・アドラーの知恵は、他人とどう付き合ったらいいのか、という悩みに明快な指針を示してくれる。①自分、②友人、③職場、④恋愛、⑤夫婦・パートナー、⑥親子の具体的な「困った」事例に基づいて解説。
・悩んでも始まらない
悩んでも問題は何も解決しません。それはたとえてみれば、明らかに約束に遅れることがわかっているのに、相手にそのことを連絡できない状況にある時に似ています。しかし、電車に乗っている時に、待っていてくれているだろうか、怒ってはいないだろうかとどれほど悩んでみても、一秒たりとも早く目的地に到着するわけではありません。それなら電車に乗っている間は、外の景色を見て心楽しく過ごしていいはずである。
・なぜ悩むのだろう
ゲーテが、人間は努力している限り悩むものだといっています。真剣に生きる人であれば、苦しみを避けることはできないといっていいくらいです。
ところが、この苦しみが深刻さを帯びるようになると話は違ってきます。悩み苦しむことがもはや人間として成長するための糧にはならず、身動きがとれなくなり、一歩も前に向かっていけなくなってしまいます。こんな時、アドラーならきっというでしょう。苦しいから前に進めないのではなく、前に進まないために悩むのだ、と。前に進まないでおこうという決心が先にあって、悩むのはその決心がやむをえないと思えるためであるとアドラーは考えるのです。
・他の人の課題にいわば土足で踏み込むようなことをすれば、関係を悪くするということです。勉強しない子どもに「勉強しなさい」というのがその例です。勉強する、しないは子どもの課題ですから、子どもが勉強しなくても親は何もできることがないのです。親は子どもの課題については悩む必要がなくなります。
・変われるのは自分だけ
他の人を変えることは基本的にできません。相手は変えられますが、自分は変えることができます。自分が変わればそれに応じて、相手も多かれ少なかれ変わらざるをえません。
・性格は自分で決めたと考えるアドラー
性格が暗いので引っ込み思案なのではありませんし、他の人が離れていくのでもありません。他の人とできれば関わりたくないので、人が離れていくことを自分の性格のたmだと思っているように見えるのです。むしろ、性格を変えるというよりは、自分の性格に違う光を当ててみるのです。「暗い」という性格についていえば、自分は暗いのではなく、「やさしい」のだと見ることができます。
・ユダヤ教の教え
「自分が自分のために生きていないとすれば、誰が自分のために生きてくれるのだろう。」自分の個性を抑え、他の人に会わせて生きるのではなく、自分の人生を生きればいいのです。
・人の評価を気にすることの問題点
人からのちょっとした言葉で容易に自信をなくしてしまうことです。
・ラテン語の諺
「すぐ与える人は二度与える」
・「怒りは人と人とを引き離す感情である」アドラーの言葉
・親が子どもに病気という口実を必要としないでいいように子どもにいっておけばいいのです。たとえb普段から、学校を休む時は病気にならなくてもいいからといっておくわけです。学校に行く、行かないのは子どもが決めることだと考えているからです。
・非常勤のある精神科医が、ある日、師長さんから、先生からも喫煙を止めるようにいってください、といわれました。再三の師長の説得に負け、ある夜、若い人たちを前に話をしました。翌日から、誰一人たばこを吸わなくなりました。いちばん驚いたのは、師長さんでした。
「先生、いったいどんな話をしたのですか?」
「それはいうわけにはいけません」
彼は決して師長さんにその夜のことを話そうとはしませんでした。
「いうわけにはいきません。いうとあなた怒るから」
「絶対、怒らないから」
とうとう打ち明けました。
「あのね、こういったんです。師長さんの前でたばこ吸わないでね」
医師のこの言葉を聞いた若い人たちは、いいました。
「わかった。先生にも立場があるやろう。強力しよう」
・楽観主義で行きたいのです。現実をありのまま見ます。それはまた、ありもしない現実を見ないということです。大丈夫ではないけれど、今ある現実を直視し、そして、できることをするということを楽観主義とういうのです。楽天主義者は大丈夫、何とかなるさと結局、何もしないのです。悲観主義者は諦めて結局、何もしません。
・その時はわからなくても、つらい経験が後々意味があることがわかってくることがあります。
・相手が正論をいうと腹が立つことがあります。子どもは自分で自分の行動によって起こることの責任を引き受けるしかないのです。
・自分のことを悪くいわれたからといって悲観することはありません。そんな人は世の中にはどこにでもいるものです。まわりには、私たちについて正しく評価しない人、きちんと自分のことを見てくれない人はたくさんいます。何をしても、自分について悪い評価をする人、歪んだ見方をする人は、職場でも一人や二人はいます。
・自分の信念に従って自由に生きているからこそ、自分のことを悪くいう人がいるのです。だから、自分のことを嫌う人がいるということは、自分が自由に生きているということの証であり、自由に生きているということの代償ですから、それくらいのことはしかたありません。
・中性の行動に対しての3つの方法で対処する
1)自然の結末に委ねることです。ただし、結末が致命的な時にはできません。
2)社会的結末に委ねることです。ただし、結末をルールに委ねることができるためには、ルールが適切であり、適切に運用されていることが条件です。
3)実際に結末を経験する前に、話し合いによって結末を予測する援助をすることです。例えば、勉強しない子どもに「このままだとどうなると思う?」というようなことです。この方法は、小学生以前の子どもには危険です。
・明快な生きる指針を伝える。
「今ここに(right here and right now)生きよう。するべきことやしたいことがあっても、できることから始めよう」
感想;
今どうするか。
それが適切だと未来も明るく開けていくのでしょう。
過去を悔い、未来を心配し、そして今何もしない。
これをついやってしまいがちになります。
お釈迦さんも
「過去も未来もない。あるのは今だけだ」
と言っています。
今を大切にすることなのでしょう。
今、何をするのが良いかを選択して実行することなのでしょう。
実行しないのは、自分に問題があるのではなく、実行しないを選択してその理由を付けていると考えるのがアドラー心理学のようです。