電関人世代にとって、レールバスといえば南部縦貫鉄道のそれである。
81年3月の東北旅行の際に初めてレールバスに乗った。
この日、何処をどう回って野辺地に辿り着いたかメモもとっていないのでよく覚えていない。
おそらく昼過ぎ頃で旧国鉄野辺地駅の片隅に跨線橋でつながったホームにレールバスが佇んでいた。
早くも西に傾きかけた陽光に、日本初の防風林が影を落とすキハ102は、本当にバスそのものといった風情。
すでに数人先客が居る車内に二つ折りの扉から乗車。
暫くののち、運転手が現れて変速機の取っ手をつけるとやおらエンジンスタート。
乗客以外に、各駅に降ろす荷物も相席。
その乗り心地たるやまるで昭和の遊園地のジェットコースター並みで、
保線されてるとは言い難い線路のコンディションも手伝ってガーガーガー、ダンダンダン。
非ボギー車両はしっかり口を結んでないと舌を噛みそうな勢いでスリリングでさえあった。
今も終点駅の七戸に保存会などによって手厚く動態保存されているのがありがたい。
1981年3月 南部縦貫鉄道
チンチーン、ガシャ。
閉塞機から出たたまを専用バックに入れ今度来る列車に渡す。
非常に単純だが確実に人間の手によって操作されるタブレット閉塞。
この通行手形を受け取らない限り、
先に進むことができない。
その通行手形は、
人から人へ確実に手渡しされ、人の目で確認される。
原始的だけど、鉄道が人によって動かされている証であった。
1982年2月 蒲原鉄道 大蒲原駅
昨晩は随分とまとまった雨が降った。
間もなく梅雨入り。
電関人がハーフサイズの一眼レフから35㎜サイズの一眼レフに持ち替えて盛んに線路端に通った頃。
梅雨の雨降りでもチャリンコで傘をさして線路端へ。
ゴーマルサン改正で鹿児島本線には481系ボンネット型の有明が走り始めた。
そしてその翌年の7月には長崎本線・佐世保線電化開業でクロ481を繋げたかもめ・みどりが走り始める。
写真はその少し前の梅雨時6月の鹿児島本線でクロ+モハ+モハ+クハという超ミニ編成の試運転列車が頻りに往来した。
梅雨に煙るストレートを快走する481系有明。
どちらかというと、この赤いスカートのクハの方が好みだった。
かつて、ひたちなどに使われたクロが初お目見え。
電化開業間近に蛍光灯剥き出し、連結器カバー無しの状態で訓練運転中のTsc+M+M'+Tcミニ編成。
上)481系有明 南福岡~白木原、下)クロ481ほか 訓練運転列車 水城~白木原 どちらも1976年6月
復活蒸機が各地で走り始めて久しい。
しかし無煙化後暫くはライブであの美しいくろがねのツワモノたちに逢えたのは梅小路だけだった。
その梅小路も来春のリニューアルオープンに向けこの夏一旦閉められる。
梅小路は唯単に展示館としてだけでなく今後動態蒸機の補修検査も行うこととなり、もしかしたら他の静態機が復活することが
あるかもしれないなどと空想が広がる。
ラウンドハウスの一角で、名急客機たちはこのリニューアルに何を思いながら佇んでいるのだろうか。
1978年夏 梅小路機関車館 C51239、C5345
夜も大分更けた雨の博多駅に入線したあかつき。
外の雨模様とは裏腹にアルコールも入って、出張途上の談笑で和やかな就寝前のひと時。
構内にはディーゼル発電機の唸る音だけ。
間もなく発車のベルが鳴り・・・
スハネフが明日という行先に向けて漆黒の夜の帳へと溶け込んでいく。
1978年梅雨 博多駅