女優。休日は乗馬。12年続いている。馬術大会に出場して入賞も。馬の担当者から、乗せられないと言われて悔しくて。
今年60歳。よく生きてきたなと思う。高校1年生の時に銀幕デビュー。「青春の殺人者」 演技力は開花し10代で数々の賞を受賞。10代から戦い続けてきた女優人生をサワコに語る。
娘さんがNHKの朝ドラ半分 青い」に。次女、石橋静河さん。ブルーリボン新人賞をすでに貰っている。母親が貰ったのを貰った。両親が俳優だといろいろ言われているかと。本人が努力していれば言われなくなる。
1曲目、ビー・シーズ「小さな恋のメロディ」マークレスターに憧れた。あの中に行きたいと思った。それが女優になりたいと思ったきっかけ。
聞いて当時を思いだしました。映画自体が好きになった。東宝がマークレスターを呼んで映画を作ると知ったので、「会いたい」と思って応募した。最終審査で落ちた。父は印刷の仕事をしていた。クラシックバレーを習っていた。少女漫画を読んでやりたいと思ってやりだした。兄2人いるので。家の中で一番我がままだった。
15歳でデビューした。あの頃は早いルートがあった。歌手でデビューする予定があった。「原田美枝子でーす」と明るく言えないと行けなかった。桜田淳子さんとか山口百恵さんが当時いた。
その時に映画の話があった。現場は汗と土の匂いがしていた。大人が一生懸命にやっているので感動した。大人の中に放り込まれた子ども。どなったかもしれない。リハーサルしているのに、周りで寝ている人がいると「ちょっと」と怒っていた。自分は正しいと思っていた。そのことは今も正しいと思うけど、言い方があったと思う。戦いながら進んでいったと思う。戦いながら武装していったと思う。
役者稼業は面白くなった。面白い監督に会う機会が増えていった。(二人で原田さんの映画を見て)熱演ですね(サワコ)。16歳。山田洋二監督、深作欣二監督。先輩に怒られた。怒られるのには慣れてなかった。自分の考えていることは映画にはでないと思っていた。日々どう生きて、どう人と接するか、ごはんを食べるか、生き方が映画にでると怒られて気付いた。
そんな時、黒沢監督が「乱」でヒロインを探していると聞いて、オーディションを受けた。真剣勝負した。すべてを捧げようと思った。「7人のサムライ」「クモの巣城」を何度も見た。山田五十鈴さんを越えようと思った。できた時に「なんだ」と思った。山田五十鈴さんを超えられなかった。黒沢監督の緊張感。皆が120%で働いていた。それを監督が「ちがう!」という。良かったら、立ち上がって「すてきでした」と言ってくれる。やっていて良かったと思った。
松田優作さんとよく一緒にいて、今でも会いたい。怖かった。一番相手のダメなところを突いてくる。愛情からだった。生きている間はそれに気づかなかった。会いたいけど怖かった。今も心に響く言葉は、長男が生まれたとき、優作さんが「殺すなよ」と言われた。生きているのを殺すな。その子のもっているものを殺すなとのメッセージだった。松田優作さんが亡くなって、松田優作さんがやっていた“座禅”をするようになった。松田優作さんが変わった。家でもどこでも座禅をした。チャンネルを仏様にする。仏様を思うことで、天窓があくような気がする。腹が立つ相手も、宇宙の一部。それから怒らなくなった。時に「そういうやり方ではあなたの行きたいところに到達できないよ」とは言う。
2曲目 エド・シーラン「ナンシー・マリガン」 なんか元気になる。仕事に行くときとか帰りに。
舞台「誤解」。演出家が20年前に私の映画を見て、衝撃を受けたと。それをやろうと。自分が投げたものを投げかけてくれたんだと思った。
感想;
演技が上手い。突っ張る女優のイメージを持っていました。
突っ張っていたのは、一生懸命だったからでした。
近寄りがたい監督に自分からその監督の下で演技したいと思ってやって来られました。
楽な道ではなく、敢えて過酷な道を選んでこられたようです。