冬の季節風を遮るものが何も無い厳しい五能の鉄路。
それだけに、その車窓を流れる景色は雄大そのもの。
かつては鉄路を波が洗うような大風の中も運行した。
が、それも今は昔。風に対する現在の運行基準は改正され、
数年前の冬に訪れた際は2日ともウヤの憂き目に遭った。
もう一度、
厳冬期の中健気に走る雄姿を見たい。
1982年 大間越~陸奥黒崎
浜に出てみる。
冬に向け北西からの季節風が強まる。
波飛沫が届く至近に地形を縫うように走る鉄路。
潮騒に音も無く往く列車。
冬はすぐそこに。
1982年 秋 大間越~陸奥黒崎
まだ9月の金曜日に北海道から雪の知らせが届いた。
暑さも寒さも過ぎてしまえば・・・だが、
この夏の仁万の暑さはきつかった。
1982年盛夏 仁万~五十猛 181系おき
七谷へ。
ちょうど暮時で山間の小さな町は何とも言えない色に染まりだす。
秋の陽は釣べ落としの字の如く、夜の帳が下り始める頃
電車が行ってしまった駅は、人恋しさ極まる静かさに包まれ、
東の宵空は、山の上にぽっかり満月が浮かぶ。
こうしてドラマチックな蒲原秋の一日は終わりを告げるのだった。
忘れ得ぬあの秋、おしまい。
1982年9月29日 七谷
先の直方のアップでも述べたように、亡き父親からの貸与されたオリンパスペンFというフォーカルプレーンシャッター搭載ハーフ一眼。
分不相応なカメラを首から下げてチャリでの撮影行が主だった頃。
さらに父親から望遠レンズ(望遠と言うよりは長焦点だが)を貸してもらいこの時はその一本勝負だったようである。
事実上意識してカメラを振った第一号写真で今は九州縦貫道の太宰府インターになっている辺り。
二日市を出た福岡行急行(丸看板が少し見えている)、非冷時代の貴重な一枚。
二灯SBで628Fからの三編成のどれかで、ちょうど川車が合併で川重になってすぐの頃の製品だ。
さらに移動して、
二日市車庫で暫し休憩する701F。
後にも先にも700形はこのひと編成のみで、前世代の600形がMC+TCを基本としたのに対してTsC+M+M'+TsCの4両固定で、
この次世代となる5000形の実質試作車で電関人が西鉄新性能車の中で一番好きな車両である。
1975年1月