狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

蒸機臨急のように その三

2016年06月23日 18時19分05秒 | 国鉄・JR 東北

橋梁に乗った列車も編成全体が見えてこれまた良し。
古くから使われるトラス、ガーター、そして石積みの橋脚は沢山の優等列車を見送ってきたことであろう。
数年前に、東北本線を走るシロクイチ旧客列車を撮った時鉄橋に向けた緩い上りを彼の機は美しい白煙をあげて
猛然と駆け上がってきた。そして橋に乗る寸前の短笛とともに絶気。構えているこちらは絶句であった覚えがある。



この後峠の隘路に向かうシゴナナは給炭で行き足に力を込めているのだろうか。
長い橋梁のうちガーター部分だけ編成長で切り取ってみるのも面白い。さながら夏休みのお盆多客臨かのよう。

2016年6月 磐越西線

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蒸機臨急のように その二

2016年06月21日 18時32分31秒 | 国鉄・JR 甲信越

沿線人口がそれなりにあるからこそ優等列車が設定されるのは道理。

なので、人里の風景と共に臨急の出で立ちをした列車を撮りたかった。
トンネルから出た磐越西線は大きな弧を描きながら平瀬(びょうぜ)の集落を縫う。
赤い屋根民家と屏風のように聳える棒掛山が織りなす景観が好きで二番目のポイントはここと決めていた。



気温が高いせいもあるが、このくらいの煙が寧ろ優等列車を引く罐の炊き方らしくもある。
甲組が手掛ける運用であればこそ、火床の作り方も水や罐圧も全てに於いて非の打ちどころが無いはず。
完全燃焼走りの軽快さこそがこの場面を演出してくれようというもの。

2016年6月 磐越西線

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蒸機臨急のように その一

2016年06月19日 11時25分53秒 | 国鉄・JR 東北

以前からの課題の一つにタッチの差で目に出来なかったライパシ晩年の臨時急行が走るシーンを再現することがある。
春の臨時列車発表時にいち早く遠征敢行を決定。いろいろと撮影地を物色検討するなかで
五十島駅を出たストレートを最初のポイントとした。



陽炎が立ち上るような真夏を思わせる暑さの中で暫し接近を待つ。
磐越西線の線形は新潟平野の周辺部からこの五十島辺りを境に大河阿賀野の流れによる峡谷部へと足を踏み入れ
勾配やカーブ、トンネル、橋梁と変化に富むこととなる。
鼠色した甍の民家が数件駅前集落を形成してかつての銘木産地を思わせる立派な杉林と場内信号機、
それに見ようによってはハエタタキにも見えなくない電柱と。
ここは播但線なのかはたまた山陰本線の山間区間、それとも日豊本線南部か?
ライトパシフィックC57が晩年まで急行列車を牽いていた線区が走馬灯のように思い出されるシチュエーション。
本来の山間の雰囲気を強調するべく決めた縦アングルの画面は、黄色いおでんマークを隠す位置でレリーズ
なのだが、寧ろ現役さながらの雰囲気は画面に蒸機が入りだして踏切を越えた辺りのこのコマが良い感じだった。

2016年6月 磐越西線 五十島付近

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急客機の威厳

2016年06月18日 10時20分17秒 | 国鉄・JR 甲信越

梅雨前の綺麗な朝日を浴びて元急客機が信越本線を下る。
青地に金帯は、かつてロクゴPが纏った特急色同様に星マークなど無くったって急客機の威厳はそのまま。
寧ろ差し色を失った銀罐より個人的には青い方に軍配を上げる。



やや短い4059レではあるが、信越本線沿線の所々にに今なお残る防雪防風林を緑の屏風に見立てて見得を切っているように見えた。
できることなら生涯500番代には青い急客機塗装を纏い続けて欲しいものだ。

2016年6月 信越本線 EF510506号機 4059レ

 

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煙に塗れる旅 エピローグ

2016年06月15日 18時44分20秒 | 国鉄・JR 甲信越

少し間隔が空いたけど、煙に塗れた旅を終える締めくくりで。
三川発車の後、32Countさんに燕三条へ送っていただく帰り道にもう一度ばんもの。



猿和田手前のストレートで後追いショット。
平野部に出た韋駄天走りのライトパシフィックは、往年の急客機の貫禄そのままに走り抜ける。
夕方の日差しこそ厚い雲に隠れてしまっていたが都合この日4度目の撮影にほぼ満足。

思えば1日でディーゼルの紫煙からタンク機の煙そしてライトパシフィックの煙と追いかけてきた撮影行、
まずは只見線の2422Dをひと区間だけ乗車し、開け放った窓からかすかに香る排気を久々に嗅いだ。
そう、電関人が旅してきたかつてのローカル線ではボックスシートを独占して、進行方向に向かって腰掛け
足は前の席に投げ出すというのが王道。
そんな懐かしくもある王道座りの老人を車内で見つけた。といっても電関人を合わせても二両にたった
4人の乗客で、その乗車率はかつての国鉄時代の赤字ローカル線ワースト記録を争った添田線や漆生線より少ない。



このボックスシートの光景も然り、何とかローカル線の原風景を残し米どころを走る只見線の巧い存続のさせ方は無いものであろうかと、
考えさせられる旅でもあった。

2016年5月29日 上)磐越西線 馬下~猿和田、下)只見線 小出~薮神

 

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