いつも秋か冬に出かけていた蒲原鉄道。
米どころを走る当線の沿線にはハザ木を良く見かけたが、豊穣の頃盛大に稲が干された光景を目にしたのは一度きり。
しかも、その穀倉地帯の春水田に水が張られて田植えされ青々と成長する時期には訪れておらず。
雪景色にばかり気を取られて、ある意味この鉄道の一番いい時期を撮らずに終わってしまったようだ。
雪止みの昼下がり、ハザ木越しに乾いたジョイント音を残し単行電車が走り去る。
1982年2月 蒲原鉄道 高松~土倉
鉄道要衝である鳥栖駅の大きな構内には70年代当時、年代物のストラクチャが沢山存在した。
C59やC60が闊歩した時代からそれらを眺めていたであろう木造黒板の駅上屋。
蒸機と共演した古参気動車キハ17がよく似合う。
1978年5月 鳥栖駅
福岡在住時代、旧客による列車を撮るために良く通ったのが鳥栖駅。
一大鉄道要衝である鳥栖からは、鹿児島本線をはじめ長崎本線と久大本線の旧客による各駅停車が発着していた。
まだ色濃く蒸機時代の面影を其処此処に残した一大クロスポイントの構内を抜け鹿児島本線の下り客レ(?)が発車していく。
使用される車両もまちまちでかつて優等列車に組成された歴史を醸しながらだんだんと遠退くその姿は厳かだった。
1978年9月 鳥栖駅