
なんにもみえない
オレの日本はなくなった
オレの日本がみえない
竹内浩三
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オリンピックにいくらかかるのか、これはひと言では言えません。開催に直接かかる経費として組織委員会や政府が発表しているのは、1兆6400億円です。昨年の段階で1兆3400億円でしたが、延期したことでさらに3000億円が乗っかった数字です。
ですが、実際の経費はこれだけか、というとそうではない。たとえば東京都はマラソンコースの道路整備などに8000億円使いました。マラソンは結局札幌でやることになって、無駄に、、、
諸悪の根源は、大手全国紙5社(朝日、毎日、読売、日経、産経)がすべてスポンサーになっていることだと思います。だから中止という論調が出てこない。最近はどの世論調査でも8割がオリンピック開催に反対しているのに、中止を求める社説は今のところどこの新聞も出していません。新聞が言わないので系列テレビも言わない。ワイドショーや報道番組でも、中止すべきという話が盛り上がりません。
森喜朗組織委員会会長の辞任騒ぎはさすがに大きく取り上げましたが、では、そもそも開催する意味があるのかとか、そうした踏み込んだ問題はうまくスルーしごまかしています。世論調査では国民の8割が支持していない開催について、すべての新聞が口を閉ざしている、異様なことです。
https://bit.ly/3aNfd2Q
本間龍さんに聞いた:コロナ感染リスクと膨らむ予算、それでもオリンピック開催にこだわる理由
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(書評より)「帝国主義(植民地政策)が実質的にほぼその形態のまま維持され続けている」と説く著者の視点は正確
全員の意見が一致するまで話し合いを続け、権利を守るために日本のどこかで平均月に1回の頻度で一揆に打ってでた農民たち。農作業だけでなく何から何まで自ら行っていた百姓のあり方。封建制度とはほど遠く、支配者側にも厳しい法が課されていた事実。エタとの違いや、サンカとマタギの棲み分け。キリシタン大名による領土の寄贈を避けるためには、キリスト教を禁じるしかなかったという事実など、江戸時代の日本を知るために大いに役立ちました。
「カムイ伝講義」田中優子
カムイ伝のむこうに広がる江戸時代から「いま」を読む
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RCEP国会承認 年末にも発効、アジアに巨大経済圏
日経新聞 2021年4月28日 10:09
28日午前の参院本会議で承認
日本にとっては中国、韓国と締結する初の経済連携協定