・ベクションは無意識
自分が動いていないのに相手が動くと自分が動いているように感じる錯覚をベクション(vection)という。
・カクテルパーティ問題とは?ザワザワガヤガヤカチャカチャしているカクテルパーティー会場で相手の声に耳を傾けて会話ができる現象。
実は現在の機械あるいはコンピューターには、いくつも音がある環境でそれぞれを十分に分離することがまだできません。この事実は、聴覚系が行っている情報処理がいかに困難なものであるかを端的に示しています。
・腹話術効果
腹話術の人形の「声」は人形の口元から発せられているのではないにもかかわらず不自然に聞こえないことになぞらえて腹話術効果と呼ばれています。
・ダブルフラッシュ効果
物理的には点滅していない点光が、同時に提示されたピッピッというような複数のパルスによって、点滅しているように見えるというものです。
・ベイズの定理
ある物体が世の中に存在する確率(事前確率)と、その物体ならこのように網膜に像を映す確率(条件付き確率)を掛け算したものと、このように見えているなら物体の形がこうであるという確率(事後確率)とが比例関係にあることを言います。
・残像は実際には網膜のある部分が機能低下しているために生じているだけなのに、それを外の世界のどこに載せる(重ねる)かによて、異なる大きさに知覚されるのです。この現象は、残像の大きさが目から投射面までの距離に比例するというエンメルトの法則にしたがうことを示しています。
・エクスポージャーという治療法
望ましくない恐怖反応を引き起こしている恐怖刺激に恐怖が十分点滅するまで患者さんを曝す治療的手続きで、行動療法あるいは認知行動療法と呼ばれる心理療法の主要な治療技法の一つです。エクスポージャーは特定の恐怖症、社会恐怖、強迫性障害、広場恐怖を伴うパニック障害など、さまざまな不安障害の治療に効果があることが認められています。
・エモーショナルプロセッシング理論
恐怖反応が低減される仕組みを説明する概念。恐怖に耐えながらエクスポージャーを続けることによって、たとえば、高いところは恐くない、ビルの屋上から見おろしても下には落ちない、という新しい考えを採用することで恐怖構造が変化し、恐怖症が治療されるというわけです。
・立体映像は疲れやすい原因としては、まず両眼の幅輳点とピント位置が合っていないことが考えられます。
・心理学者サーストンは、知能は独立した7つの基本因子からなるとして、「空間認識力」、「知覚の速さ」、「語彙・語の流暢性」、「計算力」、「記憶力」、「推理力」を挙げています。
・究極にリアルなバーチャルリアリティというのは、現実と区別がつかない、つまりその存在が知られることがないのです。
・ミクストリアリティ(mixed reality)
現実社会にバーチャルな世界を重ね描きするもので、バーチャルな存在がよくできていると、それはもはや現実の存在として認識される危険性を持っています。
・よく考えてみると、私たちが経験しているこの光景や音楽などは、すべて脳によって作られたものです。物理的な光にはもともと「色」はなく、音波には「音」はありません。圧力には「痛み」は存在しないし、「甘さ」は粗糖の物理的属性ではありません。私たちは普通自分の感覚を疑わないし、この活き活きした主観的感覚こそ現実であるとさえ考えます。これらの感覚体験が物理的世界(真にリアルな世界)を忠実に捉えたものではなく、脳によって作られたものであることは、多くの錯覚現象によってあばかれ、長年の心理物理学的、大脳生理学的研究によってそのメカニズムが明らかにされてきました。
私たちが知っている日常の世界が究極のバーチャルリアリティであるといえないこともありません。
・現在急ピッチで実用化に向けて開発が進んでいる、人工網膜というものがあります。網膜上の電気信号を脳に送ることができると視覚体験を得ることができます。
・聴覚に関しては既に人工内耳というものが実用化されており、世界中で聴力を失った7万人の方が再び聴覚体験を得ているということです。
感想;
見えている世界が事実だと思っていましたが、それがすでにバーチャルなんだということを理解しました。
風景、音をどのように感知するかの仕組みの足らない点を突かれると、誤解して認識するようです。
風景には色がついて見えます。
それは色がついているのではなく、人が色を感じているのです。
蝙蝠は超音波を感じます。
犬は人よりもはるかな匂いを検知します。
仏教用語に”唯識”があります。
見えている世界は、自分というフィルターがかかって見ています。
フィルターが歪んでいると、歪んだように捉えます。
身体と心の声は自分の身体の機能と心を通しているなら、認知を工夫することで自分の置かれた環境の認識を変えることができることになります。
見えていること、聞こえていることを疑う気持ちも持ちながら、自分を客観視することができると良いのかもしれません。
自分が動いていないのに相手が動くと自分が動いているように感じる錯覚をベクション(vection)という。
・カクテルパーティ問題とは?ザワザワガヤガヤカチャカチャしているカクテルパーティー会場で相手の声に耳を傾けて会話ができる現象。
実は現在の機械あるいはコンピューターには、いくつも音がある環境でそれぞれを十分に分離することがまだできません。この事実は、聴覚系が行っている情報処理がいかに困難なものであるかを端的に示しています。
・腹話術効果
腹話術の人形の「声」は人形の口元から発せられているのではないにもかかわらず不自然に聞こえないことになぞらえて腹話術効果と呼ばれています。
・ダブルフラッシュ効果
物理的には点滅していない点光が、同時に提示されたピッピッというような複数のパルスによって、点滅しているように見えるというものです。
・ベイズの定理
ある物体が世の中に存在する確率(事前確率)と、その物体ならこのように網膜に像を映す確率(条件付き確率)を掛け算したものと、このように見えているなら物体の形がこうであるという確率(事後確率)とが比例関係にあることを言います。
・残像は実際には網膜のある部分が機能低下しているために生じているだけなのに、それを外の世界のどこに載せる(重ねる)かによて、異なる大きさに知覚されるのです。この現象は、残像の大きさが目から投射面までの距離に比例するというエンメルトの法則にしたがうことを示しています。
・エクスポージャーという治療法
望ましくない恐怖反応を引き起こしている恐怖刺激に恐怖が十分点滅するまで患者さんを曝す治療的手続きで、行動療法あるいは認知行動療法と呼ばれる心理療法の主要な治療技法の一つです。エクスポージャーは特定の恐怖症、社会恐怖、強迫性障害、広場恐怖を伴うパニック障害など、さまざまな不安障害の治療に効果があることが認められています。
・エモーショナルプロセッシング理論
恐怖反応が低減される仕組みを説明する概念。恐怖に耐えながらエクスポージャーを続けることによって、たとえば、高いところは恐くない、ビルの屋上から見おろしても下には落ちない、という新しい考えを採用することで恐怖構造が変化し、恐怖症が治療されるというわけです。
・立体映像は疲れやすい原因としては、まず両眼の幅輳点とピント位置が合っていないことが考えられます。
・心理学者サーストンは、知能は独立した7つの基本因子からなるとして、「空間認識力」、「知覚の速さ」、「語彙・語の流暢性」、「計算力」、「記憶力」、「推理力」を挙げています。
・究極にリアルなバーチャルリアリティというのは、現実と区別がつかない、つまりその存在が知られることがないのです。
・ミクストリアリティ(mixed reality)
現実社会にバーチャルな世界を重ね描きするもので、バーチャルな存在がよくできていると、それはもはや現実の存在として認識される危険性を持っています。
・よく考えてみると、私たちが経験しているこの光景や音楽などは、すべて脳によって作られたものです。物理的な光にはもともと「色」はなく、音波には「音」はありません。圧力には「痛み」は存在しないし、「甘さ」は粗糖の物理的属性ではありません。私たちは普通自分の感覚を疑わないし、この活き活きした主観的感覚こそ現実であるとさえ考えます。これらの感覚体験が物理的世界(真にリアルな世界)を忠実に捉えたものではなく、脳によって作られたものであることは、多くの錯覚現象によってあばかれ、長年の心理物理学的、大脳生理学的研究によってそのメカニズムが明らかにされてきました。
私たちが知っている日常の世界が究極のバーチャルリアリティであるといえないこともありません。
・現在急ピッチで実用化に向けて開発が進んでいる、人工網膜というものがあります。網膜上の電気信号を脳に送ることができると視覚体験を得ることができます。
・聴覚に関しては既に人工内耳というものが実用化されており、世界中で聴力を失った7万人の方が再び聴覚体験を得ているということです。
感想;
見えている世界が事実だと思っていましたが、それがすでにバーチャルなんだということを理解しました。
風景、音をどのように感知するかの仕組みの足らない点を突かれると、誤解して認識するようです。
風景には色がついて見えます。
それは色がついているのではなく、人が色を感じているのです。
蝙蝠は超音波を感じます。
犬は人よりもはるかな匂いを検知します。
仏教用語に”唯識”があります。
見えている世界は、自分というフィルターがかかって見ています。
フィルターが歪んでいると、歪んだように捉えます。
身体と心の声は自分の身体の機能と心を通しているなら、認知を工夫することで自分の置かれた環境の認識を変えることができることになります。
見えていること、聞こえていることを疑う気持ちも持ちながら、自分を客観視することができると良いのかもしれません。