日刊ゲンダイ巻頭特集 2019/05/24 17:0(木)
写真:暴走を止めよ(C)日刊ゲンダイ
戦国時代、自分の力を全国の諸大名に誇示するため、朝廷の権威を最大限に政治利用したのが豊臣秀吉だった。忠誠を誓う者は重用し、歯向かう者は武力でねじ伏せる。後世に名を残した秀吉と人物の差は歴然としているとはいえ、安倍の政治手法もソックリだ。
「政治主導」の名のもと、内閣人事局を通じて幹部職員を牛耳り、霞が関をドーカツ。反発する官僚を次々とパージした結果、役所内はヒラメ役人の「忖度」が横行。モリカケ疑惑や統計不正問題で指摘された隠蔽、改ざん、捏造が当たり前の腐った組織に成り下がった。そうやって霞が関を屈服させた独裁権力の「刃」が向かった先は地方自治体。米軍普天間基地の名護市辺野古沖の移設工事に反対する沖縄県イジメは相変わらずだが、今、何が何でも血祭りに上げてやる、という政権の執念が透けて見える相手が大阪・泉佐野市だ。
ふるさと納税の過度な返礼品が制度の趣旨にそぐわないとして、総務省は6月から、同市や静岡・小山町など4市町を、ふるさと納税による税控除の対象外にしたが、20日付の朝日新聞は舞台裏をこう報じていた。
〈ふるさと納税は、菅義偉官房長官が第1次安倍政権の総務相時代に提唱。(略)肝いりの政策だ〉〈菅さんの顔を潰すわけにはいかない〉
制度設計にも問題があったのに、総務省は菅に「忖度」。政権に公然と歯向かう泉佐野市が許せないのだ。法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)がこう言う。
「今の官僚、行政組織は、公平公正も何もない。政権の顔色をひたすらうかがっているだけ。それがすっかり身についてしまった。選挙に勝つためなら何でも利用する『なりふり構わずファシズム』に役人が尻尾を振っている。異常な状況です」
■官僚と同様に忖度合戦している大新聞・テレビ
もはや安倍・菅による「令和ファシズム」は霞が関だけではなくなりつつある。神奈川県の黒岩知事が自民党県連の集会で菅を「令和おじさん」と呼び、県連が黒岩に抗議文を出すという「言論封殺」ともいえる手法でひれ伏させた一件もその例だ。本来であればメディアがファシスト政権の暴走にストップをかける役割を担っているはずだが、大新聞・テレビは総じてベッタリ感はぬぐえない。とくに酷いのがNHKだ。
新元号が公表された4月1日、安倍はNHKや民放をハシゴしたが、NHKでは夜の報道番組に冒頭から出演。令和に込めた気持ちを政策と絡めて視聴者に思い切り訴えかけていた。そうしたら、安倍政権に近しいとされるNHKエンタープライズ社長の板野裕爾氏が、NHK本体の専務理事に返り咲く役員人事が発表されたからアングリだ。
芥川賞作家の中村文則氏は4日付の毎日新聞コラム〈書斎のつぶやき〉で、〈政権守る忠犬たち〉と題してこう書いていた。
〈政権は権力であり、そんな権力に対しては、基本的にマスコミは厳しい目を向けるのが少し前までは当然だった。でも今は及び腰で、一部の報道番組やワイドショーのスタッフ、新聞記者や文化人などには、政権を過度に擁護し続ける存在までいるようだ〉
〈なぜこうなってしまったのか。元々こびへつらうのが好きな人もいれば、マスコミの意義も捨て忖度(そんたく)しているみっともない人、政権をひたすら擁護することで、強者側に立つ快楽に酔っている人もいるだろう〉
民主主義国家を装う安倍政権の忠犬と化し、その悪行に加担している大新聞・テレビを痛烈に皮肉る内容だったが、まさに正鵠を射ていた。ジャーナリストの横田一氏がこう言う。
「官僚組織と同様、大手メディア記者も『政権に嫌われたくない』『ネタが欲しい』『いい思いがしたい』と考えて忖度合戦している。アベノミクスの失敗など政権の問題点を指摘すればキリがない。しかし、報道は令和バンザイ一色なのだから、どうしようもありません」
宮沢喜一元首相は、著書で〈われわれは将来に向かって自由の制限につながるかもしれないどんな兆候に対しても、厳しく管理する必要があります〉〈自由はある日突然、なくなるものではない。徐々に蝕まれ、気づいたときにはすべてが失われている〉と書いていたが、手遅れにならないよう、今こそ、この言葉を噛みしめるべきだ。
写真:暴走を止めよ(C)日刊ゲンダイ
戦国時代、自分の力を全国の諸大名に誇示するため、朝廷の権威を最大限に政治利用したのが豊臣秀吉だった。忠誠を誓う者は重用し、歯向かう者は武力でねじ伏せる。後世に名を残した秀吉と人物の差は歴然としているとはいえ、安倍の政治手法もソックリだ。
「政治主導」の名のもと、内閣人事局を通じて幹部職員を牛耳り、霞が関をドーカツ。反発する官僚を次々とパージした結果、役所内はヒラメ役人の「忖度」が横行。モリカケ疑惑や統計不正問題で指摘された隠蔽、改ざん、捏造が当たり前の腐った組織に成り下がった。そうやって霞が関を屈服させた独裁権力の「刃」が向かった先は地方自治体。米軍普天間基地の名護市辺野古沖の移設工事に反対する沖縄県イジメは相変わらずだが、今、何が何でも血祭りに上げてやる、という政権の執念が透けて見える相手が大阪・泉佐野市だ。
ふるさと納税の過度な返礼品が制度の趣旨にそぐわないとして、総務省は6月から、同市や静岡・小山町など4市町を、ふるさと納税による税控除の対象外にしたが、20日付の朝日新聞は舞台裏をこう報じていた。
〈ふるさと納税は、菅義偉官房長官が第1次安倍政権の総務相時代に提唱。(略)肝いりの政策だ〉〈菅さんの顔を潰すわけにはいかない〉
制度設計にも問題があったのに、総務省は菅に「忖度」。政権に公然と歯向かう泉佐野市が許せないのだ。法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)がこう言う。
「今の官僚、行政組織は、公平公正も何もない。政権の顔色をひたすらうかがっているだけ。それがすっかり身についてしまった。選挙に勝つためなら何でも利用する『なりふり構わずファシズム』に役人が尻尾を振っている。異常な状況です」
■官僚と同様に忖度合戦している大新聞・テレビ
もはや安倍・菅による「令和ファシズム」は霞が関だけではなくなりつつある。神奈川県の黒岩知事が自民党県連の集会で菅を「令和おじさん」と呼び、県連が黒岩に抗議文を出すという「言論封殺」ともいえる手法でひれ伏させた一件もその例だ。本来であればメディアがファシスト政権の暴走にストップをかける役割を担っているはずだが、大新聞・テレビは総じてベッタリ感はぬぐえない。とくに酷いのがNHKだ。
新元号が公表された4月1日、安倍はNHKや民放をハシゴしたが、NHKでは夜の報道番組に冒頭から出演。令和に込めた気持ちを政策と絡めて視聴者に思い切り訴えかけていた。そうしたら、安倍政権に近しいとされるNHKエンタープライズ社長の板野裕爾氏が、NHK本体の専務理事に返り咲く役員人事が発表されたからアングリだ。
芥川賞作家の中村文則氏は4日付の毎日新聞コラム〈書斎のつぶやき〉で、〈政権守る忠犬たち〉と題してこう書いていた。
〈政権は権力であり、そんな権力に対しては、基本的にマスコミは厳しい目を向けるのが少し前までは当然だった。でも今は及び腰で、一部の報道番組やワイドショーのスタッフ、新聞記者や文化人などには、政権を過度に擁護し続ける存在までいるようだ〉
〈なぜこうなってしまったのか。元々こびへつらうのが好きな人もいれば、マスコミの意義も捨て忖度(そんたく)しているみっともない人、政権をひたすら擁護することで、強者側に立つ快楽に酔っている人もいるだろう〉
民主主義国家を装う安倍政権の忠犬と化し、その悪行に加担している大新聞・テレビを痛烈に皮肉る内容だったが、まさに正鵠を射ていた。ジャーナリストの横田一氏がこう言う。
「官僚組織と同様、大手メディア記者も『政権に嫌われたくない』『ネタが欲しい』『いい思いがしたい』と考えて忖度合戦している。アベノミクスの失敗など政権の問題点を指摘すればキリがない。しかし、報道は令和バンザイ一色なのだから、どうしようもありません」
宮沢喜一元首相は、著書で〈われわれは将来に向かって自由の制限につながるかもしれないどんな兆候に対しても、厳しく管理する必要があります〉〈自由はある日突然、なくなるものではない。徐々に蝕まれ、気づいたときにはすべてが失われている〉と書いていたが、手遅れにならないよう、今こそ、この言葉を噛みしめるべきだ。