狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

超私的昭和風景譚 -12-

2016年11月05日 21時01分34秒 | 徒然鉄ネタ



鹿児島本線 原田駅。
電関人が最初に記憶するこの駅の思い出は、
隣の基山駅を利用して行った草スキー(草の上をそりや段ボールで滑る)に向かう際、
筑豊本線の起点駅として折り返しの列車を牽くD51やC55が駐留しているのが見える駅としての原田駅だった。
しかし、筑豊のヤマが閉山され蒸機も消え旅客列車のみとなると急激に寂れ、近隣に人家も少なく70年代後半の
この駅の乗降者数はおそらく底となる。
辺りを緑に囲まれその線形からも好撮影地として良く訪れた原田駅であったが、
80年代辺りから鹿児島本線の博多~久留米区間では駅数を増やして盛んに沿線開発が行われる。
結果、ここ原田駅周辺にも宅地化の波が押し寄せ学校が店が出来てすっかり何処にもある近郊駅と化す。
写真の原田駅は77年という一番寂れていた頃の原田駅で起点駅として有人ではあるものの駅業務は簡略され
改札省略で、ラッチの真上にある手動回転式の発車案内も使用中止に。
疎らな利用者には不釣り合いなほどの木造の立派な駅本屋が穏やかな秋の朝日の中に在った。
のんびりと流れる駅の空気をよそに、改札の向こうを下り急行阿蘇が一陣の風の如く通過。
昭和な、昭和な原田駅が好きだった。

1977年秋

コメント (2)
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