3月最後の今日、外は嵐。
そしてとても残念なお別れの日でもあります。
長野電鉄のロマンスカー2000系と屋代線とのお別れの日。
今月もう一度と思いつつ、ついにその念願は果たせずに本日を迎えてしまいました。
お別れの気持ちを込めて、一昨年の12月の蔵出しで・・・。
前日の猛吹雪の会津脱出から打って変わって穏やかな長野県に転戦し屋代線に臨時列車で入線の2000系を。
遠めの飯縄山が本線とは違った景色で新鮮です。
そして屋代駅でしなの鉄道の169系S52編成とランデブー。
このランデブーが撮りたくて、猛吹雪の中を磐越道・関越道・北陸道の夜通し走って移動したのでした。
2010年12月26日 長野電鉄 屋代線 綿内~若穂、屋代駅にて
※励みになりますので、左上のにほんブログ村のボタンをポチっとお願いします。
最新の画像[もっと見る]
- 逆光の渓 15時間前
- 恵那山が見下ろすロクヨン重連 2日前
- 中央西線の秋 3日前
- 中秋を行くしな鉄169系 4日前
- 思い出の長野電鉄 マッコウクジラとリンゴ 5日前
- 山陰本線貨物の思い出 6日前
- 煙の名残 7日前
- 長閑な頃の八高線 1週間前
- 季節の狭間で 1週間前
- 男前の133号機 1週間前
悪天候の中の最終日撮影お疲れ様でした。
信濃川田は駅舎と保存車両、2000系A編成も合わせて、
メモリアルパークとして是非保存をお願いしたいと思います。
地味ながらも、そのひっそりと走る沿線風景が
ジワリと浸み入るそんな路線でした。
おそらくこの辺は高速道路と新幹線によって、
通過エリアになってしまった地域ですね。
遅レスで失礼いたしました。
まだ学生時代にはオリジナル車が走っていて、
一度行ってみようと思いつついつも通過して
しまっていたのが悔やまれます。
どうも、昔から拘り出すと同じところばっかり
行ってしまう習性でして(苦笑)。
遅レスで失礼いたしました。
この廃線はやはり、新幹線開業の弊害でしょうか!?
三セクのしなの鉄道からさらに枝分かれする
この路線は、屋代駅が新幹線が出来たことによって
都会との距離をさらに遠くした典型的な例の
最たるものものではないかと考えさせられます。
遅レスで失礼いたしました。
その地味さゆえ、上田交通には数度通ったものの、
すぐそばのこちらへは足が向いていませんでした。
でも、実際に訪れてみると渋い駅舎などその
シーナリーはとても良くていつもながら
もっと早くにと後悔するのでした。
地元の鉄道が廃線になっていくのは、51年間生きてきて初めてのことだっただけに、やはり名残り惜しいです。
それにしても…。
この時は這々の体で豪雪の会津から脱出しましたね。
169系と2000系とのランデブー、ホント最高でした。
とくに3枚目のカット、169系と2000系が顔を合わせた瞬間、好きです♪
私は一度も訪問ならずでした。
2000系も信州の雪山に映える電車でしたね。
その昔に行ったときの写真が拙ブログにあります。
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2011-02-17
1枚目、遠方の白い雲は雪国を連想させます。
結局2000系を撮ったのも一回限りでした。
随分昔、松代まで出張で行った事がありましたが、屋代線に乗ったんだったかどうだったか...記憶に残っていません。
屋代線、随分前に訪問したっきりで。
最後まで無事運行されることを祈りたいです。