レッドトレインこと50系(51系)は、所謂旧型客車を駆逐した張本人で、
好んでは、被写体にしなかった形式。
そんな被写体だった50系ではあるが、山陰本線京都口の電化が聞こえ始めた時期、
おそらく大学入学後初めての夏休みの帰京途中かと思われる撮影記録。
普段は保津峡で撮っていたのを足を延ばして亀岡盆地に出てみた。
太古には湖だった伝承もあるここは、桂川によって運ばれた肥沃な中世紀層で稲作が盛んだった。
真夏の斜光線に浮かび上がる青田を前景に、
そして保津峡を形成する嵐山の山々を背景にして馬堀でのレッドトレイン同士交換の記録は、
数十年経て今はとても懐かしい。
1981年(?)8月 馬堀
9年前の夏、久々に訪れた梅小路。
昔と変わらず、本線を彩ってきた名機たちは静かに休んでいた。
※ ちょっと千葉の出城に行ってくるので2、3日更新が途絶えます。
2009年 葉月 梅小路
山陰本線京都口が旧線の時代、撮影と言えば保津峡だったが
或る雑誌で見た写真が気になって馬堀まで足を延ばしたことがあった。
嵐山の山塊を抜けてひらけた沿線に燦々と降り注ぐ夏の陽射し。
その高い太陽がやや傾きかける頃、敢えて逆光で客レを捉えてみた。
終着京都に向けて保津川が刻む最後の隘路に分け入るため高まるイグゾーストを聞きながらシャッターを連続で切る。
遠のくイグゾーストに入れ替わり客車のジョイント音が支配する。
ゆっくりと刻まれるジョイント音にはきっと全開の窓からの風がちょうど心地いいはず。
思い切り絞ったモノトーンの画面とスローテンポのジョイント音が、
暫し夏の暑さからわが身を解放してくれる。
1981年夏 山陰本線 馬堀付近
復活蒸機が各地で走り始めて久しい。
しかし無煙化後暫くはライブであの美しいくろがねのツワモノたちに逢えたのは梅小路だけだった。
その梅小路も来春のリニューアルオープンに向けこの夏一旦閉められる。
梅小路は唯単に展示館としてだけでなく今後動態蒸機の補修検査も行うこととなり、もしかしたら他の静態機が復活することが
あるかもしれないなどと空想が広がる。
ラウンドハウスの一角で、名急客機たちはこのリニューアルに何を思いながら佇んでいるのだろうか。
1978年夏 梅小路機関車館 C51239、C5345
少し前の佐倉さんのC573重連記事にインスパイアされ写真庫をゴソゴソと。
77年夏、北海道へ行く駄賃に寄った播但線。
夜行急行を姫路で降りて真夏の暑さにむせ返る生野に向かう。
荷物の重さも手伝いフラフラになりながら辛うじて撮ったDD54の客レ。
ネガカラーの退色補正をしてややトリミング。
蒸機の迫力には遠く及ばないまでもC57古戦場生野峠に挑むDD54は電関人思い出の1枚。
1977年8月