

高校入学後 電関人の山陰愛はいよいよ強まり
冬はもちろん春や夏も山陰本線に通う始末
今回はその山陰の雄 DD51の話
周知のとおり大半の蒸機ファンから死神の異名を付けられ忌み嫌われる機関車
蒸機世代殿の電関人にとってはD51同様にDD51は親しい存在である
この冬は確か初めての試みとして岩国始発広島まで各駅停車扱い
芸備線・木次線廻りの夜行急行ちどり3号で山陰本線入りした
数あるルートの中で中国山地を縦断するこの入り方はその後お気に入りとなった
というか電関人の短所でもあるが、気に入るとサルがラッキョウの皮をむき続けるが如く・・・
福知山に向かう道中 播但線の分岐駅による
折からの生憎の雨に艶めかしく濡れる播但線列車の先頭に立つDD511126(福)
1977年12月大晦日 山陰本線和田山駅 OLYMPUS OM-1 zuiko28㎜ F3.5 TX ASA800増感
とても懐かしいカットをアップする
国鉄時代特急列車と言えば長い編成は当たり前
グリーン車に食堂車も車内販売カートも有り
様々に列車旅行を楽しむ要素は充実していたし愛称名も地名は急行のもので
動物名など特急列車にはそれなりに相応しい名称が付く
今や特急列車が提供するサービスは当時の快速列車並みでしかない
ディーゼル特急まつかぜは隣の新大阪始発 福知山線 山陰本線廻りで
鳥取で6両を切り離し基本の7両は博多まで到達
大阪駅では隣のホームに寝台特急つるぎが終着するまで
堂々13両の編成美をカメラに収めることができた
今の駅構内はホームドアができたりと撮影は色々と制約が多いと思うけど
必ずルールは守って撮影を楽しもう
趣味というのは同好者みんなで分かち合うものであって
決して争って得るものでは有りません
撮る対象が少なくなった今だからこそ
皆で譲り合って趣味を大切にしてください
お爺一鉄道愛好者のお願いです
1976年夏 大阪駅にて下り1Dまつかぜ
何十年振りに梅小路を訪れた。
もちろん蒸機を知らない世代の女の子がマンモス貨物機に対峙して
ひたすら絵を描いていたのがとても印象的だった。
梅小路機関車館
再掲写真であるが、旧山陰本線京都口の代表的撮影地だった保津峡にて。
東北流れの516号機が牽く貨物も懐かしく。
記録年月がはっきりしないが、おそらく1978年夏かと。
だとすると、キハ40系に最初に出会ったのも此処かもしれない。
1978年夏(?) 保津峡