自身、フルサイズデジタル一眼レフ購入後初のカシオペア。
この年最後の残照に染まる銀一色の編成は美しかった。
つい先日ミラーレス一眼をNikonが発表したが、
電関人は、この美しさを捉えたとき同様に
オプチカルで写真を撮り続けることだろう。
2013年大晦日 8011レ
思い起こせば、ボンネット型に代わって一世を風靡したフォルムで、
自身の鉄道写真人生にオーバーラップする形式の一つ。
そのデザインにもまもなく終止符が打たれようとしている。
秋の高原に出たてのススキ穂を揺らし、
まさしく「そよかぜ」の如く颯爽と走りゆく姿に
有終の栄光美を感じた。
2012年 9月 しな鉄 平原 E5
お盆期間中は、先祖・先人を敬う意も込め、
3日間蒸機三昧で・・・
昨日の丸瀬布に続いて、
今年の前半を振り返ると、5月に予定していた真岡の重連がC12の故障からウヤの憂き目にはじまり、
C56160の引退、さらには西日本を襲った大雨の影響でやまぐち号の運休、そしてばんもの用C57180号機の
テンダー車輪修繕による長期運休、また梅小路においてもC612の車止め乗り上げ事故と受難続き。
そんなことも相まって自身とても煙分の薄い前半戦だった。
なんとか、後半戦は挽回をしたいところであるが走行線区も限られ果たして如何に。
そんな本日の写真は、電関人初参戦の磐越西線クリスマストレイン。
実は電関人の2度の過去実績とも雪による支障で往路喜多方打ち切りだった。
この列車運転も、雪に懲りたのか運転時期を前倒しされ雪中走行はなかなか見れないことに。
E-100Gの増感で色バランスが悪いのが玉に瑕だが1発目の五泉。
2発目は鹿瀬でシュートしたが、
結局倒木などの影響にてこれにて終了。
1995年12月 E-100
今のサンライズ同様に、右に左に泣き別れの紀伊・いなばの片割れいなばが旧餘部の大鉄橋を渡る。
東京ブルの中で、唯一浜松のゴハチ持ちだったが時間帯が悪すぎて一枚もその雄姿が残っておらず。
さらに、やはり時間帯のせいか食堂車の営業もされなかったが他列車との共通運用なので、
ハネ以外に、ロネ、シを繋ぐ豪華編成をデデゴイが牽いて名勝を渡るの図。
いなばの名称は短命に終わり、出雲に吸収されたのも
何だか白兎の伝説のようで儚く物悲しい。
1978年12月 餘部 コダカラーⅡ
親分変われば皆変わるが常の会社組織にあって、
鶴の一声で、PF機が順次懐かしの塗装に。
或る意味ファンにとっては喜ばしい反面、別側面意味するものは「最後の花道」とも。
常日頃から、在るものを在るがまま撮ってきた電関人には、
焦らず騒がず、静かにその動静を見守るのみ。
定番撮影地の屋敷森前を斜陽に照らされながら行く、PFタンカートレイン。
1992年冬 ER(?)