芝田進午氏は、生前に『人間性と人格の理論』を当初考えていた書名『人間性と人格と個性の理論』に変えて内容も、歴史の変遷と展開に対応するいっそうの理論的発展を反映させた改訂版を完成させたいと強く願っていた。
理論的発展のために避けられない諸問題をはじめ、崩壊したソ連や東欧など「社会主義」をどう評価するか、大工業理論をどのように発展させるべきか、「市民社会」「民主主義」「民主集中制」などの問題、そして「共産主義」という訳語の問題にいたるまで。広範な改訂を具体的に構想していた。
また、『双書・現代の精神的労働』の完結も何度も口にしていた。芝田進午氏は、1962年に三一書房から『現代の精神的労働』を出版し増補版を1966年に出している。それ自体が総括的なまとまりをもっている。さらに全6巻にわたる『双書・現代の精神的労働』(青木書店)を責任編集として構想した。
第1巻 科学的労働の理論
第2巻 組織的労働の理論
第3巻 教育労働の理論 1975年刊行
第4巻 医療労働の理論 1976年刊行
第5巻 公務労働の理論 1977年刊行
第6巻 芸術的労働の理論 上 芸術的労働の社会学 1983年刊行
下 芸術的創造の理論 1984年刊行
ここで、芝田氏が「完結」を強く念願していたのは、上記の第1巻、第2巻を指している。三一書房版を参照すると、科学的労働とは、科学労働者・科学者や技術労働者・技術者のような仕事の現代置かれている労働の形態を指す。組織的労働とは、新聞労働や放送労働のような領域に包含される労働を指している。
さらに、氏は、1980年に『教育をになう人びとー学校教職員と現代民主主義―』(青木書店)で教育現場で働く実際の仕事に目を」むけ、1983年には有斐閣から『現場からの職業案内―学生諸君!君たちはどう生きるか』を出版、サラリーマン、公務員、ジャーナリスト、教師、技術者、医師などの労働を就職する学生向けの参考となるように、それぞれの専門家からの案内として、精神的労働を伝えている。また、旬報社(当時は労働旬報社)から『協同組合で働くこと』を1987年に出版されている。
芝田氏は、反核運動にも生涯の多くを費やした。時代の趨勢で運動には盛り上がるときもあれば、下火の時期もある。『現代の課題 核兵器廃絶のために』(1978年)、『核時代Ⅰ 思想と展望』(1987年)『核時代 Ⅱ 文化と芸術』(1987年)を考察し研究しながら、ノーモア・ヒロシマ・コンサートで文化運動を実践し続けた。百科全書派のように広範な領域に及ぶ実践的知識人である芝田進午の学問として思想を、仮に<芝田進午学>あるいは<芝田学>と呼ぶならば、現在日本こそ<芝田進午学>が多くの民衆に伝承されることが求められている「危機の時代」と「危機を克服した後の希望の時代」両方を透徹した学問と言えよう。
良心的学者として学問研究を現実から構築し続けた芝田氏。彼に緊急の課題が発生した。芝田進午氏にとり生涯最大の実践的課題となった。早大など教育施設・福祉施設がある新宿区の居住地に、国立予研(改名して感染研)の住宅密集地へ移転を強行し、反対運動の声も無視して実験を開始した。もたらす問題の重大さを見抜き、究極は国家権力を背景にもつ相手に反対運動を継続することが、簡単ではない取り組みであると考え、当初のライフワークも終えぬまま、芝田進午氏は反バイオハザード闘争に取り組み、病いで斃れた。いま時代は新型コロナ感染症によって未曽有の医学的困難と大恐慌以来の経済的混乱を迎えている。国立感染研の住宅密集地でのP4実験施設実験に疫学的見地から反対裁判を闘った芝田氏の実践的学問的追求が必要な情勢だ。
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