電関人が中坊になってすぐの頃だから74年前半で
いわゆる蒸機の最晩年のこと
博多から篠栗線経由で直方に出て日田彦山線下りで後藤寺へ
乗換列車を待っている寸暇に
9600が給炭設備の下では出区の準備に余念がない
炭都の空はどんよりと9600の煙で霞んでいた
1974年夏 筑豊本線 直方駅 OLYMPUS PEN F zuiko100mm サクラカラー
電関人が中坊になってすぐの頃だから74年前半で
いわゆる蒸機の最晩年のこと
博多から篠栗線経由で直方に出て日田彦山線下りで後藤寺へ
乗換列車を待っている寸暇に
9600が給炭設備の下では出区の準備に余念がない
炭都の空はどんよりと9600の煙で霞んでいた
1974年夏 筑豊本線 直方駅 OLYMPUS PEN F zuiko100mm サクラカラー
エネルギー革命が起きるまで
この国を支えてきた石炭産業
もちろん蒸気機関車を走らせる動力源
鹿児島本線を原田(はるだ)で別れ炭都を抜けて
北九州工業地帯を繋ぐ短絡線として機能した幹線である
その炭都への径は原田を出るといきなり山へ分け入り
三郡山系の山々をトンネルを穿ち桂川(けいせん)を経て
飯塚や直方などの炭都へ通ずる
トンネルも峠同様冷水(ひやみず)の名が付き
工事には在日朝鮮人労働力が費やされた暗い過去を持つ
かつてはC55やD60 D51に9600が往来し長い石炭列車には後補機が付き
急行天草 特急かもめ あかつき 明星も筑豊廻りまで存在した
その後エネルギー革命を境にして 北海道とともに筑豊の炭都は急速に衰退し
閉山後 石炭→石灰革命を経て今に至るが
冷水へ分け入る細径にはかつての栄華を偲ぶものは何もなく
単行のディーゼルカーが日に数往復するのみ
写真は1978年撮影 筑豊本線 筑前山家付近 Nikon F2 アイレベル 露出目測 nikkor135mm f3.5 TX
高校時代に芸大出身の美術教師と激論を交わした思い出
シュールレアリズム(リアルを超越する表現)は絵画でのみ成立すると主張する教師に
写真部所属の電関人が問うた
写真にだってリアルは超越できると
教師曰く 現実忠実に写し出す写真にはリアル(現実)を超えられる訳がないと
リアルを写す写真にだって現実超越技法はあるはずだと電関人は唾を飛ばして言い返した
話は変わって
今だと〇〇ハラスメントなどと罵声を浴びかねないが
電関人のエロというかフェチ感をそそる女体のシェイプは鳩胸に僅かに乗るマイクロバストである
我々趣味の対象となる乗り物は基本女性名詞である
交流汎用機として世に出たパイオニア的存在のED72とED73姉妹
彼女たちは唯一のフロント形状が鳩胸交流機で フェチ感そそるそのグラマラスシェイプを
敢えてワイドレンズで点流し撮り
解るかなぁ解んねぇだろうなぁ。。。
↑ ED72
↑ ED73
2枚とも1977年冬 鹿児島本線 白木原~南福岡(白木原は現大野城、春日駅は未だない頃)OM-1 zuiko28mm f3.5 TX (ミクロファイン 1:1)
かつてハドソンやヘビパシが通った鹿児島本線中南部の景勝地田原坂
ここは蒸機の踏ん張りどころという古戦場である以前に
薩摩藩出身の西郷隆盛が政府軍と戦って散った古戦場でもある
ハドソンと言っても ここを往来したのはC60型やC61型で
ヘビーパシフィックのC59型を継承した弟分
電関人が物心つく小学校中学年代 古戦場には既にその雄姿は無く
熊本以南まで活躍の場を後退させており
古戦場は線路も勾配緩和のために付け替えられて主役は蒸機から電機に取って代わられる
比較的勾配が少ない鹿児島本線北部(鳥栖以北)と比較すると
大牟田から熊本の区間は山がちで起伏が多い
蒸機時代に喘いだ急勾配はその大半が付け替えられ線形が変わっており
蒸機時代の写真を彷彿させる名残は皆無に等しかった
夜行急行かいもんを真夜中に熊本で乗り捨て熊本始発の上り一番列車でとって返し
田原坂で下車する頃には辺りは払暁時間を迎え
間髪入れずにこの日のあかつき(明星だったかも)ラストランが通過
新戦場ともいうべきこの線区を見下ろす台地上に着くころには
晩秋の日差しは高くなっていた
優等列車や各停列車の合間を縫うようにやって来た下り貨物は
落成間もない鹿児島持ちのナナロク新鋭90番代
1978年晩秋 鹿児島本線 田原坂~植木 ED7693? NikonF2 photomicSB+nikkor135mm f3.5 TX(増感あり)
令和6年能登半島震災によってお亡くなりになったすべての方々に心よりお悔やみ申し上げますとともに
罹災されたすべての方々にお見舞いを申し上げます
ご存知 博多は日本海側に位置し
冬の冷え込みはそれなり
かつて客車を牽く電気機関車は蒸気発生ボイラを積んで
客車全車両へ暖房用スチームを供給していた
冬の博多は夜明けが遅い
心底冷えるホームに濛々と蒸気を吐きながら上り夜行急行かいもんが入線する
鹿児島や熊本 久留米からのサラリーマン風の乗客が数人下車
観光ではなく生活列車としての役務を担い この時間帯には長崎からの夜行快速(各停ではない)
ながさきも並走している
1979年早春 鹿児島本線博多駅 上り急行かいもん Nikon photomicSB TX ASA800増感(マイクロドール現像)
※この度の能登半島を中心とした大震災に罹災され亡くなられた方々には心から哀悼の意を
表すとともに全被害者の方々にはお見舞いを申し上げます。