http://www.saitama-np.co.jp/news/2018/10/13/03_.html 埼玉新聞
いじめを受けた被害生徒の母親は「これ以上子どもを傷つけないで」と訴えた=12日、川口市
川口市立中学3年の男子生徒(14)が入学当初からのいじめを苦に3回にわたり自殺を図り一命を取り留めていた問題で、生徒の母親(42)が12日、川口市内で記者会見し「息子は『いじめられている』と、助けを求める手紙を学校に出したが、当時の校長らはこのSOSを受け止めてくれなかった」と訴えた。第三者による調査委員会が発足したのは、最初の自殺未遂から1年2カ月後で、学校や市教委の初期の対応に問題があったことが浮き彫りになった。
母親によると、男子生徒は2016年4月に入学、間もなくサッカー部内で、同級生や先輩からの言葉のいじめに苦しみ、学校に「いじめられている」と助けを求める手紙を出したが、返事はなく、いじめはやまなかった。同年9月中旬から10月下旬に、男子生徒は首つり自殺を図り2回とも意識不明となった。
1回目の自殺未遂の直後に生徒宅を訪れた当時の校長は、生徒の容態も聞かずに「報道には何も話さないように」と言った。母親が「息子のSOSの手紙はどうなっていますか」と聞くと、校長は「あれはSOSですか?」と聞き返したという。
同年11月になって、教頭から「調べたが、いじめの実態はなかった」と電話で報告があった。母親は「子どもの命より、自分の保身に走っているように感じた」と言う。
その後、生徒は17年4月、自宅近くのマンション3階から飛び降り、頭を打ち、足の骨を折るなど重傷を負い入院した。
市教委が「重大事態」として第三者調査委員会を設置したのは17年11月2日。同月27日の第3回委員会で調査は中断し、再開したのは今年8月だった。母親は「重大事態ということや、調査委員会があることなど調査の経過は一切説明がない」と訴えた。
生徒は加害者からの謝罪があれば「解決」と受け止め、これまで加害者側の生徒や保護者と個別の話し合いが行われた。これまでに加害生徒のうち7人が謝罪した。
話し合いでは加害生徒の保護者が「大けがをしたことを他人のせいにするな」と暴言を浴びせたこともあったが、立ち会った教諭らから抗議の声が出なかったことも、被害生徒らの心を傷つけている。
今年7月、男子生徒が「いじめ問題はどうなっているのか」と質問したのに対し、担任教諭は「いじめは解決できない」と話したという。男子生徒は学校や教諭への不信感を強めている。
調査委の立ち上げが1年2カ月も遅れたことに関し、市教委の岩田直代指導課長は「当時、学校から『学校で調査している。親が問題を大きくしないでほしいという意向だ』と報告があり、学校の調査に任せた。調査委が中断したのは、被害生徒からの事情聴取ができないとみたからで、できると判断したので再開した。経過は担当者が(被害生徒側に)説明したと言っている」と話した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201803/CK2018031702000145.html 東京新聞
埼玉県川口市の市立戸塚中学校で三年男子生徒(15)が長期間、不登校となり、市教育委員会は十六日、いじめが不登校の原因と認める第三者調査委員会の報告書を公表した。生徒は入学当初からいじめを受け、自傷行為もしたが、学校や市教委は適切な措置を取らず、文部科学省や県教委から再三指導されていた。いじめ防止対策推進法施行から四年以上が経過したが、教育現場の対応が進んでいない実態が浮かび上がった。 (柏崎智子、杉本慶一)
感想;
川口市立戸塚中学校の校長は子どものことよりも、自分の保身を第一優先だったのでしょう。
1回目の自殺未遂の直後に生徒宅を訪れた当時の校長は、生徒の容態も聞かずに「報道には何も話さないように」
当時の校長とのことは、その校長は転勤になったのか辞められたのか?
埼玉新聞も学校名を出していません。
一方、東京新聞は出しています。
この姿勢の違いは何なのでしょう?
東京新聞より
「校長は、生徒が三年生に上がる時に見守りや学習支援などの対策を文書にして約束したが、学年主任や担任教諭などには見せず、支援はほとんど行っていなかった。」
校長名も公表すべきでしょう。
自分の行動にもっと責任を持って貰いたいものです。
公表することは、他の校長にも責任感の自覚が高まると思います。
それにしても、これだけいじめによる自殺があり、学校の対応のまずさがいわれているのに、学びはないのでしょうか?
自分がその力がないと思えば、他の先生方の力を借りるとか、市の教育委員会に相談するとか。
ただ、このケースでも教育委員会にも問題があったようです。
どうすればよいか、校長ともなった人がわからないはずはないです。
なのにおかしな行動をしてしまわれるのは、“子どものために”の考えでなく、”自分のために”の考えが優先しているからなのでしょう。
稲盛和夫著「生き方」に
結果=考え方 × 熱意 × 能力
一番は考え方、二番は熱意、能力は考え方と熱意があれば伴うと書かれています。
まさに、考え方に問題があったのでしょう。
これでは教育者ではないです。
何故学校の先生になろうと思われたのでしょう?
子どものためにとの思いがあったと思いたいです。
いじめを受けた被害生徒の母親は「これ以上子どもを傷つけないで」と訴えた=12日、川口市
川口市立中学3年の男子生徒(14)が入学当初からのいじめを苦に3回にわたり自殺を図り一命を取り留めていた問題で、生徒の母親(42)が12日、川口市内で記者会見し「息子は『いじめられている』と、助けを求める手紙を学校に出したが、当時の校長らはこのSOSを受け止めてくれなかった」と訴えた。第三者による調査委員会が発足したのは、最初の自殺未遂から1年2カ月後で、学校や市教委の初期の対応に問題があったことが浮き彫りになった。
母親によると、男子生徒は2016年4月に入学、間もなくサッカー部内で、同級生や先輩からの言葉のいじめに苦しみ、学校に「いじめられている」と助けを求める手紙を出したが、返事はなく、いじめはやまなかった。同年9月中旬から10月下旬に、男子生徒は首つり自殺を図り2回とも意識不明となった。
1回目の自殺未遂の直後に生徒宅を訪れた当時の校長は、生徒の容態も聞かずに「報道には何も話さないように」と言った。母親が「息子のSOSの手紙はどうなっていますか」と聞くと、校長は「あれはSOSですか?」と聞き返したという。
同年11月になって、教頭から「調べたが、いじめの実態はなかった」と電話で報告があった。母親は「子どもの命より、自分の保身に走っているように感じた」と言う。
その後、生徒は17年4月、自宅近くのマンション3階から飛び降り、頭を打ち、足の骨を折るなど重傷を負い入院した。
市教委が「重大事態」として第三者調査委員会を設置したのは17年11月2日。同月27日の第3回委員会で調査は中断し、再開したのは今年8月だった。母親は「重大事態ということや、調査委員会があることなど調査の経過は一切説明がない」と訴えた。
生徒は加害者からの謝罪があれば「解決」と受け止め、これまで加害者側の生徒や保護者と個別の話し合いが行われた。これまでに加害生徒のうち7人が謝罪した。
話し合いでは加害生徒の保護者が「大けがをしたことを他人のせいにするな」と暴言を浴びせたこともあったが、立ち会った教諭らから抗議の声が出なかったことも、被害生徒らの心を傷つけている。
今年7月、男子生徒が「いじめ問題はどうなっているのか」と質問したのに対し、担任教諭は「いじめは解決できない」と話したという。男子生徒は学校や教諭への不信感を強めている。
調査委の立ち上げが1年2カ月も遅れたことに関し、市教委の岩田直代指導課長は「当時、学校から『学校で調査している。親が問題を大きくしないでほしいという意向だ』と報告があり、学校の調査に任せた。調査委が中断したのは、被害生徒からの事情聴取ができないとみたからで、できると判断したので再開した。経過は担当者が(被害生徒側に)説明したと言っている」と話した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201803/CK2018031702000145.html 東京新聞
埼玉県川口市の市立戸塚中学校で三年男子生徒(15)が長期間、不登校となり、市教育委員会は十六日、いじめが不登校の原因と認める第三者調査委員会の報告書を公表した。生徒は入学当初からいじめを受け、自傷行為もしたが、学校や市教委は適切な措置を取らず、文部科学省や県教委から再三指導されていた。いじめ防止対策推進法施行から四年以上が経過したが、教育現場の対応が進んでいない実態が浮かび上がった。 (柏崎智子、杉本慶一)
感想;
川口市立戸塚中学校の校長は子どものことよりも、自分の保身を第一優先だったのでしょう。
1回目の自殺未遂の直後に生徒宅を訪れた当時の校長は、生徒の容態も聞かずに「報道には何も話さないように」
当時の校長とのことは、その校長は転勤になったのか辞められたのか?
埼玉新聞も学校名を出していません。
一方、東京新聞は出しています。
この姿勢の違いは何なのでしょう?
東京新聞より
「校長は、生徒が三年生に上がる時に見守りや学習支援などの対策を文書にして約束したが、学年主任や担任教諭などには見せず、支援はほとんど行っていなかった。」
校長名も公表すべきでしょう。
自分の行動にもっと責任を持って貰いたいものです。
公表することは、他の校長にも責任感の自覚が高まると思います。
それにしても、これだけいじめによる自殺があり、学校の対応のまずさがいわれているのに、学びはないのでしょうか?
自分がその力がないと思えば、他の先生方の力を借りるとか、市の教育委員会に相談するとか。
ただ、このケースでも教育委員会にも問題があったようです。
どうすればよいか、校長ともなった人がわからないはずはないです。
なのにおかしな行動をしてしまわれるのは、“子どものために”の考えでなく、”自分のために”の考えが優先しているからなのでしょう。
稲盛和夫著「生き方」に
結果=考え方 × 熱意 × 能力
一番は考え方、二番は熱意、能力は考え方と熱意があれば伴うと書かれています。
まさに、考え方に問題があったのでしょう。
これでは教育者ではないです。
何故学校の先生になろうと思われたのでしょう?
子どものためにとの思いがあったと思いたいです。