課題の一つになっていた神奈川臨海鉄道。
先日、銀座線の甲種で初めていったものの普段着のカナリンを味わいたく、小雨がそぼ降る川崎貨物へ。
休日とはいえ、積み出しがあるようでかなりの頻度で動いてくれた。
最近では激減してしまった非電化の巨大なヤードをDD55が行ったり来たり、そして突放も見られて、
終日いても飽きない光景を久々に見れて楽しい三連休最終日であった。
2013年11月4日 神奈川臨海鉄道 川崎貨物駅
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2003年、生前の父親を見舞うための帰福時に合間の時間で訪れた田野浦臨港線。
結局、訪問できたのはこの時の1度のみ。
流石に趣味のためだけに遥か北九州へ足を運ぶには遠すぎた。
トンネル向こうの農水省倉庫など魅力たっぷりのディープゾーンには時間の都合で足を延ばせなかったものの
故郷の地に存在した臨港線を記録できたのは幸いだった。
昼下がりに折り返してくる列車を船溜まり越しに。
関門大橋バックに、めかり丸というご当地名の船も入れて・・・
新しい建物に挟まれて、歴史ある倉庫が見える。
この後、レトロをキーワードにした港湾観光整備が進み田野浦臨港線は観光列車線として生まれ変わった。
2003年4月26日(?) 田野浦臨港線 雨ヶ窪~外浜 DD51+タキ1900(?)
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今日は以前から行ってみたかった神奈川臨海鉄道へ初詣。
同趣味の知り合いから今日赤いDD5516が銀座線新車を牽く情報をいただき、
台風情報と1週間にらめっこしながら今日目出度く快晴の川崎貨物駅傍にて初撮影を敢行。
場所を譲っていただきました皆様のお蔭でいい写真が撮ることができました。
2013年9月1日 神奈川臨海鉄道 9201レ DD5516+銀座線1000系
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鉄道ホビダス 編集長敬白2月6日の記事で 国産小型蒸機メーカーの協三工業にて久方振りに蒸機が新製されたことを知った。
その発注主は、最近密かに話題に上っていた那珂川清流鉄道保存会。
同メーカーでは、糸魚川にあった東洋活性白土の2ft専用線で活躍したロットナンバー6086が国内向け最終製造機とされていて、
その後暫くの沈黙ののち、愛知こどもの国向けや某千葉県内のテーマパーク向けなどの蒸機を細々と製造していたようである。
この度、那珂川清流鉄道保存会向けに製造されたのはロットナンバー6101で、そのフォルムはかつての東洋活性白土6t機に
良く似ている。
今日は、その協三工業にて22年振りにロールアウトされた101号機に敬意を表して電関人が撮ったロット6086をアップする。
1981年秋、既に活動休止中だった東洋活性白土専用線にて羅須地人鉄道協会によって運転会が模様され
このロット6086である東洋活性白土2号機も有火運転された。
東洋活性白土の洋風建築と東洋活性白土2号機。(2枚とも1982年秋、東洋活性白土専用線内にて撮影)
さらにこの蒸機とはその4半世紀後に再会した。
2007年2月25日 糸魚川にて(旧東洋活性白土敷地?)
奇しくも協三協業は福島県にある。
震災にも負けずに約4半世紀ぶりに新造蒸機を産み落としてくれたメーカーに最敬礼!
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この輸送が終わったのは、前回の改正の時だった。
鹿島サッカースタジアム(神栖)と塩浜(三菱化学四日市事業所)を結んでいたエチレン輸送。
つい2日ほど前にこのエチレンコキの受け渡しを行っていた塩浜貨物線ヤードの線路が撤去されたようだ。
そんなことを強烈に思い出させるように起きた昨晩の地震。その発駅だった神栖付近は震度5強。
そしてその次にあたる今改正まであと2日。
ついに想い出の中だけの風景になってしまった、四日市塩浜貨物線の三菱化学受渡ヤード。
まさに、DD511801号機と857号機の重連にエスコートされてエチレン列車が三菱化学四日市事業所に到着。
前もって受渡ヤードに出迎えに来ていた工場のDB251によって、すぐに工場内へと取り込まれていく。
ここにはもう1両のスイッチャーが居てそれがお目当てのロッド付きだが、この日は残念ながら出番ではなかった。
こんな作業風景は一年ほど前に終わっていたのだが、役目を終えた線路はさらに1年ほども風雪に耐え残っていたのだった。
この国の産業を底辺で支えてきた鉄道貨物輸送の生き証人がまた一つ消えてなくなった。
二枚とも2002年11月撮影 四日市塩浜貨物線にて
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