高校生から使っている目覚まし時計。最近勝ったのは、スマートフォンのケースを新しくした。物を大切に使っている。小さい時からピンクとか桃色が好き。名前が桃子なので。
今大学で教鞭をとっている。桜大好き(スタジオが桜の背景)。
1968年生まれ。15歳「青春のいじわる」でデビュー。シングル連続7作オリコン1位。TBS「花のち晴」に出演している。
43歳で法政大学に。大人になって学び直したのは娘が病気になったから。
息子21歳(大学生)、娘16歳(高校生)になった。祖母と4人暮らし。
問題にぶつかると、オロオロしてしまう。そうすると、子どもたちから落ち着こう、落ち着こうねと言われる。
1曲目稲垣潤一「夏のクラクション」。デビュー曲歌う前に、この子にはどんな歌が合っているのかを確認するための曲。声質を確認するために歌った。マイクをどの位離すか等、知らないことばかり。
久しぶりに聞いたら泣いちゃいそう。大人の世界に入る不安があった。
実は考古学をやりたかった。古墳の授業をやっていた時に、遺跡発掘で歴史が変わるかもしれないとあったので、やってみたいと思った。
中学生の時にスカウトされた。親に反抗時期で、姉や兄に比べて帰宅時間が早くて、何で私だけ早いのか。そこで芸能界に入るとなると変わるかもと思った。
桃子は本名。Momocoの雑誌は? 自分のお名前が雑誌のタイトルになるオーデション。もう20回ほど落ちていた。受かると思っていなかった。
アイドルで売れまくって。荻野目洋子さんが年齢もデビューも同じ。
2つ年上は早見優さんとか大勢いた。
新人でランキング1位になるのが怖かった。それに一喜一憂している大人も怖かった。
父が新聞を離さない人で隅から隅まで読んでいた。父から社説を読めと言われていた。なので、幼いころから新聞は読んでいた。興味ないけど読んでいた。
母も仕事をしていたので、大人になっても働くものだと思っていた。母は子供二人産んでからまた仕事を始めた。
大学に通い始めたのは、娘が病気をしたから。娘は小さい時脳梗塞をしたので、左にしびれが残った。どんな仕事が私にできるのだろうか?と悩んでいた。公立の学校には通えないと言われた。支援学校に通うようになった。娘も周りと違うと自覚していった。娘のために何ができるだろうか? 私が勉強するのが、娘と一緒に頑張っていると思ってくれるのではないだろうか? 雇用政策の中に人材育成論。障害を持った人の教育。人材育成論を学ぶことが娘のためになるのだと思った。
大学院に入った時、社会科学系の専門言葉が分からなかった。無作為調査とか、わからなかった。1年経った時に、言葉がわかるようになった。新しく入学した人に、教えていたら、いつのまにか教える人が増えてきた。それもあり母校である戸板女子短期大学で教える(講師)ようになった。
今は教壇のアイドル?
私のアイドル時代を知らない人たちなので。でも、「菊池さんは何のファンデーションを使っているか?」を聞いて来いと母親から聞かれることがある。
娘は自分で考えるようになった。私が言うと、「それはママの正解でしょう。私はまた違う」と言われる。
身体のことを誰に相談しても治らない。イヤホンしながら、音楽を聴いて、声を殺して泣いている姿を見て、この子は自分で頑張っているんだと、その姿を見続けてきた。それを見て、私も頑張ろうと思う。
私は今日は家事しません!と言うことがある。書き物とかやることがある。お母さん、なになに無い?とか尋ねてくるので。
娘は骨格が似ていて、ものまねすることがある。
カラオケは一人で行く。一人でお昼食べないといけない時とか。
2曲目、自分に頑張れ!という時に聴く曲「Fight Music」
娘は音楽とラジオが好き。悩み相談とか聞いていた。
せかわ(Sekai no Owari)の曲をよく聞いていて、それで自分も聞いてみ良い曲だと思って、元気になる。
その歳だと、恋をするのも大切ですよ。ときめくのも必要では?
私はときめいてはいないですが。私(サワコ)が言うのもなんですが。
これからも暴れてください(サワコ)。
感想;
アイドルで出て来られた時は、大学生の頃なので、どれだけ人気が出ていたかを実感しています。
そして、結婚、何でそんな人とと思いました。そして離婚。
娘の障害など、人生からの問いかけがあったと思います。
それに真摯に取り組んで来られたように思いました。
阿川さんのように、恋をして欲しいと思いました。
今大学で教鞭をとっている。桜大好き(スタジオが桜の背景)。
1968年生まれ。15歳「青春のいじわる」でデビュー。シングル連続7作オリコン1位。TBS「花のち晴」に出演している。
43歳で法政大学に。大人になって学び直したのは娘が病気になったから。
息子21歳(大学生)、娘16歳(高校生)になった。祖母と4人暮らし。
問題にぶつかると、オロオロしてしまう。そうすると、子どもたちから落ち着こう、落ち着こうねと言われる。
1曲目稲垣潤一「夏のクラクション」。デビュー曲歌う前に、この子にはどんな歌が合っているのかを確認するための曲。声質を確認するために歌った。マイクをどの位離すか等、知らないことばかり。
久しぶりに聞いたら泣いちゃいそう。大人の世界に入る不安があった。
実は考古学をやりたかった。古墳の授業をやっていた時に、遺跡発掘で歴史が変わるかもしれないとあったので、やってみたいと思った。
中学生の時にスカウトされた。親に反抗時期で、姉や兄に比べて帰宅時間が早くて、何で私だけ早いのか。そこで芸能界に入るとなると変わるかもと思った。
桃子は本名。Momocoの雑誌は? 自分のお名前が雑誌のタイトルになるオーデション。もう20回ほど落ちていた。受かると思っていなかった。
アイドルで売れまくって。荻野目洋子さんが年齢もデビューも同じ。
2つ年上は早見優さんとか大勢いた。
新人でランキング1位になるのが怖かった。それに一喜一憂している大人も怖かった。
父が新聞を離さない人で隅から隅まで読んでいた。父から社説を読めと言われていた。なので、幼いころから新聞は読んでいた。興味ないけど読んでいた。
母も仕事をしていたので、大人になっても働くものだと思っていた。母は子供二人産んでからまた仕事を始めた。
大学に通い始めたのは、娘が病気をしたから。娘は小さい時脳梗塞をしたので、左にしびれが残った。どんな仕事が私にできるのだろうか?と悩んでいた。公立の学校には通えないと言われた。支援学校に通うようになった。娘も周りと違うと自覚していった。娘のために何ができるだろうか? 私が勉強するのが、娘と一緒に頑張っていると思ってくれるのではないだろうか? 雇用政策の中に人材育成論。障害を持った人の教育。人材育成論を学ぶことが娘のためになるのだと思った。
大学院に入った時、社会科学系の専門言葉が分からなかった。無作為調査とか、わからなかった。1年経った時に、言葉がわかるようになった。新しく入学した人に、教えていたら、いつのまにか教える人が増えてきた。それもあり母校である戸板女子短期大学で教える(講師)ようになった。
今は教壇のアイドル?
私のアイドル時代を知らない人たちなので。でも、「菊池さんは何のファンデーションを使っているか?」を聞いて来いと母親から聞かれることがある。
娘は自分で考えるようになった。私が言うと、「それはママの正解でしょう。私はまた違う」と言われる。
身体のことを誰に相談しても治らない。イヤホンしながら、音楽を聴いて、声を殺して泣いている姿を見て、この子は自分で頑張っているんだと、その姿を見続けてきた。それを見て、私も頑張ろうと思う。
私は今日は家事しません!と言うことがある。書き物とかやることがある。お母さん、なになに無い?とか尋ねてくるので。
娘は骨格が似ていて、ものまねすることがある。
カラオケは一人で行く。一人でお昼食べないといけない時とか。
2曲目、自分に頑張れ!という時に聴く曲「Fight Music」
娘は音楽とラジオが好き。悩み相談とか聞いていた。
せかわ(Sekai no Owari)の曲をよく聞いていて、それで自分も聞いてみ良い曲だと思って、元気になる。
その歳だと、恋をするのも大切ですよ。ときめくのも必要では?
私はときめいてはいないですが。私(サワコ)が言うのもなんですが。
これからも暴れてください(サワコ)。
感想;
アイドルで出て来られた時は、大学生の頃なので、どれだけ人気が出ていたかを実感しています。
そして、結婚、何でそんな人とと思いました。そして離婚。
娘の障害など、人生からの問いかけがあったと思います。
それに真摯に取り組んで来られたように思いました。
阿川さんのように、恋をして欲しいと思いました。