エネルギー革命が起きるまで
この国を支えてきた石炭産業
もちろん蒸気機関車を走らせる動力源
鹿児島本線を原田(はるだ)で別れ炭都を抜けて
北九州工業地帯を繋ぐ短絡線として機能した幹線である
その炭都への径は原田を出るといきなり山へ分け入り
三郡山系の山々をトンネルを穿ち桂川(けいせん)を経て
飯塚や直方などの炭都へ通ずる
トンネルも峠同様冷水(ひやみず)の名が付き
工事には在日朝鮮人労働力が費やされた暗い過去を持つ
かつてはC55やD60 D51に9600が往来し長い石炭列車には後補機が付き
急行天草 特急かもめ あかつき 明星も筑豊廻りまで存在した
その後エネルギー革命を境にして 北海道とともに筑豊の炭都は急速に衰退し
閉山後 石炭→石灰革命を経て今に至るが
冷水へ分け入る細径にはかつての栄華を偲ぶものは何もなく
単行のディーゼルカーが日に数往復するのみ
写真は1978年撮影 筑豊本線 筑前山家付近 Nikon F2 アイレベル 露出目測 nikkor135mm f3.5 TX