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T・スウィフト、民主党支持を表明 中間選挙前に投票呼び掛け ”勇気ある行動 社会をよくするために動く!”

2018-10-09 08:58:08 | 社会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181009-00000002-jij_afp-int 10/9(火)【翻訳編集】 AFPBB News
【AFP=時事】米人気ポップ歌手のテイラー・スウィフト(Taylor Swift)さん(28)が、フォロワー数1億1200万人を誇るインスタグラム(Instagram)上で、来月行われる中間選挙を前に地元テネシー州の民主党候補らへの支持を表明するとともに、その対立候補となる共和党の現職下院議員マーシャ・ブラックバーン(Marsha Blackburn)氏に対する厳しい批判を展開した。

 政治的発言とはほぼ無縁とみなされてきたスウィフトさんは今回の長文投稿で、これまでは政治的な意見を公にすることに「消極的」だったものの、考えが変わったとつづった。

 スウィフトさんは「私はこれまでと同様今後もずっと、できるだけ女性候補に投票し続けたい、それでもマーシャ・ブラックバーン氏は支持できない。彼女の議会での投票記録にはがくぜんとし、恐怖を感じる」と非難。

 その理由として、「同氏は男女同一賃金に反対した。ドメスティックバイオレンス(DV)やストーカー行為、デートレイプからの女性の保護を目指す、女性に対する暴力防止法の再授権法案にも反対した」と指摘した。

 さらに「企業には、同性愛カップルへのサービスを拒否する権利があると同氏は信じている。同性愛カップルは結婚する権利を持つべきではないとも信じている」と、スウィフトさんは書いている。

「これらは私が抱いているテネシーの価値観ではない。私は上院ではフィル・ブレデセン(Phil Bredesen)氏に、下院ではジム・クーパー(Jim Cooper)氏に投票する」と支持を表明した。

 そして「私たちの多くは、あらゆる争点で100%賛成できる候補者や党を見つけることなど決してできないかもしれない。それでも投票はしなければならない」と語り、ファンらに対し有権者登録を促した。

感想
政治に発言し、批判が伴うと仕事を失くすとの不安、怖れから、発言を控えている人が多いです。
このような発言はとても勇気がいることです。
でも発言しなければ、おかしな社会になってしまうと思われたのでしょう。

杉田水脈代議員の発言を容認している自民党と公明党は同じ考え方(注意だけ)思われてしまいます。
社会を良くするのも悪くするのも、結局一人ひとりの発言と行動なのでしょう。

女性問題で首相を辞めさせられた人がいるかと思えば、国有財産をディスカウトしたり、お友だちの夢?の実現に協力した首相は引き続き首相の座で。
今、国民一人あたりの借金は830万円と言われています。
なのに1兆円になる軍事設備の購入。
研究予算は削減。
若者/女性支援は二の次。
国の将来を考えると、暗くなってしまいます。
将来の種もみを今食べているように思えてなりません。
将来が来た時、日本はどうしようもなくなっているかもしれません。
大幅な円安が来て、借金も返せなくなります。
すでの返せない状況なのかもしれませんが。

今手を打たないとその不安な将来は間もなくかもしれません。
それこそが日本の安全なんですが・・・。



「臨床心理学ノート」河合隼雄著 ”臨床心理学は人間を大切にすることから出発している”

2018-10-09 01:54:54 | 本の紹介
・もっと全体的状況を見渡すニュアンスをもつ言葉としての「見たて」という言葉が用いられるようになった。

・いかにクライエント中心とは言っても、心理療法を行なうということは、自分が関与することによって、何らかの意味ある結果が得られるだろうという「見たて」があってのことであるし、そこには、自分がコミットしてゆくという決意があるはずである。

・「見たて」は多くの要素をもっているが、心理的側面を考える前に、まず身体的な面や病理的な点について配慮しなくてはならない。治療者が医者ではなく臨床心理士のときは、特にこの点に留意しなくてはならない。

・見たては相互的であり、クライエントも治療者についての「見たて」をしているのを忘れてはならない。治療者が心理療法を続けるつもりでも、クライエントは自分の「見たて」に従って、来談を中止することが可能である。

・クライエントの周囲に心理療法の促進に役立つ人、および妨害的にはたらく人がいないか、という判断も「見たて」のなかにいれるべきである。

・臨床心理学は人間を大切にすることから出発している。そこでは人間が一人ひとり固有の存在であることを認めており、それを強く主張するときは、人間全般に関する「理論」をもつこと自体がナンセンスということになる。治療者もクライエントも一人として同じ人間はいないのである。

・人間を研究しようとする主体も人間である。という事実がある。したがって、完全な対象化ということは起こり得ない。このことを忘れて、臨床心理学を近代科学の理論と同じと考え、それを誰にでも適用しようとするのは誤りである。このことをわれわれはよく弁えていなくてはならない。

・ロジャースが、心理療法においては、治療者とクライエントの関係のあり方が大切であることを指摘した功績は、極めて大である。

・アメリカにおいては、その後の経過を観察していると、薬物のみの治療の場合はよくなっても、しばらくすると再発することが多いこと、および、薬物と心理療法を併用していると再発が少ないと思われた。心理療法を受けなかった者は、80%が抑うつ症が再発したのに対して、心理療法を受けたものの再発例は25%であった。

・中村雄二郎は、「近代科学の三つの原理、つまり<普遍性>と<論理性>と客観性>が無視し排除した<現実>の側面を捉えなおす原理として、ここに得られるのは、<コスモロジー>と<シンボリズム>と<パーフォーマンス>の三つである」と述べ、それは言いかえると、「<固有世界><事物の多義性><身体性をそなえた行為>の三つである」とする。これを体現しているのが、彼の言う「臨床の知」である。

・自我は自分自身をいかに意識するかという「自我意識」をもつのが特徴であるが、ヤスパーによって、①能動性、②単一性、③同一性、④外界と他人と区別されたものとしての自我の意識、の四つの標識によって、その在り方が確かめられる。

・トランスパーソナル ケン・ウィルパーの説

・心理テストを施行しながら、被験者に対してのフィードバックもしない、ということがかってはあった。テストをするだけで何のフィードバックもしないのは、人権無視を言われても仕方がないのではないだろうか。

・心理テストによってクライエントのことを先に知ろうとするよりも、クライエントの自分を知ろうとする探索の過程を、治療者も共にする形で行う方が、心理療法がすすめやすい、という考えに基づいている。

・心理療法をしていると、人間の成長には相当な努力や苦しみが伴うことがよくわかる。

・稀にアドバイスが効果をもつが、その前提として話を「聴く」ことがある。「聴く」姿勢によってつくられる人間関係が、アドバイスを有効にする基礎になる。アドバイスは、それを与える者と与えられる者との信頼関係を前提にしている。よく理解してもらったという体験が信頼関係へとつながるし、話をよく聴くことによってこそ、アドバイスが有効かどうかと判断もできてくる。

・アドバイスは少し圧力が強いと思うとき、「ひとりごと」のように治療者が話す、という方法もある。

・単にアドバイスをするというのではなく、それと関連する「お話」をするのも有効である。「物語る」ということによって、多くの効果が生じてくるからである。

・難しいのは、クライエントの怒りが、「限界を超えている」と感じられる場合である。このとき、逃げようとうすのが一番悪い。

・終結のための指標
 ・主訴の解決、悩みの種であったことが解決、解消する、症状が消失する。
 ・セラピストがクライエントの心理的課題と考えていたことが達成される。

・自殺したためその後会うことはないが、「関係」は続いている。自殺した人との「関係」を保持していると、広い意味では、内的スーパーバイザー的な役割をその人が担ってくれることもある。

・心理療法の専門性が「人間関係」にかかわるものだ、ということである。このことを忘れて、知識や技術の取得のみに走るときは、しばしば「悪しき専門家」となって、「心の問題に専門家は不要」と考える人たちの標的となるのみである。つまり、専門家不要論を唱える人たちは、臨床心理士、心理療法家、カウンセラーなどと名乗る人が、クライエントに対して、心理テストをしたり、「診断」を下したりして、裁断を下すのみで、何の役に立たないどころか、単なる「ラベル貼り」をしている、と批判する。ある面ではこれは「一理ある批判であり、このような「悪しき専門家」にならぬように注意しあくてはならない。したがって、専門家としてまず身につけねばならぬことは、クライエントを個人としてあくまで大切にし、クライエンの立場に立ってその生き方を共に探ろうとする姿勢である。このことを抜きにしては「心の専門家」とは言えない。次に専門家の態度として重要なことは、無意識領域に対して開かれた態度を身につけることである。クライエントの状況に応じて、自分の意識水準をどのあたりに保つのか。

感想
河合隼雄氏の臨床心理療法の考えをまとめられた一冊のように思いました。
なによりもその人を見ようとの姿勢を感じました。