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甘利幹事長まさかの落選危機で錯乱状態!「私がいなくなれば大変なことになる」と絶叫演説 ”政治が少しクリーンになります!”

2021-10-30 19:20:38 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/e33d0639bd70d8d1566ebde65c629b350b61601f 10/30(土) 14:40 日刊ゲンダイDIGITAL

 まさかの落選危機に周章狼狽のようだ。

 同志の応援に飛び回る立場のはずが、選挙最終盤で神奈川13区に引きこもってしまった甘利幹事長。29日も選挙区内を回って支援を訴えた。

自民長老候補21人が“討ち死に”危機! 大臣経験者3人は負ければ「無職」に転落確定

■UR口利き疑惑に恨み節

 白ジャンパーに名前入りのタスキをかけ、ビールケースに乗って始まった演説は、URをめぐる“口利きワイロ疑惑”について、「卑劣な誹謗中傷戦。これはもう犯罪です!」と泣き言から始まった。「後ろ指をさされるようなことは何ひとつしていない」「私が知らないところで起こった」というのだ。誹謗中傷は「絶対に許すことはできない」とヒステリックに叫んでいたが、足を止める人はいなかった。

 経済安全保障に話が及ぶと「私は未来を見通せる」と言いだし、「その私がいなくなれば大変なことになる」「未来は変わっちゃう」と訴えた。最後は「私の手の中には日本の未来が入っている」「私の妨害をしたら、これは国家の行く末を妨害しているのと同じことなのであります!」と絶叫。ほとんど錯乱状態だ。

 甘利幹事長がここまで焦っているのは、立憲の太栄志候補の猛追に加え、公明党との関係が良くないため思うように票固めができないからだ。

「“政治とカネ”の問題にシビアな学会女性部に敬遠されている。地元では、日頃の不遜な態度も不評を買っています。弱り切った甘利幹事長は、公明とのパイプが太い菅前首相に『なんとかしてもらえないか』と泣きついたようです。プライドの高い甘利さんが“政敵”に頭を下げなければならないほど追いつめられているのです」(自民党関係者)

■「洞察力ある重厚な政治家」

 演説後のぶら下がり取材で、選挙終盤に突然、ポスターを変えた理由について聞かれると、「日本を代表する政治家としてのコンセプト」「洞察力のある重厚な政治家というイメージ」で当初はモノクロにしていたが、「ニコニコ明るい甘利さん、我々の甘利さん」という地元の声があってカラーポスターに直したと説明していた。

 自民党幹事長が落選なんてことになったら大変なことだ。甘利幹事長は自分の未来を見通せているのか。

感想
甘利明幹事長「金銭授受」説明に疑問「大臣もこの案件は知っている」秘書“口利き”音声
https://news.yahoo.co.jp/articles/30e1fbc9dad34742e14a4fa926dd855c6b912178

甘利氏はその後、2013年11月14日に大臣室で現金50万円を、総務担当者から受け取っている。

よく何も知らなかったと言えるものです。
神奈川の該当する選挙区民の品性が問われる選挙だと思います。
不正を認めるのか認めないのか。
検察が不起訴ですが、選挙民も不起訴を認めるのかどうかが問われています。

落選になると、少しはクリーンな政治が基本だと知ることになるのではないでしょうか?

創価学会の二代目会長戸田城聖氏だったら、創価学会員が不正疑惑の甘利氏を応援していることを知ったらどう思われるでしょう。
戸田城聖氏は立派な方でした。
『人間革命』を読みましたが、国民の幸せのために一生を捧げられました。
その教えは会員にも引き継がれていると信じたいです。

「カチンの森 ポーランド指導階級の抹殺」ヴィクトル・ザスラフスキー著 ”過去(起きたこと)を語ることの重要性”

2021-10-30 17:51:51 | 本の紹介
・1940年四月と五月に、25,000人以上のポーランド市民が、ソ連内務人民委員部(NKVD、通称秘密警察)によって銃殺された。その大部分は陸軍将校だったが、他に知識人、大学教授、学校教師、実業家、幹部公務員、地主、警察官、国境警備隊員、神父たちがいた
犠牲者たちは、ソ連が独ソ不可侵条約にもとづいてソ連に分割された東部ポーランドを占領したさいに、捕らわれた。この犯罪はカチンの虐殺と呼ばれている。カチンはスモレンスク近くの場所の名前で、大量のポーランド人捕虜の銃殺死体でうまった墓穴が発見されたからである。

・スターリンは、カチン虐殺事件を揉み消すために、西側の政治家や歴史家に幇助されて、現代史上空前の真実の偽造、隠蔽、抹消の大宣伝工作を展開した。ソ連は虐殺の罪をドイツ国防軍にかぶせようとしたのだ。

・カチン事件の調査手続きの中止は、ゴルバチョフ、エリツィン政権がはじめた民主化と歴史的事実を自由に扱う方針からロシア政治、つまりプーチン政権が距離をおくことの象徴となった。

・ソヴィエト連邦史には、階級としての富農(クラーク)の抹殺、1937年-39年の大粛清期におこなわれた44,000人の高級将校をふくむ100万人以上の銃殺、第二次大戦末期の国内住民強制移住などの事件があった。カチンはこのような多くのスターリン主義犯罪のひとつとして、その残虐性は他と異ならず、したがって例外とはいえない。

・スターリン指導部は捕虜交換にさいして、ナチによる迫害を怖れてソ連に残留することを望むユダヤ人と共産党員からの再三の訴えを一蹴した。

・スターリン政権はジュネーヴ協定(戦争捕虜の扱いについて)の署名を拒否していたのだ。その結果として、第二次大戦中に数十万のソ連の捕虜が命を落とすことになった。

・この新しい資料は、占領ポーランド地域での大規模テロの激しさが、ソ連でのテロの激しさを上まわったことを証明している。わずか20か月のあいだに東部ポーランドの人口の4%つまり40万人以上が投獄、追放、銃殺の憂き目にあった。

・こうしてNKVDの地方責任者は、名簿上の約7万人を一人として逃さなかったと得意げに報告書に記すことができた。

・ソ連にたいするドイツの壊滅的な攻撃はスターリンを驚愕させた。ソヴィエト指導部は方針を変更して、亡命ポーランド政府との和解を選ばざるをえなかった。1941年8月12日、ウクライナとベロルシアはすでにドイツ軍に占領され、ドイツ軍はモスクワをめざして急進撃をつづけていたその日にソ連政府は、1年半前に判決をくだされ追放されていた全ポーランド国民にたいして恩赦令を布告した。

・雄弁な一例は1915年にトルコ人によっておこなわれ、そのほとんどすべてを死ににいたらせたアルメニア人約150万人の追放をジェノサイド(「民族大虐殺」)と認めるかどうかで、この歴史論争はいまだにつづいている。

・1943年4月13日、ドイツ・メディアは世界に向けて、カチンにほど近い森のなかでドイツ側の言い分ではNKVDに射殺された数千のポーランド将校の死体を発見したと報じた。

・スターリンは、カチン虐殺を隠蔽して罪をナチになすりつけることに執着した。

・西側政府の積極的な幇助がなかったならば、ソヴィエト指導部は半世紀ものあいだカチン虐殺の自己責任を隠しおおすことはできなかっただろう。西側政府は入手していた情報を隠蔽し、事件を握りつぶそうと全力をつくした。アメリカ政府は1950年はじめまで、イギリス政府はソヴィエト政権の崩壊まで、この態度を変えなかった。

・ニュールンベルクのソ連代表団(1946年3月21日の委員会)は予期しない障害にぶつかった。検察官の一人ニコライ・ゾーリャが、クレムリン指導者の組織した偽造工作に参加することを拒否したのである。
・・・。1946年5月23日、ゾーリャはニュールンベルグの自室で死んでいるのが発見される。・・・。
ゾーリャはソ連の解釈を疑問視するものすべてを脅すために送られたベリヤの手先によって暗殺された。ゾーリャの死を知ったスターリンが「奴は犬並みに埋めればよい」と命じたという噂がたった。

・こうして、カチン事件は「証拠不純分」で裁判から除外された。・・・。
戦後初期、英米政府はこの立場を変えることはなかった。1944年から51年まで、アメリカ国務省とホワイトハウスはカチンの真相が公になるのを防ぐために全力を尽くした。
英米政府のこうした努力はスターリンとモロトフには、ことごとく西側指導者の本質的な弱みとしてとらえられた。
この共犯関係と無関心の風土をこれ幸いと、ソ連秘密機関はカチン事件を実体験した人々、とくにベリヤの手先の直接行動がおよぶ範囲外で生活している、国際医学調査委員会の委員たちの信用を失墜させ沈黙させる国際キャンペーンを展開した。

・ポーランド将校を銃殺したのはソ連の秘密警察であるとの確信を披露し、その理由として、将校の死体には結婚指輪と金歯が残されていたからだと言った。ナチの親衛隊は犠牲者から身につけている金製品を奪うよう命じられていたのにたいしてい、NKVD特殊部隊はそのような指令を上部から受けていなかったのだ。

・歴史改竄に執着するクレムリン首脳の決意は、カチン虐殺事件証拠書類の破棄によって補強され、同時に、イギリス政府のとったような西側政府の姿勢はソ連秘密機関と宣伝機関を勇気づけ、カチン虐殺の「公式見解」(ナチの仕業)はますます図々しく横行した。1970年代のブレジネフ政権下で、この公式見解は最終的なかたちをとった。

・「大祖国戦争」の開始後に情勢が複雑化したせいで、収容所の撤退は間に合わなかった。およそ11,000人のポーランド人戦争捕虜がドイツ軍に捕まり、その後1941年秋にカチンの森で銃殺された。

・ソ連側は「自分たちの見解を資料で裏付けることに成功しなかった」だけでなく、歴史の真実が確立されないように全力を注いだのだ。

・コゼルスク収容所から移送された者の名簿と、1943年春にドイツ軍が墓から掘り出した死体で身元のわかった者の名簿とを突き合わせると、あきらかに一致していて、否定しがたい関係が署名されている。

・この状況証拠にもとづくと、カチン地区のポーランド将校がNKVD、個人的にはベリヤとメルクロフの手にかかったと結論することができる。

・1991年7月15日、エリツィンの指令で、封印文書ファイルに保管されている資料を検討する特別委員会が設置された。

・イギリス政府が自国の公文書に存在する資料を隠し、イギリスのポーランド人社会が調査を企てたり犠牲者を記念しようとするたびに抑圧する政策をとったのは、さまざまな歴史的瞬間におけるさまざまな動機からだった。戦争中に英米政府が採った、カチンの真相を公にしないという決定は、スターリンとの同盟を維持し、戦後のソ連の協力を確保する必要からだった。

・1989年、ゴルバチョフがソ連の罪を認めてポーランド国民に公式に謝罪すると、イギリス外務省はつぎのばかばかしい声明を出すにとどまった。
「長年われわれはこの事件を明らかにするようあらゆる方面に求めてきた。したがって今回のモスクワによる新し時日発表を歓迎する」

・危険な機密文書の公開にゴルバチョフが抵抗し、公開するくらいならば破棄したほうがましだとしたことは、かれのイメージにぬぐいがたい汚点を残した。

・なぜ、この恐るべき事件から70年を経た今になって、歴史家、とくに欧州歴史家はカチンの物語を語りつづけ、その状況と原因と歴史的結果とを分析し続けるべきなのか。ハンナ・アーレントは『暗い時代の人間性について』の有名な一節で書いている。「過去の克服が可能だとすれば、それは本当に起きたことを語ることにある。だがこの物語は、歴史に形をつけるけれども問題を解決しないし苦悩をやわらげはしない。なにも克服されないのだ。事件の意味合いが生きているかぎり-そえは長いあいだつづくかもしれない-過去の『克服』はくりかえし語りつがれる物語のかたちをとる」。カチンの歴史の決定版はまだ書かれていない。

・カチンの追憶は21世紀の歴史から最大の教訓のひとつをわれわれにあたえることができる。それは、人権擁護を国内問題として個々の政府に任せておけないとする原則に立って、新しい国際文化と対外政策の誕生に寄与できるからである。

感想
カチンの森の大量虐殺はソ連が行ったそれをドイツ軍の行為としていたことは知っていましたが詳しい状況はしませんでした。
特に西側諸国も隠蔽に加担していたことは知りませんでした。

起きたことを語る。
明らかにすることが大切だということです。

この本を読んでいて、安倍元首相のモリカケ問題、桜を見る会などの事実を語ること、つまり独立した調査委員会で調査することが大切だということを改めて思いました。
赤木さんの妻が、再調査の嘆願書を岸田首相に提出しました。
岸田首相は「しっかり受け取った」と発言されました。
ところが何の調査もされません。
赤木さんの妻は再調査することを提訴されました。

それと人権問題はその国だけに任せていると人権が守られないと言うこと。
これはまさに中国の例からも分かるようです。

それにしても、為政者が多くの人を殺害してきたのだと驚きました。
それを認めないように国民が声をあげないといけないのでしょう。
そうしないといつ国民に為政者からの災難が降り注ぐかわかりません。
一票では何も変わらないと思いがちになりますが、その気持ちが為政者の独走を認めてしまうことにつながるのでしょう。
たかが一票、その一票が価値があり大きいのだと改めて思いました。

斎藤環医師「ケツモチは比喩表現」と反論…精神科病院への名誉毀損で賠償命令、東京地裁 ”人権無視の強制入院?”

2021-10-30 02:50:00 | 社会
https://news.goo.ne.jp/article/bengoshi/life/bengoshi-topics-13728.html 2021/10/29 19:31弁護士ドットコム

精神科医で筑波大教授の斎藤環さんによるツイッターの一連の投稿が名誉毀損にあたるとして、東京都内の精神科病院が、斎藤さんに300万円の損害賠償などを求めていた裁判で、東京地裁は10月29日、斎藤さんに20万円の支払いを命じる判決を下した。

原告の精神科病院をめぐっては、ひきこもり状態にある人から「強制入院させられた」との訴えがあり、斎藤さんは同病院を批判するツイートを投稿していた。

判決をうけて、斎藤さんと代理人の宇都宮健児弁護士は、「明らかにスラップ(嫌がらせ)訴訟だ」と会見で批判した。今後の方針について、斎藤さんは「今ここで控訴するとは言いませんが、可能性は排除しません」との方針を示した。

●7投稿の内、1つのみ不法行為を認定
斎藤さんは2019年11月から2020年6月の間、この精神科病院が医療保護要件を満たさないのに、ひきこもりの人を身体拘束したなどとする複数のメディア報道を引用してツイート。精神科病院は、7つの投稿が名誉毀損にあたるとして、斎藤さんを2020年8月に提訴していた。

判決文などによれば、裁判所は、斎藤さんの「(民間団体の)拉致監禁事業に協力を惜しまなかった。(中略)ほかにも自立支援ビジネスのケツモチをしている病院名を数カ所把握しています」などとして、病院名をあげて批判した投稿1つについて「摘示された事実を真実であると認めることはできない」「原告の社会的評価を低下させるものであり、不法行為性が認められる」と判断した。

また「被告において(拉致監禁行為に協力した)との事実を真実であると信じさせる程度の合理的な資料又は根拠があったものと認めることはできる」としながらも、「ケツモチをしている」という表現については、カルテや民間団体とのメールなどから「反社会的な組織として庇護、協力等をすることにより不正な対価を得る行為に及んでいる」という事実が真実とは認められないとした。

●斎藤さん「ケツモチという言葉自体は比喩表現」
斎藤さんは判決後の記者会見で「誤解を招く言葉遣いには自戒もあるが、ケツモチという言葉自体は比喩表現です」と判決に異議をとなえた。

「SNSに書いたり、ブログで批判的に述べたりする権利は保障されるべき。節度を持った批判なら、おおいに認めるべきもの。明らかにスラップ(嫌がらせ)訴訟だが、その訴えの大半が認められなかったことは評価できる」

なお、病院は斎藤さんに謝罪文の掲載も求めたが、それは認められなかった。弁護団の林治弁護士は「ケツモチという一言で20万円は高額だ。言葉尻を捉えた不当な判決」と厳しく述べた。

宇都宮弁護士も、社会問題として扱われているひきこもり問題への「言論封殺」と警鐘を鳴らした。

「この判決が確定してまかり通ると、批判が許されなくなる。社会批判を受け付けない防波堤になるのではないかと危惧している」(宇都宮弁護士)

●どんな事件についてツイートしていたのか
今回の投稿の発端となったのは、30代の男性が「ひきこもり支援」をうたう民間施設「あけぼのばし自立研修センター」によって2018年5月に無理やり連れ去られたとする事件だ。

男性は運営元に対して、民事で損害賠償をもとめて裁判を起こすとともに、元代表らへの暴行罪、逮捕監禁致傷罪、監禁罪で刑事告訴し、警察が受理している。

このほか、施設入所中に、医療保護入院要件を満たさないのに医療保護入院と称して、精神科病院で体を拘束されたとして、男性は、この病院の医師らを逮捕監禁罪でも刑事告訴し、受理された。また、病院側に慰謝料など550万円をもとめて提訴している。

感想
斎藤環先生は引きこもりをずーっと見て来られました。
本人の意思を無視して強制的に施設に入れさせることがあるようです。
それについて問題視され、つい「ケツモチ」と言う言葉になったのでしょう。

「ケツモチ」という言葉は知りませんでした。
病院に対して、個人の人権を尊重して欲しいとの願いだったのだと思います。
男性は病院の医師らを逮捕監禁罪で刑事告訴し、受理され、また病院側に慰謝料など550万円の訴訟を行っているので、この判決がでると真実が明らかになるのではないでしょうか。
病院側に責任が認められると、まさに「ケツモチ」だったことになるのでしょう。

大阪コロナ死者数が争点化 府政与党・維新vs他党 ”大阪府のコロナ死者が多いのになぜ維新吉村知事を支援するのだろう?”

2021-10-30 02:15:30 | 新型コロナウイルス
https://news.yahoo.co.jp/articles/f0793e978911fb0f0a265a834f25c71f967416b7 10/29(金) 22:44 産経新聞
衆院選の選挙戦も残すところあと1日、投開票日の31日が目前に迫ってきた。全国で政府の新型コロナウイルス対策が問われる中、大阪の選挙区では国政選挙であるにもかかわらず、地方行政である大阪府のコロナ対応が論点の一つに。府のトップは日本維新の会の「顔」でもある吉村洋文氏。このため「府政与党」たる維新のコロナ対応を他党が批判し、終盤情勢でも勢いを維持する維新を食い止めにかかっている。

「大阪はコロナの人口当たりの死亡者数がワースト1。昨年の今ごろ、何をやっていましたか。『(大阪)都構想』と言って、いざという備えのない行政をつくってきたのが維新だ」

維新と自民党、立憲民主党の三つどもえの戦いとなっている大阪2区(大阪市生野区、阿倍野区など)。立民前職の尾辻かな子氏(46)は、昨年11月の住民投票で否決された維新の看板政策「大阪都構想」を引き合いに、街頭演説でそう声を張り上げた。

立民といえば、枝野幸男代表がコロナ感染「第4波」の5月、緊急事態宣言の前倒し解除を国に要請するなどした吉村氏の対応を「一番悪い」と批判した、維新にとっては因縁の党でもある。自民前職の左藤章氏(70)も街頭演説後、吉村氏のコロナ対応について記者団に「失敗している。(府内で)3千人も死んでいる」と非難した。

一方の維新新人、守島正氏(40)は演説でこの点には言及せず、大阪での行財政改革の実績などをアピール、支持拡大を図っている。

厚生労働省によると、28日時点のコロナによる府内の死者は3044人で、人口10万人当たりに換算すると全国最多の34・55人。2位の北海道(28・00人)を大きく上回り、5位の東京(22・48人)の約1・5倍に相当する。

府内の第4波(3月1日~6月20日)では病床不足が深刻化し、重症患者の一部を軽症・中等症病床で治療せざるを得ない事態を招いた。医療を受けられずに亡くなる自宅療養者も相次いだ。

重症患者を受け入れている近畿大学病院(大阪府大阪狭山市)の東田有智(とうだ・ゆうぢ)病院長は「(患者数が確保病床を上回る)オーバーフローが起きた第4波が一番大変だった。府の対応は若干後手に回っていた」とみる。

このため、府は6月21日以降の第5波に際し、確保病床を大幅に上積みしたほか、陽性判明後、速やかにリスクがある軽症患者らに医療機関などで抗体カクテル療法を投与する早期治療体制を強化した。その結果、今月17日時点では重症化率は1・0%と、第4波(3・2%)の3分の1に。死亡率は第4波の2・8%から0・3%に低下している。

今回、維新は最終盤の情勢調査でも好調を維持、特に地盤の大阪では勢いを増している。昨年来のコロナ禍における吉村氏の積極的な情報発信や、第5波までの対応の全体的な評価など、国政政党としての活動よりも、大阪府での行政運営の実績が維新支持の背景にあるとみられる。他党もこれを意識しての府政批判だろうが、現状はそれが奏功していないともいえる。

当の吉村氏は28日、記者団に「感染拡大に対して医療機関と協力し、対策を徹底することが重要だ」と強調。自民や立民からの批判について「感染の広がり自体をコントロールするのは難しい。死者数を選挙に利用すべきではなく、正面から取り合う必要はない」と述べた。

感想
大阪府は10万人当たりのコロナ死者が断トツ1位です。
大阪府民は、その時の恐怖をわすれたのでしょうか?
維新の病院病床を減らした結果なのです。
それを忘れて維新を支持する府民の気持ちがわかりません。
自分が家族が犠牲になっているリスクがあったのです。
維新が増えるとそのリスクが拡大する可能性があるのです。

東京都で4512人過少集計 コロナ4~10月公表分 二重計上も ”小池都知事の心労の原因?”

2021-10-30 02:00:00 | 新型コロナウイルス
https://news.yahoo.co.jp/articles/77dc25e6876281589430cce3eba7dbec5fab29c0 10/29(金) 19:48 毎日新聞

 東京都は29日、都内で確認された新型コロナウイルスの感染者数について、今年4月2日~10月2日の間に計4512人の報告漏れがあったと発表した。これとは別に、感染者の二重計上などで447人を多く計上していた。差し引きすると都内の感染者数の累計は4065人増え、29日時点で38万1610人となる。

 感染者情報は医療機関や保健所が政府の情報把握システム「HER―SYS」(ハーシス)に入力し、保健所の職員がシステム上で「保健所確認済」というボタンを押して、都への報告となる。都によると、感染拡大で保健所が患者対応に追われた影響で、確認済ボタンを押していなかったケースが多々あった。報告漏れの約85%が「第5波」のピークの8月だった。

 この修正により、1日あたりの感染者数の最多は8月13日の5908人になった。感染者が減った9月中旬に都の担当者が誤りに気づき、約1カ月かけて数字を精査した。都の担当者は「日々の数字を正確に伝えられず反省している。今後は保健所に細やかなフォローアップをしていく」としている。【黒川晋史、竹内麻子】

感想
日本はデータについて信頼がおけないです。
厚労省もデータの改ざんを行っていました。
森友問題では、公文書偽造もしていました。

こういうことが続くと、国や都の出すデータが信用置けません。
小池都知事は、これが心労だったのでしょうか。