本日はやや涼しげなカットをあげることに
6月訪問時に地元住人から聞いた話だが
もともと餘部集落の住民に漁業従事者はいないのだとか
写真のようにかつては波打ち際の護岸にいた数隻の小さな船は
今は全く居なくなってしまっている
辺りはぐるりと急峻な山に囲まれていて
駅は高台にあって一本ホームで積み出しなどできる設備もない
現在では一般道は途中大雨によって長らく通行止めとなって
山陰道の餘部出入口が唯一外部から同地区へのアプローチ手段
昭和の頃は国鉄の列車による小荷物扱いはあっただろうが
正月の松葉ガニは香住から
軽トラの業者が各家庭を回っていたのが記憶に残る
本当に漁業従事者がいない地区だったとすれば
あの波打ち際の小舟は生計を立てる生業というより
地区住人自らが食すほどを取りに行くためだったのか
昔此処で定宿にしていたあまるべY.H.は
夏場は海水浴客
冬は画家の卵と我々のような酔狂なカメラマンだけが客で
宿泊料に1000円足すとかにスキ鍋を出してくれた
1980年 弥生 山陰本線 餘部 OLYMPUS OM-1 kodacolor-Ⅱ