ついにこの3月いっぱいをもって京阪の旧3000系がリタイア。
昨年の2月電関人は早々と京阪の名車旧3000系とお別れをしてきております。
なので此処では敢えて3000系には細々触れる事はしません。
京阪区間といえば戦前から私鉄各社と国鉄が激しくサービス合戦をしてきた激戦区であることは言うまでも有りません。
そんな京阪電鉄の通勤型名車を電関人が知っている限り順を追って・・・。
先ずは何と言っても韋駄天の加速力をして「スーパーカー」の異名を持った名車2000系。
あっちなみに昔の写真はすべてミノルタの16㎜フィルムカメラ 16QTでの撮影です。
おそらく1972年だと思いますが詳細は不明。
平等院に行った帰りに中書島で撮影した各停 淀屋橋行。
トレードマークのおおきな電球式前哨灯とガイコツと呼ばれた標識灯。
このスーパーカーを昇圧前提に改造してできたのが2600系ですね。
子供ながらに地元西鉄の新600系と比べてもその加速の良さに驚きました。
シールドビーム改造されていますが、前哨灯のケーシングは電球時代のままでさらにガイコツ標識灯もそのままが嬉しい2605F。
幌も付いた厳めしい顔つきが精悍に見えます。
そして、何といっても関西の私鉄で最初に冷房車を導入したのも京阪でしたね。
特急3000系のテレビカーという名の通りテレビを見せてくれたり冷房を入れたり複々線にしたりと沿線乗客第一主義で、
流石関西私鉄の雄です。
3Cなんて言葉がありましたが、まさに電車版が京阪2400系。
屋根の上の大きな箱が8つも並ぶのが特徴でした。
顔もスーパーカー2000系に比べるとシールドビームになって標識灯もガイコツから四角いタイプに。
随分と顔がすっきりしたものでした。さらに横から生えたワイパーにも何とも洗練さを感じたものです。
この2400系も年月が経ち現在ではその出で立ちが変わりました。
貫通扉の窓が表示幕と一体になったこの顔、どこかで見覚えが・・・。
そうです、阪神の名車で喫茶店の異名の851系形をちょっと彷彿とさせるところです。
何!?、斜めの手摺が無いと・・・。詳細の突っ込みはナシということで・・・。
そして京阪通勤車の真打はやはり5000系。
当時の京阪が運行上抱えていた様々な問題を解決すべく巨額の開発建造費を投じて
ロールアウトされた5扉通勤型。しかもデータイムには3扉のみ仕様で残りの扉にところには
座席が下りてくるそのシステムに子供ながらに驚愕したものでした。
最後に、旧3000系テレビカーに万歳!
1972年頃 京阪中書島にて 2006、2464、5651/2010年9月2日 枚方市にて2605/2012年2月18日 大和田駅にて2463
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30年振りに訪れた五能線。
ウヤになったおかげで、いろんなことを考えさせられた。
集落の外れにあって、最も30年の間変わらない駅の一つ驫木。
1934年(昭和9年)にできた比較的新しい駅。
一旦日本海が大時化になると、まともに波飛沫を被る駅である。
五能線の中でも、一番列車密度が低い深浦と鰺ヶ沢の区間にある。
この環境下では厳しい冬は乗車効率からもバスによる代行運転の方がコスト効率が良いのは頷ける話。
新聞や郵便物の輸送といった生活路線の役目を終えた今、鉄道として存続できている方が奇跡なのかもしれない。
唯、冬の日本海の海の色は30年前と一つも変わらず、電関人が見てきた冬の海の色ではダントツの一番。
どんな運転形態にせよリゾートしらかみ等の観光列車開発と整備を中心にして少しでも長く五能線という鉄路を守ってもらいたいものだ。
2013年1月18日 五能線 驫木駅にて
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